2006年2月17日、滋賀県長浜市相撲町の道端で、刃物でめった刺しにされて倒れている幼稚園児2人が発見された。2人は病院に運ばれるも共に死亡。犯人は被害者2人の同級生の母親であり、自らの娘と一緒に2人を車に乗せて登園させる道中で凶行に及んだのだった。
【園児2人殺さる】
2006年2月17日午前9時5分頃、滋賀県長浜市相撲町にて、幼稚園児2人が道で倒れていると119番通報があった。2人は市内の幼稚園に通う女の子Aちゃん(5歳)と男の子Bくん(5歳)で、2人とも刃物で全身をめった刺しにされており、長浜赤十字病院へと運ばれたが死亡した。
滋賀県警は直ちに緊急配備を敷き、午前11時頃、大津市国道バイパス真野IC付近で犯人を逮捕。犯人は被害者2人と同じ幼稚園に通う園児の母親TM(34歳)であり、この日は自分の車で被害者2人と自分の娘を登園させる当番になっていた。TMが運転する車からは血のついた包丁が見つかり、シートは血の海になっていたとされる。また、逮捕時にTMの娘(5歳)も車に乗っており、警察によって保護された。
【中国からやって来た女】
TMは中国黒龍江省の農村出身で大家族の末っ子。生活は貧しかったという。そんな時に出会ったのが"花嫁ビジネス"だ。すなわち、出会いの少ない日本の農村部の中年未婚男性と、「いい暮らし」を夢見る海外の若い貧困女性とを、業者の仲介によって結びつけるビジネスである。TMの夫も40歳を過ぎて結婚相手に恵まれていなかったが、業者に数百万円を支払いつつ、やがてTMという女を見出す。こうしてTMは日本にやって来た。
だが、現実は厳しい。TMは母国で子ども相手に日本語の家庭教師をしたこともあったが、日本社会に溶け込めるほど流暢というわけではなかった。日本に来てからもさっぱり上達しない。日本の生活文化も理解できない。ゴミ出しのルールを守らず、その度に夫に叱られた。そうして社会に溶け込めないまま孤立を深めていく。やり場のないストレスから激情を抑え切れなくなり、しばしば暴力的行為に及ぶこともあった。
TMは精神科に通ったが、日本語でのコミュニケーションがマトモに取れないのに日本の病院にかかったところで大した効果があるはずもなかろう。やがて主治医は統合失調症と診断したが、TMは服薬をしばしば拒み、"完治した"と認める前に通院をやめてしまった。スーパーでのパート勤務も辞めた。完全に追い詰められていた。
一方の長女は幼稚園で友達をたくさん作っていたのだが、TMは自分の立場と重ね合わせてしまったのか思い込みを深めていく。長女が自宅で嘔吐すれば「他の児童から水筒に異物を入れられたのではないか」と疑った。「いじめにあってないか」、「ちゃんと成長しているか」などと園に相談することも度々あった。しかし教諭らは「心配性な人だな」と感じたものの、TMの心に渦巻く闇には気づけなかった。
【グループ送迎制度】
事件に遭った幼稚園では、年少組は保護者による個人送迎、年中組と年長組はグループ送迎制度を取っている。グループ送迎では近所の親同士が輪番で子どもたちを送迎する。しかしTMはこのグループ送迎に不安を訴え、当番でない日も登園に付き添ったり、他の保護者が迎えに行く前に勝手に長女だけ連れ帰ったりした。とうとう一人特別に個人送迎を認められたが、「子ども同士のコミュニケーションが深まり、親同士の助け合いもできる」という園の説得により、数ヶ月後にグループ登園に復帰する。
犠牲となった園児の保護者は、そのように不安定なTMの様子を見抜き、「TMの運転は危ない。グループ送迎のルールも理解していない」などと事件前から訴えていたのだが、園側はあまり真剣に受け止めておらず、結果として惨劇を回避することができなかった。
グループ登園の際、車内で子どもたちはほとんど無言で過ごしていたという。どうやらTMにはそれが娘がいじめられているように映ったらしい。そうして「自分の娘が周りに馴染めないのは、周りの子が悪い」などと歪んだ考えをもつようになる。
