1979年8月、栃木県足利市に住む当時5歳の女児が、自宅そばの神社に一人で遊びに行って行方不明となった。そして6日後、渡良瀬川河川敷でリュックサックに詰められた腐乱死体となって発見される。
地域を震撼させた凶悪事件だが、物証や目撃証言に乏しく捜査は難航。犯人を特定できないまま殺人事件としての公訴時効が成立してしまった。
同じ足利市で発生した長谷部有美ちゃん殺害事件(1984年)や、松田真実ちゃん殺害事件(いわゆる足利事件、1990年)との関連が指摘されており、2021年現在では、いわゆる北関東幼女連続誘拐殺人事件の第一の事件と見做されている。
【神社で遊んでいた女の子】
1979年8月3日、栃木県足利市にて、福島万弥ちゃん(当時5歳)が突如行方不明になった。
万弥ちゃんは自宅に隣接する八雲神社を日頃から遊び場にしており、父親の譲さん(当時25歳)が昼食をとるため同日正午過ぎに会社から家へ戻った時には、普段と同じように境内で遊んでいたという。
譲さんは「ご飯だから家に帰りなさい」と声をかけたが、万弥ちゃんはきょとんとした顔で振り向いただけで家に戻ろうとはせず、譲さんも無理に連れ戻さずにそのまま遊ばせることにした。しかし、この瞬間が最後の確実な目撃情報となってしまう。この後、14時過ぎに母のまり子さんが神社付近を探しに出た時、万弥ちゃんは既に姿を消していた。
近隣住民の証言によれば、13時過ぎに、25〜30歳くらいのトレパンを履いた職人風の男と万弥ちゃんが八雲神社の境内で話をしているのが目撃されている。一方で、14時〜15時過ぎ、神社から約600メートルほど離れたあたりを、同年齢くらいの上半身裸の男の子と一緒に歩いていたとする証言もある。
【推理】
一見すれば上記職人風の男が連れ去りに関わったと見做せる。だが、万弥ちゃんらしき女の子と男児が一緒に歩いていたとされるのは、職人風の男が目撃されたのよりも後の時間帯だ。この上半身裸の男の子については、事件発生当時繰り返し報道されており目撃者も複数名いるため、簡単に無視していい情報とは思えない。
とはいえ、肝心の男児の身元も行方も全く判明していないから話は難しい。上半身裸で歩き回っているくらいだから、近隣に住んでいる可能性が高いが、名乗り出た者は皆無だ。事件に巻き込まれることを恐れて口を閉ざしたのだろうか。あるいは夏休みで遠方からたまたま遊びに来ていた子なのかもしれない。
いずれにせよ、万弥ちゃんの足取りは途中でプツリと途絶えており、正しく神隠しにでもあったかのようであった。
【無惨】
8月9日午後14時40分頃、渡良瀬川河川敷にて、万弥ちゃんの行方を捜していた警察官が、放置された不審なリュックサックを発見。口が開いており、そこからは子どもの足のようなものが見え、異臭がした。
果たして悪い予感は的中する。リュックの中身は、体をエビ状に曲げられて手足を紐で縛られ、黒いビニール袋に入れられた女の子の遺体であった。着衣はパンツ一枚で、万弥ちゃんが失踪時に着ていたピンクレディーの描かれたワンピースやサンダルは見つからなかったが、遺体を見た譲さんは「顔が崩れていてよくわからないが、髪型から万弥に違いない」と証言した。
司法解剖の結果、体に外傷は見られず、死因は窒息死と断定された。遺体の腐敗の程度から、失踪直後に殺害されたとみられている。また、リュックには雨に濡れた形跡があったため、足利市に大雨が降った8月8日以前に現場に遺棄されたようである。
殺害場所に関しては、遺体から検出されたアオダモ、アカマツなど六種類の植物の葉の植生からみて、八雲神社からほど近い織姫山中の可能性が高いとされている。
