1987年9月15日、群馬県尾島町にて、8歳の少女が家の近所の公園に遊びに行って行方不明となった。公園周辺では、少女が不審な男性に連れられて歩いているのが目撃されており、警察は誘拐事件と断定。

 しかし、有力な手掛かり無く捜査は難航し、少女は1年後に利根川河川敷で白骨化した遺体となって発見されるという最悪の結末を迎えた。

 遺体発見後も犯人を特定することはできず、2002年9月15日に公訴時効成立。未解決事件。

【子猫を抱いて消えた少女】
 1987年9月15日(火曜日)、この日は敬老の日で学校は休み。午前11時頃、群馬県尾島町に住む大沢朋子ちゃん(当時8歳、小学2年生)は、「公園で友達に猫を見せてくる」と言って姉が拾ってきた子猫を抱き、近所の尾島公園へと遊びに行った。

 だが、夜になっても朋子ちゃんは帰らない。家族は警察へ届け出る。前日、同じ群馬県において、4歳の男児が誘拐され、身代金を要求されるという事件(功明ちゃん事件)が発生したばかりであり、群馬県警は犯人からの電話を警戒して逆探知の用意をするも、同日も翌日以降も電話が鳴ることはなかった。

【証言】
 朋子ちゃんが遊びに行った尾島公園付近で聞き込みを行うと、いくつかの目撃証言が得られた。同級生らの証言によると、15日午前11時30分頃に公園周辺の道で、朋子ちゃんが自転車を押して歩く若い男に連れられて歩いていたという。12時頃にも、公園から600メートルほど離れた地点で、やはり男と一緒に歩いているところを目撃されていた。男は30歳前後、身長約170センチ、痩せ形で髪の毛がボサボサ。朋子ちゃんは男に対して笑顔も見せていたとのこと。

 だが、目撃情報はここで途絶えた。朋子ちゃんは一体どこへ行ったのか。捜査は早くも行き詰まりをみせる。上述の功明ちゃん事件が難航していたこともあり、群馬県警は何としてでも事件を解決すべく大規模な体制で捜査に望んだが、無実の人物に強引な取り調べを行って物議を醸すこともあった。明らかに焦りが感じられた。

【遺体発見と迷宮入り】
 朋子ちゃんが拐われてから1年が過ぎた1988年11月27日、利根川の河川敷にて、釣り場所を探して歩いていた釣り人が、子どもと思われる白骨体を発見。白骨体の状態は悪く、当初は性別すらハッキリしないほどだったが、最終的には血液型や歯の治療痕を手がかりとして、大沢朋子ちゃんの遺体であると断定された。

 発見現場は、釣り人がたまに通りがかるくらいで、普段はほとんど人影の無いところ。朋子ちゃんが最後に目撃された地点からは2キロほどの距離がある。実は朋子ちゃんが拐われた当初も同じ場所を捜索していたのだが、その時は遺体は発見されなかったという。捜索後に遺棄された可能性も有り得るが、遺体は死後1年程度経過しているとみられ、その辺りハッキリとは分からない。いずれにせよ、最終目撃地点からどのようなルートで河川敷へ至ったのかを解明する必要があるが、やはり有力な目撃証言は得られなかった。

 功明ちゃん事件に続いて、朋子ちゃん事件も最悪の結末を迎えた。屈辱の群馬県警は、事件がこのまま公訴時効を迎えることは許されないと全力を尽くすも、朋子ちゃんの遺族はそうはいかなかった。例えこれから犯人が逮捕されようと、朋子ちゃんはもう戻ってこないのだ。事件を解決してほしいと願う一方で、事件についてもう触れてほしくないという思いも強くなっていく。やがて情報提供を呼びかけるビラ配りにも参加しなくなり、同じく情報提供を呼びかける立て看板も撤去してしまった…。

 結局、本事件は功明ちゃん事件の翌日、2002年9月15日に公訴時効が成立。未解決事件となった。

【宮崎勤の言及】
 1988年8月から1989年6月にかけて、東京・埼玉で4人の幼女が誘拐・殺害される凶悪事件が発生した。警視庁広域重要指定117号事件で、犯人は東京都西多摩郡に住む宮崎勤であった。宮崎は、第一の犠牲者である今野真理ちゃんの遺族とマスコミに対して、今田勇子名義での「犯行声明」と「告白文」を送りつけ、その「告白文」で朋子ちゃん事件に言及した。