【死の登園路】
いよいよ事件当日朝、家族3人で朝食をとった後に殺害を決意。グループ送迎当番として娘を連れて家を出るとき、夫には気づかれないように刃渡り約21センチの刺身包丁を1本持ち出す。それは園児の送迎には全く不似合いな凶器であった…。
8時50分頃、長女を助手席に乗せて出発。そしてAちゃん、Bくんを拾った後、幼稚園をそのまま通り過ぎて人気の少ない相撲町の農道へ向かう。現場で車を停めたTMは、車外に出て後部ドアを開けると、いきなり被害者2人を刺しつつ車外へ引き摺り出した。Bくんは背中に多くの傷があり、逃げようとしたところを執拗に刺されたとみられる。同乗している娘には「見ないように」と指示したという。
なお、本来TMのグループ登園にはもう一人園児が加わる予定だったが、事件当日は別の用事があったために参加せず、被害を免れている。
【荒れた公判】
2007年2月2日、大津地裁初公判。TMは取調べ中に被害児童の両親に謝罪を口にしたこともあったが、途中からは「私は犯人ではない」と一転否認し、この日の罪状認否でも「刺したのは砂人形で人間ではない。殺人ではない。2人はまだ生きている」などと述べて起訴事実を否認した。
日本語での正常なコミュニケーションが困難と見て、初公判では中国語による同時通訳が提案されたものの、TMは自らイヤホンを付けるのを拒否して辿々しい日本語で答えた。
TMは留置場で女性警察官の指に噛み付くなど騒ぎを起こしていたが、初公判でも床につばを吐くなどの荒れた言動をみせ、その後の公判ではますますエスカレートしていく。突然「トイレに行きたい」などと叫んだり、床に寝転がったり、机の上に足を投げ出したり、笑みを見せたり、あくびをしたり…。とても正常な公判とは言えない。退廷を命じられることもしばしばであった。
公判ではTMが夫らに宛てた手紙も証拠として提出されているが、そこでも「悪いことをした」と反省したかと思えば、「黒メガネの男が2人を刺した」と書いたり、とにかく支離滅裂な内容であった。一方で「精神病の人は悪いことをしても法律で許される」などとも書いている。長女のことを心配するような内容もあった。
2007年9月18日、論告求刑公判。検察は事件時に完全な責任能力はあったとして死刑を求刑。弁護側は被害妄想に取り憑かれて心神喪失状態だったとして無罪を主張。TMは「悪いことしたのは私です。二度とこんなことが起きないように頑張りますから助けて下さい」と最後に呟いたという。
【元・家族】
TMは事件後に夫との離婚が成立。留置場のTMに「家族」が面会に来ることなかった。娘は言うまでもなく夫が引き取り、祖父母と共に暮らす。報道によれば「あなたのお母さんは亡くなった」と聞かされているとか。それもどうなんだと思ってしまうが…。
なお、初公判では事件の"唯一の目撃者"として娘の供述調書が読み上げられている。当初は非公開での証人尋問も検討されたというが、5歳児には「供述能力が無い」との理由で調書による審理となっていた。調書によれば「お母さんがAちゃんとBくんを刺して、お水の方や車の外にポイっと捨てた」と証言したとのこと。右手に付いた血をタオルでゴシゴシと拭いていたとする犯行状況も詳しく説明したようだ。
"元"・夫も検察側証人として第4回公判で証言した。TMが数年前のトラブルをきっかけとして精神的に不安定になっていったと認めるが、TMが異常な言動を見せる直前には決まって不眠の症状が出ていたところ、事件前にそのような様子は無かったと述べた。事件当日もTMが怠そうだったため、グループ登園を他の人に任せたらどうかと提案したが、TMは「私がやる」と答えたという。被害者遺族に対しても「申し訳ございませんでした」と涙ながらに謝罪している。
【判決】
2007年10月16日、大津地裁判決。無期懲役。
