1984年6月、山梨県甲府市に住む山本美保さん(当時20歳)が突然失踪した。失踪から4日後、遠く離れた新潟県柏崎市の海岸で美保さんのバッグが発見されたものの、美保さん自身の行方は全く掴めず。

 その後、北朝鮮による日本人拉致問題が注目されるようになり、美保さんも北朝鮮による拉致の疑いが濃厚と見做されるようになったが、2004年3月5日に、山形県の海岸で20年前に発見された身元不明遺体が美保さんであると発表された。

 しかし、家族の預かり知らぬところで進められたDNA鑑定や、美保さんと一致しない遺体の身体的特徴、所持品など、不審な点が多くあり、家族は未だに美保さんの死を受け入れられていない。

【突然の失踪】
 1984年6月4日、山梨県甲府市在住の山本美保さん(1964年生まれ、当時20歳)は「図書館に行ってくる」と言って自宅を出てそのまま戻らなかった。

 6月6日、甲府駅前で美保さんの乗っていたバイクを発見。そして6月8日、新潟県柏崎市の海岸で美保さんのセカンドバッグを発見。バッグには美保さんの財布や免許証がそのまま入っていた。山本さん一家は新潟県柏崎市に縁もゆかりもない。何故こんなところで…。美保さん本人は一体どこへ行ってしまったのか。

 美保さんの父である山本光男さんは警察官であり、日本全国の身元不明遺体を調べ続けた。その中で数回、身元不明遺体との照合連絡があるも、いずれも歯並びなどの身体的特徴が合致せず、美保さんとは別人と判断されていた。

【怪電話】
 美保さん失踪半年後から4年半後まで、自宅に無言電話が何度もあった。ほとんどは数秒で切れるものだったが、時には10分以上続くこともあった。相手は家族が何か喋るのをじっと聞いている様子だったという。

 思い切って「美保でしょ、元気?」と問いかけたところ、かすかな声で「元気」と答えたこともあった。また、すすり泣くような声が聞こえたこともあった。やはり美保さんは事件に巻き込まれたのだろうか。それでも家族は美保さんの生存を信じ続けた。

【北朝鮮による拉致の疑い】
 1988年3月の参議院予算委員会にて、当時国家公安委員長であった梶山静六が、1978年7月から8月にかけて失踪した地村保志さん、濱本富貴恵さんらの失踪には「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁。以後、北朝鮮による日本人拉致問題が注目される。

 美保さんのバッグが発見された新潟県柏崎市の海岸といえば、美保さん失踪6年前の1978年7月に、蓮池薫さんと奥土祐木子さんが拉致された正にその場所である。また、蓮池さんは当時20歳、奥土さんは当時22歳であり、美保さんの年齢にも近い。よって、美保さんも北朝鮮によって拉致されたのではないかと考えるのはごく自然な帰結だろう。

 2002年9月17日、小泉純一郎首相と金正日総書記による日朝首脳会談。金正日総書記は拉致を認めて謝罪。翌10月に蓮池薫さんら5人が帰国する。

 日朝首脳会談の結果を受け、9月23日には美保さんも北朝鮮による拉致の疑いが濃厚と全国ニュースで報道。翌2003年1月に「特定失踪者問題調査会」が発足し、その第一回発表リストの40人に美保さんも入った。

 美保さんとの再会に希望をもった家族だが、2003年3月に光男さんが脳腫瘍で倒れ、5月19日に死去。そして翌2004年にはさらにショッキングなニュースが家族に届く。

【突然の遺体特定】
 2004年3月5日、美保さんの双子の妹である山本美砂さんの元に、山梨県警から連絡があった。県警曰く、山形県で発見された身元不明遺体と美砂さんのDNAが99.9999…%一致したという。美保さんと美砂さんは一卵性双生児であるから、その美砂さんとDNAの一致する遺体は美保さん以外いない、という結論だった。

 身元不明遺体は、1984年6月21日(美保さん失踪の17日後)に山形県遊佐町の海岸に漂着したもの。死因は溺死。遺体のほとんどは死蝋化あるいは白骨化していた。右腕はなく、左手も表皮が消滅しているため指紋は採取できず。さらに両脚は発見されなかった。両脚について、山形県警による遺体発見当時の捜査によれば、スクリューによる欠損の可能性があるという。また、歯が13本も抜け落ちていた。