【捜査】
警察は1000人以上もの変質者をリストアップしたというが、そこからの絞り込みは全く進まなかった。
遺体の詰められたリュックサックは、1950年〜1955年頃に市内の業者「加賀屋」が製造したもので、注文に応じて数十個だけしか作られていない品。既製品の3倍近い値をつけたため、山岳会など自分の趣味に金をかけられる人が買っていったという。
報道によれば、県警は1992年1月16日時点で元々の購入者の男性を特定できている。しかし、足利市在住のこの男性は、50年〜55年に同リュックを購入して市内の山岳会の事務所で保管していたところ、数年後に紛失してしまったと話す。
紛失から事件発生まではかなりの年数が経過しているため、犯人が入手するまでに一体何人の間を渡ったのかは不明。確かなのは、元々の購入者である男性が捜査線から外れていることくらいだ。
【偽りの解決】
事件が動いたのは1991年12月のこと。1990年5月に同じ足利市で発生した松田真実ちゃん殺害事件の容疑者として菅家利和さん(当時45歳)が逮捕されたのである。
ご存知のとおり、これは杜撰なDNA鑑定と強制された自白に基づく冤罪だったわけだが、その取り調べの中で、菅家さんは福島万弥ちゃん事件と長谷部有美ちゃん事件への関与も自供させられた。
だが、真弥ちゃん事件と有美ちゃん事件に関しては、一応書類送検こそされたものの、嫌疑不十分で1993年2月26日に不起訴処分となる。物証が全く無く、リュックの入手経緯など自供も曖昧(というか全く荒唐無稽)であれば、当然の結果だろう。
警察は菅家さんの関与を確信しつつも証拠を揃えきれなかったとするが、遺族にとっては犯人が判明したのか否かハッキリしないモヤモヤした結末である。譲さんは「事件発生から10年以上が経過していて、このような結果になることは覚悟していた」としつつ、「自分で裁いてやりたい」と無念さをにじませた。
なお、譲さんとまり子さんは事件をきっかけに溝が深まって離婚しており、その後、まり子さんは菅家さんが本当は無罪だったと知ることなく48歳の若さで急死している。
【再起】
2007年より、日本テレビ記者の清水潔氏が、足利市で発生した上記3事件と、1987年2月に群馬県で発生した大沢朋子ちゃん誘拐殺人事件、そして1996年7月に同じく群馬県で発生した横山ゆかりちゃん誘拐事件は、同一犯による「北関東幼女連続誘拐殺人事件」との視点から調査報道を展開した。
綿密な調査報道の成果により、菅家さんは再審無罪が確定。これで清水記者の主張する5事件同一犯説の土台が整った。政府もとうとう5事件同一犯の可能性について「否定できない」と答弁した。
1993年に菅家さんが万弥ちゃん事件に関して不起訴処分となった時点で、まだ事件は公訴時効を迎えていなかった。「あの時に捜査が続いていれば、本当の犯人に近づけたかもしれない」と考えた譲さんは、菅家さんの再審開始直前、万弥ちゃん事件のリュックサックやビニール袋からのDNA抽出と、真実ちゃん事件で検出された犯人とされる人物のDNAとの照合を栃木県警に嘆願する。
栃木県警もこれに応じた。時効を過ぎた事件でDNA鑑定を実施する、すなわち事実上の再捜査を行うというのは極めて異例のことである。県警は鑑定実施の理由について「足利事件に関連する事件であり、遺族の心情も含め総合的に判断した」としている。だが、鑑定結果は「検出不能」やはり資料の保存状態がよくなかったらしい。
それでも譲さんは諦めない。2011年には横山ゆかりちゃんの父である保雄さんの呼びかけにより、一連の事件の遺族が初めて一堂に集まった。こうして発足した「足利・太田連続未解決事件家族会」は、今でも凶悪事件の真相を追い求めている。