判決では、TMが2園児に対して確定的殺意があったことを認めつつ、「統合失調症に罹患した状態にあったことは動かしようがない」と精神鑑定結果を採用し、「被告は現在においても犯行の重大性を認識せず、刑事責任の重さを理解していない」と述べた。一方で、自宅にある最も鋭利な刃物を選んだことや、逃走資金を用意していたことから、「責任能力を完全に失っていたわけではない」と指摘。被告は心神耗弱の状態にあったと認定して減刑を認めたものである。双方が控訴。
2009年2月20日、大阪高裁判決。一審判決を支持し、双方の控訴を棄却。双方上告せず、無期懲役が確定。
【民事訴訟】
被害者遺族は長浜市とTMの夫を相手取り、計約2億円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こしている。2011年1月6日、大津地裁は「それまでのTMの言動から殺傷事件を予見するのは困難だった」として請求を棄却。遺族は控訴を断念した。
【愛の無い結婚】
花嫁ビジネスの闇は深い。事件当時の報道によれば仲介業者は成婚率ほぼ100%だという。しかし「結婚相手が欲しい、子どもが欲しい」と望む中年の日本人男性と、「いい暮らしがしたい」と望む若い外国人女性は本当に"マッチ"しているのだろうか。
仲介業者がターゲットとしているのは主として農村部に暮らす中年男性だ。彼らは出会いに飢えている。だが、果たして外国人女性が期待する「いい暮らし」とは都会での華やかな生活であり、マッチング後に日本を初めて訪れ、思い描いていた都会暮らしと農村での静かな暮らしとのギャップに失望することが多いという。
無論、言葉の壁や生活習慣の違いも大きなハードルだ。それを乗り越えるには夫やその家族の支えが不可欠であるが、真の愛を育むことなく結婚に至れば、問題を真剣に理解しないまま冷淡な態度で突き放されてしまうだけだ。中年男性と若い女性という年齢差も一つの要因となっているように思う。
一方で、辛い思いをしているのは外国人女性側だけではない。最初から定住だけを目的にし、来日直後に行方を眩ませてしまう強かな女性も少なくないのだ。こうなっても仲介業者につぎ込んだ数百万円が男性側に返ってくることはない。
厚生労働省の2004年の統計を参考にすると、日本人男性と中国人女性の結婚件数は11,915件で、離婚件数は4,386件とのこと。これら全てが"花嫁ビジネス"によるものではないし、離婚の理由も各家庭様々あろうが、国際結婚の難しさを端的に示しているとはいえるだろう。
【出典】
京都新聞による特集ページ(Internet archiveから)
朝日新聞2006年2月17日「園児2人刺され死亡、別の園児の母逮捕 滋賀・長浜」
朝日新聞2006年2月17日「「まさか引率者が…」登園中の惨事に衝撃 園児2人殺害」
読売新聞2006年2月17日「2園児刺され死亡 同級生の母逮捕、犯行認める/滋賀・長浜」
朝日新聞2006年2月20日「「2人、身近にいたから」不満の相手特定? 園児殺害」
朝日新聞2006年2月22日「通園当初から不協和音 保護者、園に相談 長浜・園児殺害のTM容疑者」
朝日新聞2006年2月24日「嫁いだ異国、2つの顔 長浜2園児刺殺容疑者」
朝日新聞2007年2月2日「「刺したのは砂人形」TM被告、罪状を否認 滋賀・園児殺害」
読売新聞2007年2月2日「滋賀の2園児刺殺、TM被告側が罪状否認し責任能力争う」
朝日新聞2007年9月18日「TM被告に死刑求刑 検察「完全に責任能力」長浜園児殺害」
朝日新聞2007年10月16日「長浜園児殺害事件・判決 要旨」
読売新聞2007年10月16日「滋賀・長浜2園児殺害 TM被告に無期判決 心神耗弱認める/大津地裁」
読売新聞2009年2月20日「滋賀2園児殺害、1審の無期判決を支持…大阪高裁」
朝日新聞2009年3月7日「長浜園児殺害、無期懲役確定へ 検察側「上告理由見出し難い」」
【園児2人殺さる】