 あまりに突然の発表に家族は不信感をもつ。まず、照合相手である妹の美砂さんのDNAを採取したことに関して、これは2003年4月26日(光男さんが入院している時期)に家族と県警が面会した場で、家族によれば県警は「今後の調査のために」とだけ説明して美砂さんの血液を採取したという。だが、県警は「美保さんと思われる遺体が2体あり、うち1体はDNA鑑定が可能なため鑑定を進めたい」とちゃんと説明したという。このような重要な説明を家族が聞き逃したということだろうか。これ以後もDNA鑑定を進めていることを県警は4度説明したというが、家族側はそれを全く承知していない。そもそも、正式なDNA鑑定であれば親子間で実施すべきところ、母親ではなく双子の妹、それも口腔粘膜ではなく血液を採取したのが不可解という指摘もある。

 遺体のDNAに関しても不自然な点はある。遺体のDNAは骨髄の粉から採取されたのだが、これは遺体発見当時(すなわち1984年)に司法解剖を行った山形大学教授が、自身のデスクに個人的な研究のために保管していたものである。そのことを2002年11月に知った山梨県警が取りに来たのだという。家族は教授と面会して実際の保管状況を確認しているが、デスクに鍵はかけられておらず、封筒の口は開けられていて、誰もが容易に触れる状態であった。常温で20年以上放置されていた資料を使うというのも如何なものか。

 県警は既に試料は使い切ったとし、再検証はできないと回答している。また、最も重要な鑑定書についても、家族の閲覧こそ認めたものの、謄写は認めなかった。写真撮影も認めていない。最初に家族に説明を行った際にも専門家の同席はなく、県警の担当者がただ読み上げるだけだったという。この鑑定書については今なお詳細不明のままだ。

【不信】
 実は、県警が裏でDNA鑑定を進めているとき、当該身元不明遺体について、その身体的特徴や遺留品を家族に写真を見せて確認している。だが、家族はそれを見て美保さんの遺体であることを否定した。というのも、美保さんは実家暮らしで、洗濯は母親が全て行っていたのだが、身元不明遺体の身につけていたジーンズ、ブラジャー、あるいはネックレスは美保さんが所有していたものと全く異なっていたのである。故に、家族は当該身元不明遺体が美保さんである可能性を完全に排除していたわけだが、上述のDNA鑑定の結果によりその認識が全てが覆されてしまった格好だ。

 遺体の体型に関しても、両脚が欠損しているためやや不確かではあるものの、衣類のサイズからして比較的スマートで、身長も160~170センチとみられ、ややぽっちゃりした体型であった美保さんと同一人物とは思えない。特に座高は大きく異なると指摘されている。遺体の状態についても、果たして失踪から17日で死蝋化あるいは白骨化することが有り得るのか、健康な20代女性の歯が13本も抜け落ちるようなことが有り得るのか、監察医など専門家は強く疑問を呈している。

 山梨県警の説明があまりにも曖昧であったため、記者クラブは異例の再質問を出した。しかし、県警捜査一課からの回答はあったものの、通常の記者会見形式でなく、カメラを入れずに説明された。しかも、DNAの鑑定時期など重要な質問に関しては「わからない、いえない」などというばかりで、全く中身のあるものではなかった。

 家族は2020年現在でも山梨県警による説明に納得しておらず、美保さんは北朝鮮による拉致にあったのだと考え、真相を追い求めている。

【参照したサイト】
 特定失踪者問題調査会による「山本美保さん事件」のページ
 マンガ形式で解説され、youtubeにも動画が投稿されている。
 https://www.chosa-kai.jp/documents/yamamotomiho

 「美保さんの家族を支援する会」のページ。既に消滅しているためInternet archiveの記録より。
 https://web.archive.org/web/20080516055312/http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/

 「電脳保管録」より山本美保さん事件に関するページ
 https://web.archive.org/web/20120126151616/http://nyt.trycomp.com/hokan/0034.html

 http://nyt.trycomp.com/hokan/0035.html

【新聞報道等】
 朝日新聞2004年3月5日「拉致疑いの山本美保さんは水死 双子の妹とDNA一致」
 読売新聞2004年3月6日「甲府の「拉致疑い濃厚」の女性、山形の水死体と確認