 そこでは朋子ちゃんのことを「明子ちゃん」と誤っているのだが、ともかく要約すれば「明子ちゃんが行方不明になった当初河川敷を捜索しても見つからず、その後見つかった骨が誰のものであるかハッキリしないというのに、他に該当者がいないと理由で明子ちゃんであるということになり、両親もそれに従って葬式をあげた。だから、殺害した今野真理ちゃんとかつて亡くした私の娘の骨を混ぜて遺族に返すことで、私の娘も一緒に葬式をあげてもらうことにした。」といった内容である。

 宮崎勤によるこの今田勇子名義での文書送付にどのような目的があったのか、どうもハッキリしない部分はあるものの、朋子ちゃん事件に碌な手がかりが無いだけに、宮崎が朋子ちゃん事件に関与しているのではないかと疑う声もあがった。しかし宮崎による4つの殺人事件と朋子ちゃん事件は手口などの関連性が薄く、宮崎の事件関与は次第に否定されていった。

【立ち上がった遺族】
 宮崎よりも事件に関与している可能性の高い男は他にいる。それは北関東連続幼女誘拐殺人事件の犯人だ。

 北関東で発生している一連の事件に疑問をもった日本テレビの清水潔記者は、2007年夏から取材を始め、足利事件(松田真実ちゃん誘拐殺人事件)被告人の冤罪を立証した上で、栃木県足利市で起きた3事件と朋子ちゃん事件を含む群馬県太田市で起きた2事件は同一犯によるものという仮説をたてたのである。

 それぞれの事件は、強い関連が伺える要素も多くある一方で、関連を否定するような要素もあり、果たして本当に同一犯によるものなのか2021年現在も真実はまだ分かっていない。それでも朋子ちゃんの遺族は立ち上がった。かつては隣県での事件など気にしたこともなかったが、今では互いに協力して家族会を設立した。唯一捜査が継続している横山ゆかりちゃん誘拐事件を頼みとして、朋子ちゃん事件を含む全ての事件の真実が明らかになるよう、今日も活動を続けている。事件はまだ終わっていない。終わらせてはならない。

【出典】 
 読売新聞1987年9月16日「小2少女不明に 群馬・尾島町 若い男が連れ去る?」
 朝日新聞1987年9月17日「小2少女行方不明に 群馬・尾島」
 朝日新聞1987年11月3日「群馬の朋子ちゃん不明事件、むりやり自供の訴え 工員ら抗議文」
 朝日新聞1988年9月16日「失跡1年、一斉聞き込み 朋子ちゃん事件、有力情報なし 群馬」
 読売新聞1988年11月28日「不明の小2少女か 子供の白骨散乱 群馬・利根川岸」
 朝日新聞1988年11月28日「行方不明になった少女の遺体? 河原に白骨 群馬・尾島町」
 朝日新聞1988年11月28日「群馬の白骨遺体は女児、強まる行方不明女児の可能性」
 朝日新聞1988年11月28日「「朋子ちゃん」に緊迫 利根川の白骨死体 群馬」
 朝日新聞1988年11月29日「利根川で発見の子供の白骨体 失跡の朋子ちゃんと酷似 群馬」
 朝日新聞1988年11月30日「血液型で詰め 朋子ちゃんと歯治療一致の利根川の白骨体 群馬」
 朝日新聞1988年12月8日「朋子ちゃんと断定 群馬の白骨体」
 朝日新聞1988年12月9日「変わり果てた朋子ちゃん 450日ぶりの悲しい帰宅 群馬」
 朝日新聞1989年3月13日「各所に食い違い 真理ちゃん事件、告白文・犯行声明 埼玉」
 読売新聞1989年10月5日「宮崎勤容疑者 未解決の3件、無関係と断定/捜査当局」
 朝日新聞1990年9月13日「捜査難航…もう3年 功明ちゃん事件・朋子ちゃん事件 群馬」
 日本経済新聞1991年12月2日「栃木県警、幼女殺害の元用務員逮捕-DNA鑑定が一致、他の3件も追求」
 朝日新聞1993年9月15日「風化と闘い執念の捜査 功明ちゃん・朋子ちゃん誘拐殺人事件 /群馬」
 朝日新聞2002年9月14日「朋子ちゃん、事件あす時効 群馬の誘拐殺人」
 朝日新聞2002年9月15日「大沢朋子ちゃん誘拐殺人事件、公訴時効が成立」
 読売新聞2002年11月28日「大沢朋子ちゃん事件時効 検察算定でも成立=群馬」
 清水潔、新潮社2013年12月20日初版「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」
 朝日新聞2017年9月15日「2人の父親、消えぬ傷 未解決の誘拐殺人事件から30年 /群馬県」