2006年2月17日午前9時5分頃、滋賀県長浜市相撲町にて、幼稚園児2人が道で倒れていると119番通報があった。2人は市内の幼稚園に通う女の子Aちゃん(5歳)と男の子Bくん(5歳)で、2人とも刃物で全身をめった刺しにされており、長浜赤十字病院へと運ばれたが死亡した。
滋賀県警は直ちに緊急配備を敷き、午前11時頃、大津市国道バイパス真野IC付近で犯人を逮捕。犯人は被害者2人と同じ幼稚園に通う園児の母親TM(34歳)であり、この日は自分の車で被害者2人と自分の娘を登園させる当番になっていた。TMが運転する車からは血のついた包丁が見つかり、シートは血の海になっていたとされる。また、逮捕時にTMの娘(5歳)も車に乗っており、警察によって保護された。
【中国からやって来た女】
TMは中国黒龍江省の農村出身で大家族の末っ子。生活は貧しかったという。そんな時に出会ったのが"花嫁ビジネス"だ。すなわち、出会いの少ない日本の農村部の中年未婚男性と、「いい暮らし」を夢見る海外の若い貧困女性とを、業者の仲介によって結びつけるビジネスである。TMの夫も40歳を過ぎて結婚相手に恵まれていなかったが、業者に数百万円を支払いつつ、やがてTMという女を見出す。こうしてTMは日本にやって来た。
だが、現実は厳しい。TMは母国で子ども相手に日本語の家庭教師をしたこともあったが、日本社会に溶け込めるほど流暢というわけではなかった。日本に来てからもさっぱり上達しない。日本の生活文化も理解できない。ゴミ出しのルールを守らず、その度に夫に叱られた。そうして社会に溶け込めないまま孤立を深めていく。やり場のないストレスから激情を抑え切れなくなり、しばしば暴力的行為に及ぶこともあった。
TMは精神科に通ったが、日本語でのコミュニケーションがマトモに取れないのに日本の病院にかかったところで大した効果があるはずもなかろう。やがて主治医は統合失調症と診断したが、TMは服薬をしばしば拒み、"完治した"と認める前に通院をやめてしまった。スーパーでのパート勤務も辞めた。完全に追い詰められていた。
一方の長女は幼稚園で友達をたくさん作っていたのだが、TMは自分の立場と重ね合わせてしまったのか思い込みを深めていく。長女が自宅で嘔吐すれば「他の児童から水筒に異物を入れられたのではないか」と疑った。「いじめにあってないか」、「ちゃんと成長しているか」などと園に相談することも度々あった。しかし教諭らは「心配性な人だな」と感じたものの、TMの心に渦巻く闇には気づけなかった。
【グループ送迎制度】
事件に遭った幼稚園では、年少組は保護者による個人送迎、年中組と年長組はグループ送迎制度を取っている。グループ送迎では近所の親同士が輪番で子どもたちを送迎する。しかしTMはこのグループ送迎に不安を訴え、当番でない日も登園に付き添ったり、他の保護者が迎えに行く前に勝手に長女だけ連れ帰ったりした。とうとう一人特別に個人送迎を認められたが、「子ども同士のコミュニケーションが深まり、親同士の助け合いもできる」という園の説得により、数ヶ月後にグループ登園に復帰する。
犠牲となった園児の保護者は、そのように不安定なTMの様子を見抜き、「TMの運転は危ない。グループ送迎のルールも理解していない」などと事件前から訴えていたのだが、園側はあまり真剣に受け止めておらず、結果として惨劇を回避することができなかった。
グループ登園の際、車内で子どもたちはほとんど無言で過ごしていたという。どうやらTMにはそれが娘がいじめられているように映ったらしい。そうして「自分の娘が周りに馴染めないのは、周りの子が悪い」などと歪んだ考えをもつようになる。
【死の登園路】
いよいよ事件当日朝、家族3人で朝食をとった後に殺害を決意。グループ送迎当番として娘を連れて家を出るとき、夫には気づかれないように刃渡り約21センチの刺身包丁を1本持ち出す。それは園児の送迎には全く不似合いな凶器であった…。
