1978年8月14日、東京都足立区立中川小学校に勤務する女性教師(当時29歳)が失踪した。
女性の行方は全く掴めず、一時は北朝鮮による拉致説も取り沙汰されたが、26年後の2004年8月になって一人の男が女性を殺害したとして綾瀬警察署に自首する。男は女性の最後の目撃者であった学校警備員で、女性の遺体を自宅床下に隠し続けていたが、区画整理により自宅が壊されることが決まり、事件の発覚を恐れて自首したのだった。
【夏休みの小学校で】
1978年8月14日、東京都足立区立中川小学校に勤務する石川 千佳子さん(1949年7月生まれ、当時29歳)が失踪した。給料日である翌15日、日直だった17日、プール当番だった22日、さらに日直だった23日にも登校せず、校長や教職員は不審に思い、校内や彼女の住むアパートを捜索する。また北海道の実家にも連絡を取ったが、行方は分からなかった。
石川さんは何処へ行ってしまったのか。彼女は7月末から8月上旬まで教職員組合主催のヨーロッパ研修に出ており、8月12日に帰国して14日は朝から小学校に出勤していた。当時の小学校は夏季休業中で、プール授業を別にすれば生徒は登校しておらず、学校にいるのは教頭や数名の教職員くらいだ。しかし彼らから決定的な証言は得られなかった。
【北朝鮮による拉致の可能性】
1987年11月に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、「李恩恵(リ・ウネ)」から日本語教育を受けたことを供述した。そして1988年3月の参議院予算委員会では、当時国家公安委員長であった梶山静六が、1978年7月から8月にかけて失踪した地村保志さん、濱本富貴恵さんらの失踪には「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
後に北朝鮮による拉致は「疑い」ではなく「事実」であることが判明するわけであるが、1977年~78年は多くの拉致が実行された年であり、そこに石川さんが含まれていると考えるのも決して無理筋ではない。「李恩恵」なる人物は、現在では田口八重子さんであると見做されているものの、石川さんの家族は千佳子さんが李恩恵なのではないかと考えた。そして遂に特定失踪者問題調査会へ届け出る。
その後21世紀になり、日朝首脳会談の場で金正日総書記は拉致事件を認めた。5人生存・8人死亡との情報が伝えられ、地村さんら5人が帰国を果たすことになるものの、そこに石川 千佳子さんの情報は全く無かった。やはり拉致ではなかったのだろうか。
【26年後の自首】
しかし石川さん失踪事件の全容は意外な形で判明する。失踪から26年が経過した2004年8月21日に一人の男が警視庁綾瀬警察署に自首したのである。男Wは1978年8月14日に中川小学校で警備員をしており、あの日の小学校校舎内で石川さんの首を絞めて殺害し、自宅床下に穴を掘って遺体を埋めたのだという。
何故、突然の自首に至ったのか。それは良心の呵責からではなく、石川さんの遺体を隠匿していた居宅が区画整理で取り壊されることが決まり、事件が発覚することを恐れたからであった。
8月22日の捜査で元・W宅の床下より白骨化した遺体と所持品を発見。DNA鑑定を実施した結果、9月29日に遺骨は千佳子さんのものであると確認。遺体が火葬された後、10月にはかつて同僚であった教諭らを中心に通夜と葬式が行われた。
【殺人警備員】
男Wは1936年3月生まれ。事件当時42歳。自首時68歳。因みに、全くの偶然であろうが、石川さんもWも共に北海道小樽市出身であった。
Wは高校卒業後に製缶会社や自衛隊など職業を転々と変えつつ、足立区の給食調理士として働いていた妻の紹介により、1973年4月1日より中川小学校の警備員として勤務を始めた。後の裁判で認定されたところによれば、Wは教室の戸締まりをめぐって教員と言い合いになったり、棍棒をもったり、ペットの猿を連れながら警備巡回する(!?)といった行動で教職員から敬遠される存在だったとのこと。
あの8月14日に何があったのか。Wの一方的な供述があるのみで、その全てが真実かは定かでないが、8月14日の午後16時半頃、Wが校舎を巡回していたところ、1階給食室前の廊下で石川さんとぶつかりそうになったという。石川さんはその日、プール当番の日直だった。Wが「こんなところで何をしている」と近寄ると、石川さんがバッグの様なもので突然顔を殴ってきた。Wがそれを払うと、石川さんは大声をあげる。