【その他の事件】
功明ちゃん誘拐殺人事件(1987年)
大沢朋子ちゃんが誘拐される前日に群馬県高崎市で発生した事件。万弥ちゃんと同じように自宅近くの神社で遊んでいた4歳男児が誘拐され、中年の男から身代金を要求する電話が入るが、取引は成立せず男児は欄干から川に投げ捨てられて殺害されるという最悪の結末を迎えた。その上、犯人の男の身元も全く特定できないまま公訴時効が成立している。身代金目的の誘拐殺人事件では戦後唯一未解決とされる。
【出典】
下野新聞1979年8月6日「足利で五歳幼女が行方不明 神社境内で遊んでいて」
下野新聞1979年8月7日「万弥ちゃんはどこへ 足利 依然、手がかりなし」
下野新聞1979年8月8日「万弥ちゃん捜し難航 失跡から四日目 チラシ五万枚配る」
下野新聞1979年8月9日「きょう渡良瀬川岸捜索 足利不明の万弥ちゃん七日目」
下野新聞1979年8月10日「万弥ちゃん他殺体で発見 不明から一週間 リュック詰め、腐乱」
読売新聞1979年8月10日「リュック詰め幼女死体 姿消し6日、渡良瀬河原に 首に手で絞めたあと」
読売新聞1979年8月10日「変質者を洗う 万弥ちゃん殺し本格捜査」
下野新聞1979年8月11日「変質者などの聞き込みに全力 足利の万弥ちゃん殺し」
下野新聞1979年8月12日「地理に詳しい変質者?遺留品解明"短期決戦"へ」
下野新聞1979年8月13日「炎天下を大捜査作戦 万弥ちゃん殺人事件 ワンピースも発見できず」
下野新聞1979年8月14日「"連れの男の子"はだれ?万弥ちゃん殺人事件 失跡時の足取り追う」
下野新聞1979年8月15日「リュックを公開手配 万弥ちゃん殺人事件」
下野新聞1979年8月16日「万弥ちゃん殺人事件 犯人解明なお時間 有力な手がかり得られず」
下野新聞1979年8月17日「万弥ちゃん殺人事件 死体から腐葉土検出 屋外で殺された公算大」
下野新聞1979年8月18日「万弥ちゃん殺人事件 裸の子、小学生も目撃 午後一時から二時半ごろ 一緒にいたのは確実」
下野新聞1979年8月19日「ナゾ解くカギ、男の子 万弥ちゃん殺人事件 聞き込み捜査に全力」
下野新聞1979年9月2日「万弥ちゃん殺人事件 捜査難航、長期化の様相 八雲神社中心に 犯人は近くにいる?」
下野新聞1979年9月16日「万弥ちゃん殺し新事実続々 現場はカシの山林 ビニールヒモで首絞める」
朝日新聞1991年12月3日「「鑑定法あったら…」足利市内の未解決幼女殺害2事件」
下野新聞1991年12月4日「真実ちゃん殺害事件 2件の幼女殺しと関連か 捜査本部が「重大な関心」」
毎日新聞1991年12月17日「幼女殺害2件も追及ーー真実ちゃん殺害事件で栃木県警」
毎日新聞1991年12月22日「万弥ちゃん事件と有美ちゃん殺害も自供ーー真実ちゃん事件の容疑者」
下野新聞1991年12月22日「万弥ちゃん有美ちゃん殺害も自供 2件ともいたずら目的 幼女殺害 全面解決へ」
朝日新聞1991年12月23日「裏付け捜査に全力 足利幼女殺害未解決の2事件 万弥ちゃんに重点」
下野新聞1991年12月23日「万弥ちゃんで本格追求 足利3幼女殺害事件 リュック拾うと供述」
読売新聞1991年12月23日「幼児殺害の容疑者 万弥ちゃん入れたリュック自分のものと自供/栃木」
下野新聞1991年12月25日「万弥ちゃん殺害で再逮捕 真実ちゃん事件の被告 「織姫山で首絞めた」」
毎日新聞1991年12月25日「万弥ちゃん殺害容疑で再逮捕ーー真実ちゃん殺害容疑の被告」
