2000年12月30日深夜から翌31日未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷にて、一家4人が皆殺しにされる事件が発生した。幼い子ども2人までも殺害する残忍さ、現場に多くの痕跡を残した犯人の異常な行動、それでありながら長年犯人を特定できていないといった点から、日本における未解決殺人事件の中でも特によく知られた事件である。

 2010年の刑事訴訟法改正により殺人・強盗殺人事件の公訴時効は撤廃され、本事件は2020年現在も捜査が継続している。

【一家皆殺し】
 被害者は宮澤 みきおさん(当時44歳)、妻の泰子さん(41歳)、長女のにいなちゃん(8歳、小学2年生)、長男の礼くん(6歳、幼稚園年長組)の4人。

 隣接する住宅に泰子さんの母親(当時71歳)と姉夫婦が暮らしており、母親が31日午前10時40分頃に宮澤さん一家に内線電話をかけると通じず、不審に思って訪問したところで事件は発覚した。110番通報は10時56分。

 一家の死亡推定時刻は30日の23時半頃。19時過ぎに泰子さんと母親が内線で会話し、その後にいなちゃんが調味料を借りに来たのが生前最後の姿だった。なお、19時前には一家で買い物に出かけており、写真屋で写真を受け取るなどしていたことが分かっている。

【殺戮の夜】
 警察の捜査により現場での犯人の異常な行動が明らかにされているが、その行動からは動機が怨恨なのか強盗なのか読み取ることができず、結果として犯人像の絞り込みが難しくなっている。

 まず、犯人は住宅裏手にある2階浴室窓から侵入したと見做されている。裏手の公園と宮澤さん宅敷地は高さ1.8メートルのフェンスで仕切られており、そのフェンスによじ登って風呂のボイラーに足をかければ浴室窓に届く。窓は縦50センチ幅40センチとのことだが、これは成人でも体を捻るようにして侵入できることを確認済み。また網戸が外されて落下していたことからも、侵入経路についてはこれでほぼ確定といってよいだろう。

 窓から侵入した犯人は早速一家殺害を実行する。その殺害順は確定しておらず、いくつかの説があるが、概ね以下のとおり考えられている。

 すなわち、まず侵入した浴室から最も近い子ども部屋のベッド寝ていた礼くんを扼殺。次に1階で仕事をしていたみきおさんを刺殺した。みきおさんは2階へ続く階段の前に倒れており、履いていたスリッパが階段途中に残っていた。この点に関して、以前は物音に気づいたみきおさんが2階へ上がろうしたところ犯人と鉢合わせになり、刺殺されて階段から落ちたとみられていたが、現在では1階に現れた犯人から逃げるため、2階へ向かおうとしたところを背中から刺されたと考えられているようだ。

 みきおさんは全身をめった刺しにされており、頭部には凶器となった柳刃包丁の先端が突き刺さったまま残っていたともいわれる。いずれにせよ犯人はこの段階で自ら持ち込んだ凶器を破損してしまった。また、右手も負傷した。

 泰子さんとにいなちゃんは最後に殺害されたとみられる。2人は屋根裏部屋(ロフト)におり、寝ていたか目を覚ましていたのかは不明だが、ともかく無防備のところを犯人に襲われた。しかし上記のとおりみきおさんを襲う過程で柳刃包丁が破損したからか、致命傷にはならず、焦った犯人は1階台所まで戻って宮澤さん宅の文化包丁を持ち出してくる。

 その間に泰子さんとにいなちゃんは脱出を試みたものの、負傷していたためかそれは叶わなかった。そして最後は2階階段踊り場で新たな凶器を持った犯人にめった刺しされてしまう。泰子さんの遺体はにいなちゃんを守るかのような格好で倒れていた。遺体の出血の様子からは2人の死後も執拗に刺し続けていたことが伺えるという。