8時50分頃、長女を助手席に乗せて出発。そしてAちゃん、Bくんを拾った後、幼稚園をそのまま通り過ぎて人気の少ない相撲町の農道へ向かう。現場で車を停めたTMは、車外に出て後部ドアを開けると、いきなり被害者2人を刺しつつ車外へ引き摺り出した。Bくんは背中に多くの傷があり、逃げようとしたところを執拗に刺されたとみられる。同乗している娘には「見ないように」と指示したという。
なお、本来TMのグループ登園にはもう一人園児が加わる予定だったが、事件当日は別の用事があったために参加せず、被害を免れている。
【荒れた公判】
2007年2月2日、大津地裁初公判。TMは取調べ中に被害児童の両親に謝罪を口にしたこともあったが、途中からは「私は犯人ではない」と一転否認し、この日の罪状認否でも「刺したのは砂人形で人間ではない。殺人ではない。2人はまだ生きている」などと述べて起訴事実を否認した。
日本語での正常なコミュニケーションが困難と見て、初公判では中国語による同時通訳が提案されたものの、TMは自らイヤホンを付けるのを拒否して辿々しい日本語で答えた。
TMは留置場で女性警察官の指に噛み付くなど騒ぎを起こしていたが、初公判でも床につばを吐くなどの荒れた言動をみせ、その後の公判ではますますエスカレートしていく。突然「トイレに行きたい」などと叫んだり、床に寝転がったり、机の上に足を投げ出したり、笑みを見せたり、あくびをしたり…。とても正常な公判とは言えない。退廷を命じられることもしばしばであった。
公判ではTMが夫らに宛てた手紙も証拠として提出されているが、そこでも「悪いことをした」と反省したかと思えば、「黒メガネの男が2人を刺した」と書いたり、とにかく支離滅裂な内容であった。一方で「精神病の人は悪いことをしても法律で許される」などとも書いている。長女のことを心配するような内容もあった。
2007年9月18日、論告求刑公判。検察は事件時に完全な責任能力はあったとして死刑を求刑。弁護側は被害妄想に取り憑かれて心神喪失状態だったとして無罪を主張。TMは「悪いことしたのは私です。二度とこんなことが起きないように頑張りますから助けて下さい」と最後に呟いたという。
【元・家族】
TMは事件後に夫との離婚が成立。留置場のTMに「家族」が面会に来ることなかった。娘は言うまでもなく夫が引き取り、祖父母と共に暮らす。報道によれば「あなたのお母さんは亡くなった」と聞かされているとか。それもどうなんだと思ってしまうが…。
なお、初公判では事件の"唯一の目撃者"として娘の供述調書が読み上げられている。当初は非公開での証人尋問も検討されたというが、5歳児には「供述能力が無い」との理由で調書による審理となっていた。調書によれば「お母さんがAちゃんとBくんを刺して、お水の方や車の外にポイっと捨てた」と証言したとのこと。右手に付いた血をタオルでゴシゴシと拭いていたとする犯行状況も詳しく説明したようだ。
"元"・夫も検察側証人として第4回公判で証言した。TMが数年前のトラブルをきっかけとして精神的に不安定になっていったと認めるが、TMが異常な言動を見せる直前には決まって不眠の症状が出ていたところ、事件前にそのような様子は無かったと述べた。事件当日もTMが怠そうだったため、グループ登園を他の人に任せたらどうかと提案したが、TMは「私がやる」と答えたという。被害者遺族に対しても「申し訳ございませんでした」と涙ながらに謝罪している。
【判決】
2007年10月16日、大津地裁判決。無期懲役。
判決では、TMが2園児に対して確定的殺意があったことを認めつつ、「統合失調症に罹患した状態にあったことは動かしようがない」と精神鑑定結果を採用し、「被告は現在においても犯行の重大性を認識せず、刑事責任の重さを理解していない」と述べた。一方で、自宅にある最も鋭利な刃物を選んだことや、逃走資金を用意していたことから、「責任能力を完全に失っていたわけではない」と指摘。被告は心神耗弱の状態にあったと認定して減刑を認めたものである。双方が控訴。