読売新聞1991年12月25日「連続殺人の容疑者 「万弥ちゃん殺害」で再逮捕/栃木・足利署」
下野新聞1991年12月26日「万弥ちゃんで裏付け急ぐ 足利・3幼女殺害事件 リュックの出所は?」
朝日新聞1992年1月16日「捜査陣「歳月の壁厚く」万弥ちゃん事件容疑者、処分保留」
朝日新聞1992年1月16日「リュックの所有者判明 足利の50歳代男性 幼女殺害事件」
下野新聞1993年1月16日「万弥ちゃん事件は処分保留 「有美ちゃん」も立件断念」
毎日新聞1992年1月16日「自供あるが物証ない 万弥ちゃん事件、処分保留ーー宇都宮地検」
読売新聞1992年1月16日「栃木の幼女殺害 「万弥ちゃん」は処分保留 自供裏付け物証不十分/宇都宮地検」
朝日新聞1993年2月27日「厚かった時間の壁 足利の連続幼女殺害二事件は不起訴」
下野新聞1993年2月27日「足利・真実ちゃん事件の被告 2幼女殺害は不起訴 証拠不十分と宇都宮地検」
毎日新聞1993年2月27日「2女児殺害事件は不起訴にーー宇都宮地検」
読売新聞1993年2月27日「元幼稚園運転手の3幼女殺害事件 2幼女殺害は不起訴/宇都宮地検」
毎日新聞2009年9月23日「栃木・足利の幼稚園児殺害:時効事件、DNA鑑定へ 県警、遺族嘆願受け」
読売新聞2009年9月23日「時効の女児殺害 遺留品のDNA鑑定実施へ 「足利」関連事件/栃木県警」
毎日新聞2009年12月10日「栃木・足利の幼稚園児殺害:遺留品の鑑定で、DNA検出されず」
読売新聞2009年12月10日「時効の女児殺害 DNA鑑定「不能」 時間たち検出されず/栃木県警」
毎日新聞2010年12月14日「忘れない:「未解決」を歩く もう一つの足利事件、万弥ちゃん殺害」
読売新聞2011年6月30日「幼女被害5事件で家族会 福島万弥ちゃん父 解明求め参加決意」
地域を震撼させた凶悪事件だが、物証や目撃証言に乏しく捜査は難航。犯人を特定できないまま殺人事件としての公訴時効が成立してしまった。
同じ足利市で発生した長谷部有美ちゃん殺害事件(1984年)や、松田真実ちゃん殺害事件(いわゆる足利事件、1990年)との関連が指摘されており、2021年現在では、いわゆる北関東幼女連続誘拐殺人事件の第一の事件と見做されている。
【神社で遊んでいた女の子】
1979年8月3日、栃木県足利市にて、福島万弥ちゃん(当時5歳)が突如行方不明になった。
万弥ちゃんは自宅に隣接する八雲神社を日頃から遊び場にしており、父親の譲さん(当時25歳)が昼食をとるため同日正午過ぎに会社から家へ戻った時には、普段と同じように境内で遊んでいたという。
譲さんは「ご飯だから家に帰りなさい」と声をかけたが、万弥ちゃんはきょとんとした顔で振り向いただけで家に戻ろうとはせず、譲さんも無理に連れ戻さずにそのまま遊ばせることにした。しかし、この瞬間が最後の確実な目撃情報となってしまう。この後、14時過ぎに母のまり子さんが神社付近を探しに出た時、万弥ちゃんは既に姿を消していた。
近隣住民の証言によれば、13時過ぎに、25〜30歳くらいのトレパンを履いた職人風の男と万弥ちゃんが八雲神社の境内で話をしているのが目撃されている。一方で、14時〜15時過ぎ、神社から約600メートルほど離れたあたりを、同年齢くらいの上半身裸の男の子と一緒に歩いていたとする証言もある。
【推理】
一見すれば上記職人風の男が連れ去りに関わったと見做せる。だが、万弥ちゃんらしき女の子と男児が一緒に歩いていたとされるのは、職人風の男が目撃されたのよりも後の時間帯だ。この上半身裸の男の子については、事件発生当時繰り返し報道されており目撃者も複数名いるため、簡単に無視していい情報とは思えない。