【物色開始】
 一家殺害を終えた犯人は宮澤さん宅の物色を開始する。住宅内のタンス、戸棚、机の引き出しが片っ端から開けられた。書類はみきおさんの遺体の周囲にぶちまけられ、空になった引き出しは遺体を覆い隠すように置かれていた。しかし書類の置き場所が無くなったか、若しくは1階の部屋の電気がついていると目立つからか、犯人は2階へ移動する。そして浴室内で仕分け作業の続きが行われた。浴室窓は犯人の侵入口でもあるため、いつでも逃げられるように考えていたのかもしれない。

 浴室内での書類仕分け作業により、みきおさんや泰子さんの仕事関係の書類や、新聞、チラシなどが水をはられたままの浴槽に次々と投げ込まれた。それら書類はハサミで切り刻まれていたとする報道もある。また、犯人が止血に使ったタオルや生理用品、宮澤さん宅のカギなども同様にして浴槽に投げ込まれていた。まるで浴槽をゴミ箱のように扱っている。

 泰子さんのハンドバッグ2個も物色されており、こちらはトイレで用を足しつつ物色されたらしい。トイレには大便が一部残っており、残留物の鑑定結果から一家のそれではなく犯人によるものと見做されている。
 
 一方でキャッシュカードや預金通帳、免許証などは2階居間のソファの上に丁寧に並べられていた。これはみきおさんや泰子さんの生年月日を確認し、カードの暗証番号などの情報を得ようとした可能性があるという。しかし年明けに銀行が営業するようになってからも金の動きは確認されなかった。暗証番号を割り出すことはできずに諦めたということか。

 結局、犯人により奪われたことが明らかなのは、泰子さんが経営していた塾(後述)の月謝約20万円と、みきおさんの財布からいくらかの紙幣である。だが、1階にあった現金入り封筒には手がつけられていなかったという報道もあり、中途半端な強盗という印象もある。単に見落としてしまっただけなのかもしれないが。

 冷蔵庫も漁られている。ペットボトルのお茶を取り出してコップに入れて飲み、メロンにかじりつくなどした模様。特に繰り返し報道されているのはアイスクリームで、犯人はどうやらカップ入りアイスを複数個たいらげたらしい。

 スプーンを使わずにカップを握りつぶすようにして食べていたこともよく言及される。単にスプーンを持ち出すのが面倒だったのか、右手を負傷していて使えなかったのかもしれない。カップは1階だけでなく2階からも発見されたとする報道があり、住宅内を物色しながらアイスを食べていたのだとしたら、スプーンを使わなかった(=利き手を空けておいた)のは不自然ではないだろう。また、ネット上では負傷した右手のアイシング目的で持ち出したとする推理を見かけた。なかなか興味深い。

 犯人は宮澤さん宅のパソコンを操作してインターネットに接続していたことも判明している。時間帯は31日の午前1時18分頃。みきおさんの会社ホームページや、「お気に入り」に入っていた劇団四季のホームページなどを閲覧していたという。ただし接続は短時間だったらしい。マウスからは犯人の指紋が検出されたが、キーボードからは検出されなかったとの情報もある。目的はよく分からないが、筆者としては、やはりカード暗証番号などの情報を探していたのだと思っている。なお、パソコン操作時もアイスを貪り食っていたようだ。

 31日午前10時過ぎにも再度接続があり、この事から犯人は現場に10時間以上留まっていたとセンセーショナルに報道されていたが、2014年12月になって、この2度目の接続は第一発見者である泰子さんの母親(あるいは捜査員など)が意図せずマウスを動かすなどしてしまったものと見做されるようになった。つまり、犯人は未明のうちに逃走した可能性が高いということだ。

 脱出は侵入と同じく2階浴室からと思われる。その後の逃走経路は全く不明。
 
【物証】
 返り血を浴びたためか、犯人はほぼ全身の衣類を脱いで現場に残していった。具体的には帽子、マフラー、ジャンパー、トレーナー、手袋、ハンカチ2枚、ヒップバッグである。詳細は警視庁サイトを参照されたい。