Wは日頃から弁当に睡眠薬を入れられ、有毒ガスをまかれるなど嫌がらせを受けていた。石川さんもまたWを罠にかけようとしてこのような行動を取ったのではないか。自分の立場に不安を覚えたWは、夢中になって石川さんの首を絞めて殺害する…。
Wはその日の勤務を終えるまで、石川さんの遺体を毛布でくるんだ上にロープで縛って自分の車のトランクに隠した。翌15日には東京都足立区にある自宅和室の床下へ移動させ、16日にはビニールシートで再度包みつつ、妻の留守中に床下に4時間かけてスコップで穴を掘って埋めた。裁判で認定されたところによれば、遺体を埋めた穴の上には掘り炬燵を作っていたらしい。
繰り返すが、以上はWの一方的な供述に基づく。石川さんの遺族は千佳子さんが温和な性格であり、先に攻撃を仕掛けるようなことなどあり得ないと否定する。しかし死人に口なし。真実は不明だ。ただ、W自身の供述内容や裁判で認定された事件当時の言動からしても、ほとんど被害妄想によるもの、もしくはまるで精神病であったかのように振る舞っただけではないかと思われる。
【遺体との暮らし】
Wは1991年3月末まで中川小学校に勤務し、1995年3月末に足立区を退職。その後も2004年7月下旬まで足立区の自宅で妻と床下の石川さんの遺体と共に暮らしていた。
その自宅は石川さんの失踪後にトタンで囲われるようになり、有刺鉄線が張られたり、さらにはサーチライトや防犯カメラも設置され、徹底的な防犯がなされた。外の通りから内部の様子はほとんど覗き込むことが出来ない。このような行為は、1994年頃に自宅が区画整理事業の対象地に指定されてからさらにエスカレートしたという。W自身は否定するが、このような行為は遺体発見をおそれて行ったとみて間違いないだろう。
報道によれば、Wは近所の人間とは挨拶も交わさず、近所で子どもが騒げば怒鳴り散らして棒を持って追いかけ回し、宅配便が来ても門の外で受け取っていたという。ゴミ出しなども妻に任せずW自身がやっており、近所の住人にはWが一人暮らしだと勘違いしている人もいたとか。執念を感じさせる。
区画整理の対象となり、周囲の住居の立ち退きが進む中でも、Wは用地買収に応じることを頑なに拒んだ。曰く「高齢の夫婦二人暮らしで移転できない」とのこと。しかし最後は観念して千葉へ転居。転居してから1ヶ月後にとうとう自首した。
【民事訴訟】
事件当時の殺人罪の公訴時効は15年。従って刑事事件としての立件は不可能であったが、石川さんの遺族は民事訴訟で争うことを求めた。2005年4月11日提訴。
民法724条では不法行為による損害賠償請求権の除斥について定めており、当時の条文後段では「不法行為の時から二十年を経過したとき」としている。
これについて原告は、被告の不法行為は遺体を埋めた土地上で生活し続けた行為も殺害・死体遺棄行為と一体の不法行為と見做すべきであり、不法行為の起算点は遺体の上での生活を終了した2004年8月22日であると主張した。あるいはその行為を不法行為と解さないとしても、被告が殺害行為を隠匿し続けたことにより、損害の顕在化が妨害されており、そのことを考慮すれば、時効の起算点は同8月22日か、DNA鑑定により遺体が石川さんと確認された9月29日になるとし、いずれにせよ損害賠償請求権は消滅していないと主張した。
また、足立区に対しても、被告Wを雇用していた責任に加え、石川さんの失踪当時から訴訟に至るまで調査に消極的であるとして、使用者責任や安全配慮義務違反による損害賠償を求めている。
【地裁判決】
2006年9月26日東京地裁判決。被告Wに対して原告ら3名各自に対して慰謝料100万円と弁護士費用10万円、計330万円の支払いを命じる。
Wに対する損害賠償請求権について、民法724条後段の20年の期間は、被害者側の認識の如何を問わず、請求権の存在期間を画一的に定めたものであると指摘。また、殺害による不法行為と遺体の隠匿による不法行為とは、事実経過としては一連のものであるとしても、法益侵害の性質・程度を大きく異にするものであり、一体的に評価することは困難であると認定。その上で、既に完了した重い法益侵害行為に引き続く軽い法益侵害行為が継続していることを理由に除斥期間の起算点を遅らせることは、法的安定性の観点から定められた法的趣旨に反すると述べた。そして殺害行為に対する損害賠償請求権は法律上当然に消滅したものと言わざるを得ないと断じた。