とはいえ、肝心の男児の身元も行方も全く判明していないから話は難しい。上半身裸で歩き回っているくらいだから、近隣に住んでいる可能性が高いが、名乗り出た者は皆無だ。事件に巻き込まれることを恐れて口を閉ざしたのだろうか。あるいは夏休みで遠方からたまたま遊びに来ていた子なのかもしれない。
いずれにせよ、万弥ちゃんの足取りは途中でプツリと途絶えており、正しく神隠しにでもあったかのようであった。
【無惨】
8月9日午後14時40分頃、渡良瀬川河川敷にて、万弥ちゃんの行方を捜していた警察官が、放置された不審なリュックサックを発見。口が開いており、そこからは子どもの足のようなものが見え、異臭がした。
果たして悪い予感は的中する。リュックの中身は、体をエビ状に曲げられて手足を紐で縛られ、黒いビニール袋に入れられた女の子の遺体であった。着衣はパンツ一枚で、万弥ちゃんが失踪時に着ていたピンクレディーの描かれたワンピースやサンダルは見つからなかったが、遺体を見た譲さんは「顔が崩れていてよくわからないが、髪型から万弥に違いない」と証言した。
司法解剖の結果、体に外傷は見られず、死因は窒息死と断定された。遺体の腐敗の程度から、失踪直後に殺害されたとみられている。また、リュックには雨に濡れた形跡があったため、足利市に大雨が降った8月8日以前に現場に遺棄されたようである。
殺害場所に関しては、遺体から検出されたアオダモ、アカマツなど六種類の植物の葉の植生からみて、八雲神社からほど近い織姫山中の可能性が高いとされている。
【捜査】
警察は1000人以上もの変質者をリストアップしたというが、そこからの絞り込みは全く進まなかった。
遺体の詰められたリュックサックは、1950年〜1955年頃に市内の業者「加賀屋」が製造したもので、注文に応じて数十個だけしか作られていない品。既製品の3倍近い値をつけたため、山岳会など自分の趣味に金をかけられる人が買っていったという。
報道によれば、県警は1992年1月16日時点で元々の購入者の男性を特定できている。しかし、足利市在住のこの男性は、50年〜55年に同リュックを購入して市内の山岳会の事務所で保管していたところ、数年後に紛失してしまったと話す。
紛失から事件発生まではかなりの年数が経過しているため、犯人が入手するまでに一体何人の間を渡ったのかは不明。確かなのは、元々の購入者である男性が捜査線から外れていることくらいだ。
【偽りの解決】
事件が動いたのは1991年12月のこと。1990年5月に同じ足利市で発生した松田真実ちゃん殺害事件の容疑者として菅家利和さん(当時45歳)が逮捕されたのである。
ご存知のとおり、これは杜撰なDNA鑑定と強制された自白に基づく冤罪だったわけだが、その取り調べの中で、菅家さんは福島万弥ちゃん事件と長谷部有美ちゃん事件への関与も自供させられた。
だが、真弥ちゃん事件と有美ちゃん事件に関しては、一応書類送検こそされたものの、嫌疑不十分で1993年2月26日に不起訴処分となる。物証が全く無く、リュックの入手経緯など自供も曖昧(というか全く荒唐無稽)であれば、当然の結果だろう。
警察は菅家さんの関与を確信しつつも証拠を揃えきれなかったとするが、遺族にとっては犯人が判明したのか否かハッキリしないモヤモヤした結末である。譲さんは「事件発生から10年以上が経過していて、このような結果になることは覚悟していた」としつつ、「自分で裁いてやりたい」と無念さをにじませた。