 ユニクロや無印良品などほとんどは大量流通品であるが、警察は「マルフル」又は「M / X」で販売されていたトレーナーに注目している。何故ならそれは事件発生時に全国で130着のみ、都内では10着のみ販売されていたからである。そのうち12着(都内のものは1着)の購入者は判明している。加えて帽子と手袋も同じ店舗で入手可能であった。

 また、みきおさんが日頃着ていたデサント製のトレーナーが無くなっており、返り血を浴びた犯人が着替えたものと考えられている。このトレーナーのサイズやデザインも公表されているが、仮に犯人が2020年現在存命だったとしても、手元に残しているとは考えづらく、とっくに処分してしまっているだろう。

 マフラーは出所がよく分かっていない。警視庁のサイトによれば、ゲームセンター(クレーンゲーム)の商品だったという情報があるという。他にも中学校制服販売店の景品、ガソリンスタンドの景品などという情報が寄せられたとのこと。

 ハンカチのうち1枚は中央付近に約3センチの切り込みがあった。その切込みにハンカチの他の部分を通して袋状にし、そこに包丁を差し込んで滑り止めのように使用したと分析されている。もう1枚は三角形に折られ、両端に絞ったような痕があることから、覆面として使った可能性があるとしている。

 ヒップバッグの中からは、砂が検出され、赤色蛍光剤が付着していた。この蛍光剤については、学生がよく用いるような蛍光ペンの痕跡とされている。無論、蛍光ペンは学生だけが使用するものではないが…。他に黒色の頭髪2本もあった。うち短い方は1.5ミリで、バリカンのようなもので切断されたとみられる。また、ヒップバッグとハンカチからは、ギ・ラロッシュ社製のドラッカーノワール(DRAKKAR NOIR)という香水が付着していることが特定されている。

 現場の足跡から犯人の履いていた靴も特定されている。ブランドはスラセンジャーで、サイズは27.5センチ。韓国製で、日本国内でも流通したが、27.5センチのものは韓国内でしか販売されていなかったとのこと。この事実は犯人韓国人説の一因であるが、並行輸入業者から買った可能性も排除はできない。因みに、韓国でのサイズ表記は「KOR280」になる。

 凶器は柳刃包丁。刃渡り21センチ。「関孫六 銀寿」という商品名。先述のとおり一家殺害の過程で先端を破損した。そのため、被害者宅の文化包丁も凶器として使用されている。

【地蔵】
 事件から100日目の2001年4月9日、事件現場の西側を流れる仙川の対岸で、一体のお地蔵様が発見された。材質は白御影石、台座も含めた全長は約59センチ、重量は19.5キロ。地蔵本体底面には漢字の「六」のような彫りこみがある。

 製造・販売・輸入情報無し。犯人又はその関係者か、あるいは事件に関係しない善意の第三者が置いた可能性も十分有り得るが、警視庁はこの地蔵に対する情報提供も呼びかけている。

【不祥事】
 2006年5月、小平署地域課の警部補が虚偽有印公文書作成・行使容疑で書類送検された。警部補は本事件に関する地域への聞き込み捜査などを行っていたが、住人が不在だったり協力を断られることがあったため、証言をでっちあげ、自分や妻の指紋を採取して報告書を提出するなどしていたという。停職3ヶ月の懲戒処分を受け、容疑の方は起訴猶予処分となった。
 
 2006年12月には被害者宅の2000年正月分の年賀状が無くなっていることが新たに判明。犯人が被害者との繋がりを隠蔽しようしたのではないかとされてきたが、これは捜査員が聞き込みのために持ち出してそのまま返却されていなかったことが2010年12月に明らかになった。

 また、不祥事というわけではないが、多くの物証がありながら犯人をまるで特定できないのは初動捜査に問題があったからだとしばしば批判がある。事件から20年が経ち、当初から捜査に関わっている者はもうほとんどいない。毎年のように新たな情報が公開されているものの、真相解明は果てしなく遠くなってしまったように思える。