しかし、遺体を隠匿し続けたことは、遺族が個人に対して有する敬愛・追慕の念を侵害し、精神的苦痛を与えるものとして、それ単独で不法行為を形成すると指摘。この行為の除斥期間起算点は遺体発見時であるとし、約26年もの間、自宅床下に遺体を放置したということに対する慰謝料を、上記のとおり原告一人あたり100万円と算定した。
足立区の安全配慮義務に関しては、Wと小学校職員との関係が職務上円滑でなかったと認めつつ、その程度が職員の生命及び身体等に具体的な危険が生じていたと認識する状況まで至ってないとし、安全配慮義務違反はなかったとした。また、それを措くとしても、除斥期間経過により損害賠償請求は認められないとした。また、Wによる遺体隠匿行為は職務に関してなされたものではなく、損害賠償責任を負うことはないとされた。
しかしその後、2006年10月13日に地方公務員災害補償基金東京支部は、石川さんの死亡を公務災害(労災)と認定。死亡が確認された2004年を起点として、補償請求権の時効(5年)は成立していないとの判断だった。遺族には一時金など計約1020万円が支払われている。
足立区も、学校内での勤務時間中に起きた事件であることを重くみて、和解に向けて動き出す。2007年12月、和解金2500万円の支払いや、遺族に哀悼の意を表して再発防止に務めることなどを条件として和解成立。
【高裁判決】
2008年1月31日東京高裁判決。Wに対して被害者遺族2名(千佳子さんの母が2007年に亡くなったため、千佳子さんの兄弟)それぞれに慰謝料2127万6603円、計4255万3206円の支払いを命じる。
高裁判決では、遺体隠匿行為が独立の不法行為を構築することを否定した。被害者を殺害し、自宅床下にその遺体を隠し、26年間遺体を隠匿し続けたことは、近親者による被害者に対する敬慕の念、死者を懇ろに弔い埋葬したいという宗教的感情を損なうと指摘し、不法行為を構成することは明らかであるとする。その一方で、死体遺棄の不法行為は死体遺棄完了時点で終了しており、加害者が犯行発覚を恐れて死体遺棄の事実が露見しないよう画策したとしても、このことをもって被害者遺族に死体遺棄により被る法益侵害と別個の法益侵害を生じることはないと断じた。
また、民法724条の規定の趣旨は、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、被害者側の事情等は特に考慮することなく、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解されると述べる。そのため、規定を字義どおりに解釈すれば、法律関係を確定加害者による不法行為に対する損害賠償請求権は、上記のとおり、死体遺棄が完了した1978年8月15日から起算されると認定し、民法724条後段規定に基づき、本件提訴時に損害賠償請求権は法律上当然に消滅したことになるとされた。
しかしこれによれば、被害者遺族が、およそ権利行使が不可能な状況のまま、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されなくなる反面、殺害を行った加害者が20年の経過によって被害者への侵害賠償義務を免れるという結果は、著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ないと指摘。本件のような場合にあっては、被害者遺族を保護するために、民法724条後段の効果が制限されることは条理にもかなうとした。
民法160条では「相続財産に関しては、相続人が確定した時、管理人が選任された時又は破産手続開始の決定があった時から6ヶ月を経過するまでの間は、時効は、完成しない」と定める。その上で、被害者を殺害した加害者が、遺族が被害者の死亡の事実を知り得ない状況にし、相続人が確定しないまま殺害から20年が経過し、その後相続人が確定し、相続人がその時から6ヶ月以内に損害賠償請求権を行使した本件のような場合にあっては、民法160条の法意に照らして、民法724条後段の規定にかかわらず、損害賠償請求権は消滅していないと解するのが相当とした。
損害額の算定については、まず死亡による逸失利益を2537万7773円、死亡慰謝料1500万円、葬儀費用70万円とした。合計4107万7773円である。ここから、地方公務員災害補償基金より支払われた一時金のうち、遺族補償一時金571万6000円と総裁補償金34万2960円、計605万8960円が損益相殺の対象となり、これを民事法定利率年5分で計算した1978年当時の原価で計算して、252万4566円を控除する。控除後の残額は3855万3207円となる。これを原告2名に等分して1927万6603円。そこに各自弁護士費用200万を加え、原告それぞれへの賠償金額は2127万6603円と算出された。