なお、譲さんとまり子さんは事件をきっかけに溝が深まって離婚しており、その後、まり子さんは菅家さんが本当は無罪だったと知ることなく48歳の若さで急死している。
【再起】
2007年より、日本テレビ記者の清水潔氏が、足利市で発生した上記3事件と、1987年2月に群馬県で発生した大沢朋子ちゃん誘拐殺人事件、そして1996年7月に同じく群馬県で発生した横山ゆかりちゃん誘拐事件は、同一犯による「北関東幼女連続誘拐殺人事件」との視点から調査報道を展開した。
綿密な調査報道の成果により、菅家さんは再審無罪が確定。これで清水記者の主張する5事件同一犯説の土台が整った。政府もとうとう5事件同一犯の可能性について「否定できない」と答弁した。
1993年に菅家さんが万弥ちゃん事件に関して不起訴処分となった時点で、まだ事件は公訴時効を迎えていなかった。「あの時に捜査が続いていれば、本当の犯人に近づけたかもしれない」と考えた譲さんは、菅家さんの再審開始直前、万弥ちゃん事件のリュックサックやビニール袋からのDNA抽出と、真実ちゃん事件で検出された犯人とされる人物のDNAとの照合を栃木県警に嘆願する。
栃木県警もこれに応じた。時効を過ぎた事件でDNA鑑定を実施する、すなわち事実上の再捜査を行うというのは極めて異例のことである。県警は鑑定実施の理由について「足利事件に関連する事件であり、遺族の心情も含め総合的に判断した」としている。だが、鑑定結果は「検出不能」やはり資料の保存状態がよくなかったらしい。
それでも譲さんは諦めない。2011年には横山ゆかりちゃんの父である保雄さんの呼びかけにより、一連の事件の遺族が初めて一堂に集まった。こうして発足した「足利・太田連続未解決事件家族会」は、今でも凶悪事件の真相を追い求めている。
【その他の事件】
功明ちゃん誘拐殺人事件(1987年)
大沢朋子ちゃんが誘拐される前日に群馬県高崎市で発生した事件。万弥ちゃんと同じように自宅近くの神社で遊んでいた4歳男児が誘拐され、中年の男から身代金を要求する電話が入るが、取引は成立せず男児は欄干から川に投げ捨てられて殺害されるという最悪の結末を迎えた。その上、犯人の男の身元も全く特定できないまま公訴時効が成立している。身代金目的の誘拐殺人事件では戦後唯一未解決とされる。
【出典】
下野新聞1979年8月6日「足利で五歳幼女が行方不明 神社境内で遊んでいて」
下野新聞1979年8月7日「万弥ちゃんはどこへ 足利 依然、手がかりなし」
下野新聞1979年8月8日「万弥ちゃん捜し難航 失跡から四日目 チラシ五万枚配る」
下野新聞1979年8月9日「きょう渡良瀬川岸捜索 足利不明の万弥ちゃん七日目」
下野新聞1979年8月10日「万弥ちゃん他殺体で発見 不明から一週間 リュック詰め、腐乱」
読売新聞1979年8月10日「リュック詰め幼女死体 姿消し6日、渡良瀬河原に 首に手で絞めたあと」
読売新聞1979年8月10日「変質者を洗う 万弥ちゃん殺し本格捜査」
下野新聞1979年8月11日「変質者などの聞き込みに全力 足利の万弥ちゃん殺し」
下野新聞1979年8月12日「地理に詳しい変質者?遺留品解明"短期決戦"へ」
下野新聞1979年8月13日「炎天下を大捜査作戦 万弥ちゃん殺人事件 ワンピースも発見できず」
下野新聞1979年8月14日「"連れの男の子"はだれ?万弥ちゃん殺人事件 失跡時の足取り追う」
下野新聞1979年8月15日「リュックを公開手配 万弥ちゃん殺人事件」
下野新聞1979年8月16日「万弥ちゃん殺人事件 犯人解明なお時間 有力な手がかり得られず」