【推理】
 宮澤さんは1990年6月に事件現場となる住宅に引っ越してきた。当時は周囲に住宅が約200世帯あったが、都立祖師谷公園の拡張に伴う立ち退きにより、事件当時は宮澤さん一家を含めて4世帯しか残っていなかった。一家も2001年3月に転居することが決まっていた中で事件は起こった。

 みきおさんはコーポレート・アイデンティティ(CI)関係の仕事をしており、警察は当初仕事に関係するトラブルの線で捜査をしたというが、進展は全く無かった。みきおさんは日記を几帳面につけており、そこからトラブルの兆候は全く伺えなかったという。

 泰子さんは隣接する姉夫婦宅の1階で、くもん式のフランチャイズで学習塾を営んでいた。未就学児から高校生までが通っていたというが、こちらの方面でのトラブルも確認されていない。最後に生徒やアルバイトの大学生が出入りしたのは12月28日とのこと。

 警察が推定する犯人像は、年齢はその服装(デザインも価格も)からして比較的若く、身長170センチ前後、性別は「男性」であるとしている。現場にはA型の血液が残されており、一家にA型の人間はいなかったことから、これは現場で右手を負傷した犯人によるものとされる。また、利き腕は右の可能性があるという。

 祖師谷公園にはスケートボードのできる広場があり、夜中に滑る迷惑スケートボーダーと宮澤さん宅でトラブルになっていたらしい。犯人が比較的若い人物とみられることから、スケートボーダー犯人説はしばしば唱えられている。

 犯人が残した衣類が当時流行りのストリートファッションにも関連すること、香水ドラッカーノワールはアメリカの有名プロスケートボーダーが愛用していたこと、他にバッグ内の物質がスケートボードの滑り止めに使うグリップテープが削られた粉末の可能性が高いといった情報が伝えられている。警視庁も「犯行時間帯前後に祖師谷公園内でスケボーをしていた人物」の情報提供を呼びかけている。同時に野球(キャッチボール)をしていた人物の情報も求めている。

 長期未解決事件となっている1995年の八王子スーパー「ナンペイ」店員射殺事件などと同じく、外国人犯行説もまた有力だ。上述のスラセンジャーのスニーカーを筆頭に、ハンカチを袋状にして滑り止めのように使った件、物証に付着していた砂などが外国でよく見られるものであったことなどが理由となる。

 DNA型が日本人にはやや少ない型であったとする情報もしばしば注目される。筆者個人的にはDNA型の件はあまり重要視していないが、それはともかくとして警視庁も外国人犯行説を排除していない模様で、ICPOとも連絡を取り合ったことが報道されている。

 外国人、だけに限ったことではないが、犯人は特に宮澤さん一家とは面識が無く、単に侵入しやすそうな家屋に強盗として押し入っただけということも十分考えられる。宮澤さん宅周辺に民家は少なく、東京23区内では稀なロケーションであった。

 発達障害のある礼くんがどれだけ大声を出しても気兼ねすることない立地を泰子さんは気に入っていたが、周囲の人間の目が無いことは防犯の面では不安である。泰子さんの姉(後述する入江杏さん)の証言によれば、泰子さんは不審者を見かけて通報したり、常夜灯の設置を公園の管理課に依頼したことがあったという。

 ただし、空き巣・強盗説の場合、どうして隣接する泰子さんの母親と入江杏さん夫婦宅を狙わなかったのか不可解ではある。入江杏さんも自身の著書でこの点に疑問を呈している。宮澤さん一家を殺害して宅内を物色しただけで時間と体力を使い果たしてしまったということだろうか。

【現場】
 立ち退きが決定していた宮澤さん宅であるが、本事件の発生により、警視庁は家屋の取り壊し期限を延長するよう要請した。結果として邸宅は残り続ける。これまで人気の少なかった土地にマスコミ取材が殺到し、警官が24時間体制で警備を行う事態になった。惨劇の第一発見者である泰子さんの母は「あの家を二度と見たくない。早く壊してほしい」と語っていたという。