Wが上告。
【最高裁判決】
2009年4月28日最高裁判決。上告を棄却。高裁判決が確定。なお、原田睦夫裁判官は、結論に賛成しつつ、民法724条後段規定の解釈に対して意見を加えている。
【その後】
Wは、石川さんや遺族に対して一切謝罪することは無かった。賠償金の支払いには、遺体を隠匿し続けた足立区の自宅を売って充てられ、自身は千葉県にある豪邸で何も変わらず暮らし続けた。
石川さんの父は娘の行方を知ることはできないまま1982年に胃がんで亡くなっている。母親は民事訴訟の結末を見届けることができずに2007年に力尽きた。なんとも残酷な結末である。
【判決文】
東京地裁平成17年(ワ)第168号
東京高裁平成18年(ネ)第5133号
最高裁平成20年(受)第804号
【出典】
朝日新聞2004年8月22日「26年前の殺人で男が自首 特定失踪者名簿の女性」
朝日新聞2004年8月23日「「26年前、女性殺した」男が自首、遺体発見 東京・足立区」
読売新聞2004年8月23日「拉致疑われた女性教諭失踪 26年前に殺害、男自首 元自宅床下から遺体/東京」
読売新聞2004年8月23日「26年前の殺人、元警備員供述「悲鳴あげられ口論」学校廊下で肩触れ」
朝日新聞2004年8月24日「「時効、知っていた」東京・足立区、26年前の殺害自首」
朝日新聞2004年10月2日「床下の遺体は女性教諭と確認 元警備員、書類送検へ」
朝日新聞2004年11月17日「26年前に教諭不明 自首した男を書類送検 殺人・死体遺棄容疑」
朝日新聞2005年5月31日「自首の男らに賠償請求 78年に不明・死亡教諭の遺族」
読売新聞2005年5月31日「殺人時効後に自首 遺族が賠償請求提訴」
朝日新聞2006年9月27日「時効殺人、賠償認めず 遺体隠し分は認定 東京地裁」
読売新聞2006年9月27日「28年前犯行、時効の事件 遺体隠しに賠償命令 殺人は賠償請求認めず/東京地裁」
読売新聞2006年9月30日「「時効殺人」賠償訴訟 遺族が控訴/東京高裁」
朝日新聞2006年10月14日「殺害26年後遺体発見の教諭は公務災害 東京・足立区」
読売新聞2006年10月14日「「時効殺人」小学教諭の労災認定 遺族に補償支給へ/地方公務員災害補償基金」
読売新聞2007年12月19日「「時効殺人」あす和解 足立区、女性教諭遺族へ2500万円支払い/東京高裁」
朝日新聞2007年12月20日「「時効殺人」和解へ 足立区と被害の教諭遺族」
読売新聞2007年12月20日「時効殺人」賠償訴訟の和解議案、足立区議会が可決」
読売新聞2007年12月21日「足立の時効殺人和解 遺族「区が責任認めた」 「加害者」には来月判決」
朝日新聞2008年2月1日「78年の教諭殺害、「時効」民事は認めず 高裁、男に賠償命令」
読売新聞2008年2月1日「時効適用せず賠償命令 教諭殺害26年後自首、1審を変更/東京高裁」
読売新聞2008年2月13日「教諭殺害の賠償訴訟 時効の26年後自首の男が上告」
産経ニュース2009年4月17日「「時効殺人」で遺族への賠償確定へ 最高裁」
朝日新聞2009年4月18日「31年前の殺人で賠償請求認める 最高裁が判決へ」
産経ニュース2009年4月28日「30年前の「時効殺人」賠償確定 最高裁、民法の除斤期間適用せず」
FNN2009年4月28日「時効成立後に殺人を自白した男に4,200万円の賠償を命じる判決 最高裁」
朝日新聞2009年4月29日「最高裁、賠償認める 東京・足立、26年後発覚の殺人事件」
読売新聞2009年4月29日「26年後自首「時効の殺人」賠償確定 最高裁、民法の例外認める」
女性の行方は全く掴めず、一時は北朝鮮による拉致説も取り沙汰されたが、26年後の2004年8月になって一人の男が女性を殺害したとして綾瀬警察署に自首する。男は女性の最後の目撃者であった学校警備員で、女性の遺体を自宅床下に隠し続けていたが、区画整理により自宅が壊されることが決まり、事件の発覚を恐れて自首したのだった。
【夏休みの小学校で】