下野新聞1979年8月17日「万弥ちゃん殺人事件 死体から腐葉土検出 屋外で殺された公算大」
下野新聞1979年8月18日「万弥ちゃん殺人事件 裸の子、小学生も目撃 午後一時から二時半ごろ 一緒にいたのは確実」
下野新聞1979年8月19日「ナゾ解くカギ、男の子 万弥ちゃん殺人事件 聞き込み捜査に全力」
下野新聞1979年9月2日「万弥ちゃん殺人事件 捜査難航、長期化の様相 八雲神社中心に 犯人は近くにいる?」
下野新聞1979年9月16日「万弥ちゃん殺し新事実続々 現場はカシの山林 ビニールヒモで首絞める」
朝日新聞1991年12月3日「「鑑定法あったら…」足利市内の未解決幼女殺害2事件」
下野新聞1991年12月4日「真実ちゃん殺害事件 2件の幼女殺しと関連か 捜査本部が「重大な関心」」
毎日新聞1991年12月17日「幼女殺害2件も追及ーー真実ちゃん殺害事件で栃木県警」
毎日新聞1991年12月22日「万弥ちゃん事件と有美ちゃん殺害も自供ーー真実ちゃん事件の容疑者」
下野新聞1991年12月22日「万弥ちゃん有美ちゃん殺害も自供 2件ともいたずら目的 幼女殺害 全面解決へ」
朝日新聞1991年12月23日「裏付け捜査に全力 足利幼女殺害未解決の2事件 万弥ちゃんに重点」
下野新聞1991年12月23日「万弥ちゃんで本格追求 足利3幼女殺害事件 リュック拾うと供述」
読売新聞1991年12月23日「幼児殺害の容疑者 万弥ちゃん入れたリュック自分のものと自供/栃木」
下野新聞1991年12月25日「万弥ちゃん殺害で再逮捕 真実ちゃん事件の被告 「織姫山で首絞めた」」
毎日新聞1991年12月25日「万弥ちゃん殺害容疑で再逮捕ーー真実ちゃん殺害容疑の被告」
読売新聞1991年12月25日「連続殺人の容疑者 「万弥ちゃん殺害」で再逮捕/栃木・足利署」
下野新聞1991年12月26日「万弥ちゃんで裏付け急ぐ 足利・3幼女殺害事件 リュックの出所は?」
朝日新聞1992年1月16日「捜査陣「歳月の壁厚く」万弥ちゃん事件容疑者、処分保留」
朝日新聞1992年1月16日「リュックの所有者判明 足利の50歳代男性 幼女殺害事件」
下野新聞1993年1月16日「万弥ちゃん事件は処分保留 「有美ちゃん」も立件断念」
毎日新聞1992年1月16日「自供あるが物証ない 万弥ちゃん事件、処分保留ーー宇都宮地検」
読売新聞1992年1月16日「栃木の幼女殺害 「万弥ちゃん」は処分保留 自供裏付け物証不十分/宇都宮地検」
朝日新聞1993年2月27日「厚かった時間の壁 足利の連続幼女殺害二事件は不起訴」
下野新聞1993年2月27日「足利・真実ちゃん事件の被告 2幼女殺害は不起訴 証拠不十分と宇都宮地検」
毎日新聞1993年2月27日「2女児殺害事件は不起訴にーー宇都宮地検」
読売新聞1993年2月27日「元幼稚園運転手の3幼女殺害事件 2幼女殺害は不起訴/宇都宮地検」
毎日新聞2009年9月23日「栃木・足利の幼稚園児殺害:時効事件、DNA鑑定へ 県警、遺族嘆願受け」
読売新聞2009年9月23日「時効の女児殺害 遺留品のDNA鑑定実施へ 「足利」関連事件/栃木県警」
毎日新聞2009年12月10日「栃木・足利の幼稚園児殺害:遺留品の鑑定で、DNA検出されず」
読売新聞2009年12月10日「時効の女児殺害 DNA鑑定「不能」 時間たち検出されず/栃木県警」
毎日新聞2010年12月14日「忘れない:「未解決」を歩く もう一つの足利事件、万弥ちゃん殺害」
読売新聞2011年6月30日「幼女被害5事件で家族会 福島万弥ちゃん父 解明求め参加決意」