 しかし家屋の経年劣化が進み、倒壊のおそれもでてきたことで、2019年3月に警視庁は遺族に対して取り壊しの協議を開始。警視庁は3D映像によるデータを収集済みで、2013年12月には3Dプリンターで製作された1/28スケールの宮澤邸も公開されている。その他証拠品についての保全も完了した。そして2019年12月26日には、取り壊し期限延長要請を解除することが警視庁から遺族に対して伝えられた。防護ネットは撤去され、24時間の警備も終了する。

 現場となった家屋が取り壊されれば、事件は風化し、ますます真相解明が遠のくのではないか。このまま何もせずに取り壊すことは受け入れられないと感じた入江杏さんは、2020年1月18日に住宅内の一部を報道陣向けに初めて公開。子どもたちの持ち物が時を止めたままあの家の中で残っている様子が生々しく伝えられた。

 遺族の要望もあって2020年12月現在も家屋は一応残されている。ただし安全管理のため、東京都が家屋周囲に高さ1.8メートルのフェンスを設置した。しかし警察による24時間警備が終了したこともあってか、早速そのフェンスに何者かが落書きをしたことが発覚しており、どうにも不穏な情勢である。

【遺族の活動】
 泰子さんの姉は妹一家を突然失ったことに大きなショックを受け、長い間取材も受け付けなかったが、やがて家族の励ましにより立ち直り、被害者遺族としての立場で活動を開始した。

 2006年5月に絵本「ずっとつながっているよ こぐまのミシュカのおはなし」を出版。名義は入江杏。しばしば本名のように誤解されているが、これは亡くなったにいなちゃん(NINA)と礼くん(REI)のアナグラムである。杏さんの息子が考案したという。物語は礼くんが大切にしていたクマのぬいぐるみ「ミシュカ」が主人公。幸せな一家の様子と、その一家との突然の別れによる悲しみと、しかし彼らの死後も繋がりは残り続けていることを描き、命の尊さを説いた絵本は反響を呼んだ。

 2007年12月には「この悲しみの意味を知ることができるなら」を出版。最も間近で事件を見た方による脚色無しの証言が克明に記されており、この事件に関する資料の中でも特に価値あるものの一つ。

 みきおさんの父である宮澤良行さんは、息子一家の無念を晴らすべく被害者遺族としての活動を積極的に行った。そして2009年2月に殺人事件被害者遺族の会「宙の会」を結成し、自らが会長を務めた。

 宙の会は殺人事件の公訴時効廃止を活動の主目的に掲げ、2010年4月の刑事訴訟法改正によりその主目的を果たす。その後も会の活動は続いており、現在は入江杏さんが参加している。

 2010年2月に入江杏さんの夫が60歳で急死。事件の第一発見者である泰子さんの母は2011年10月に82歳で死去。宮澤良行さんも2012年9月に84歳で亡くなった。

 みきおさんの母である宮澤節子さんと、入江杏さんが遺族代表として活動を続けているが、2020年現在で節子さんは90歳近くなり、入江杏さんも60歳を過ぎた。遺族に残された時間は段々と減っていく。

【懸賞金】
 2002年12月から宮澤良行さんにより最大200万円の私的懸賞金がかけられた。2007年4月からスタートした捜査特別報奨金制度には2007年12月より指定。期間は原則1年間だが、本事件については毎年更新され続けている。

 2020年12月現在は、捜査特別報奨金が最大300万円、「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件の捜査に協力する会」による私的懸賞金が最大1700万円かけられている。日本の未解決事件では最高額の懸賞金である。

【リンク】
 警視庁による情報提供ページは以下のとおり。本事件は非常に多くの情報が公開されている。他の事件ももっと情報公開に力を入れてほしいところだが…。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_11-20/seijo.html