2009年2月20日、大阪高裁判決。一審判決を支持し、双方の控訴を棄却。双方上告せず、無期懲役が確定。
【民事訴訟】
被害者遺族は長浜市とTMの夫を相手取り、計約2億円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こしている。2011年1月6日、大津地裁は「それまでのTMの言動から殺傷事件を予見するのは困難だった」として請求を棄却。遺族は控訴を断念した。
【愛の無い結婚】
花嫁ビジネスの闇は深い。事件当時の報道によれば仲介業者は成婚率ほぼ100%だという。しかし「結婚相手が欲しい、子どもが欲しい」と望む中年の日本人男性と、「いい暮らしがしたい」と望む若い外国人女性は本当に"マッチ"しているのだろうか。
仲介業者がターゲットとしているのは主として農村部に暮らす中年男性だ。彼らは出会いに飢えている。だが、果たして外国人女性が期待する「いい暮らし」とは都会での華やかな生活であり、マッチング後に日本を初めて訪れ、思い描いていた都会暮らしと農村での静かな暮らしとのギャップに失望することが多いという。
無論、言葉の壁や生活習慣の違いも大きなハードルだ。それを乗り越えるには夫やその家族の支えが不可欠であるが、真の愛を育むことなく結婚に至れば、問題を真剣に理解しないまま冷淡な態度で突き放されてしまうだけだ。中年男性と若い女性という年齢差も一つの要因となっているように思う。
一方で、辛い思いをしているのは外国人女性側だけではない。最初から定住だけを目的にし、来日直後に行方を眩ませてしまう強かな女性も少なくないのだ。こうなっても仲介業者につぎ込んだ数百万円が男性側に返ってくることはない。
厚生労働省の2004年の統計を参考にすると、日本人男性と中国人女性の結婚件数は11,915件で、離婚件数は4,386件とのこと。これら全てが"花嫁ビジネス"によるものではないし、離婚の理由も各家庭様々あろうが、国際結婚の難しさを端的に示しているとはいえるだろう。
【出典】
京都新聞による特集ページ(Internet archiveから)
朝日新聞2006年2月17日「園児2人刺され死亡、別の園児の母逮捕 滋賀・長浜」
朝日新聞2006年2月17日「「まさか引率者が…」登園中の惨事に衝撃 園児2人殺害」
読売新聞2006年2月17日「2園児刺され死亡 同級生の母逮捕、犯行認める/滋賀・長浜」
朝日新聞2006年2月20日「「2人、身近にいたから」不満の相手特定? 園児殺害」
朝日新聞2006年2月22日「通園当初から不協和音 保護者、園に相談 長浜・園児殺害のTM容疑者」
朝日新聞2006年2月24日「嫁いだ異国、2つの顔 長浜2園児刺殺容疑者」
朝日新聞2007年2月2日「「刺したのは砂人形」TM被告、罪状を否認 滋賀・園児殺害」
読売新聞2007年2月2日「滋賀の2園児刺殺、TM被告側が罪状否認し責任能力争う」
朝日新聞2007年9月18日「TM被告に死刑求刑 検察「完全に責任能力」長浜園児殺害」
朝日新聞2007年10月16日「長浜園児殺害事件・判決 要旨」
読売新聞2007年10月16日「滋賀・長浜2園児殺害 TM被告に無期判決 心神耗弱認める/大津地裁」
読売新聞2009年2月20日「滋賀2園児殺害、1審の無期判決を支持…大阪高裁」
朝日新聞2009年3月7日「長浜園児殺害、無期懲役確定へ 検察側「上告理由見出し難い」」
読売新聞2009年3月10日「滋賀・長浜園児殺害 無期が確定」
朝日新聞2009年4月8日「遺族が賠償提訴、受刑者の元夫と市相手に 滋賀・長浜園児殺害」
朝日新聞2009年4月8日「遺族が賠償提訴、受刑者の元夫と市相手に 滋賀・長浜園児殺害」
読売新聞2011年1月7日「滋賀園児2人殺害 元夫への請求棄却」
読売新聞2011年1月21日「遺族側、控訴を断念」
読売新聞2011年1月21日「遺族側、控訴を断念」