1978年8月14日、東京都足立区立中川小学校に勤務する石川 千佳子さん(1949年7月生まれ、当時29歳)が失踪した。給料日である翌15日、日直だった17日、プール当番だった22日、さらに日直だった23日にも登校せず、校長や教職員は不審に思い、校内や彼女の住むアパートを捜索する。また北海道の実家にも連絡を取ったが、行方は分からなかった。
石川さんは何処へ行ってしまったのか。彼女は7月末から8月上旬まで教職員組合主催のヨーロッパ研修に出ており、8月12日に帰国して14日は朝から小学校に出勤していた。当時の小学校は夏季休業中で、プール授業を別にすれば生徒は登校しておらず、学校にいるのは教頭や数名の教職員くらいだ。しかし彼らから決定的な証言は得られなかった。
【北朝鮮による拉致の可能性】
1987年11月に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、「李恩恵(リ・ウネ)」から日本語教育を受けたことを供述した。そして1988年3月の参議院予算委員会では、当時国家公安委員長であった梶山静六が、1978年7月から8月にかけて失踪した地村保志さん、濱本富貴恵さんらの失踪には「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
後に北朝鮮による拉致は「疑い」ではなく「事実」であることが判明するわけであるが、1977年~78年は多くの拉致が実行された年であり、そこに石川さんが含まれていると考えるのも決して無理筋ではない。「李恩恵」なる人物は、現在では田口八重子さんであると見做されているものの、石川さんの家族は千佳子さんが李恩恵なのではないかと考えた。そして遂に特定失踪者問題調査会へ届け出る。
その後21世紀になり、日朝首脳会談の場で金正日総書記は拉致事件を認めた。5人生存・8人死亡との情報が伝えられ、地村さんら5人が帰国を果たすことになるものの、そこに石川 千佳子さんの情報は全く無かった。やはり拉致ではなかったのだろうか。
【26年後の自首】
しかし石川さん失踪事件の全容は意外な形で判明する。失踪から26年が経過した2004年8月21日に一人の男が警視庁綾瀬警察署に自首したのである。男Wは1978年8月14日に中川小学校で警備員をしており、あの日の小学校校舎内で石川さんの首を絞めて殺害し、自宅床下に穴を掘って遺体を埋めたのだという。
何故、突然の自首に至ったのか。それは良心の呵責からではなく、石川さんの遺体を隠匿していた居宅が区画整理で取り壊されることが決まり、事件が発覚することを恐れたからであった。
8月22日の捜査で元・W宅の床下より白骨化した遺体と所持品を発見。DNA鑑定を実施した結果、9月29日に遺骨は千佳子さんのものであると確認。遺体が火葬された後、10月にはかつて同僚であった教諭らを中心に通夜と葬式が行われた。
【殺人警備員】
男Wは1936年3月生まれ。事件当時42歳。自首時68歳。因みに、全くの偶然であろうが、石川さんもWも共に北海道小樽市出身であった。
Wは高校卒業後に製缶会社や自衛隊など職業を転々と変えつつ、足立区の給食調理士として働いていた妻の紹介により、1973年4月1日より中川小学校の警備員として勤務を始めた。後の裁判で認定されたところによれば、Wは教室の戸締まりをめぐって教員と言い合いになったり、棍棒をもったり、ペットの猿を連れながら警備巡回する(!?)といった行動で教職員から敬遠される存在だったとのこと。
あの8月14日に何があったのか。Wの一方的な供述があるのみで、その全てが真実かは定かでないが、8月14日の午後16時半頃、Wが校舎を巡回していたところ、1階給食室前の廊下で石川さんとぶつかりそうになったという。石川さんはその日、プール当番の日直だった。Wが「こんなところで何をしている」と近寄ると、石川さんがバッグの様なもので突然顔を殴ってきた。Wがそれを払うと、石川さんは大声をあげる。
Wは日頃から弁当に睡眠薬を入れられ、有毒ガスをまかれるなど嫌がらせを受けていた。石川さんもまたWを罠にかけようとしてこのような行動を取ったのではないか。自分の立場に不安を覚えたWは、夢中になって石川さんの首を絞めて殺害する…。
Wはその日の勤務を終えるまで、石川さんの遺体を毛布でくるんだ上にロープで縛って自分の車のトランクに隠した。翌15日には東京都足立区にある自宅和室の床下へ移動させ、16日にはビニールシートで再度包みつつ、妻の留守中に床下に4時間かけてスコップで穴を掘って埋めた。裁判で認定されたところによれば、遺体を埋めた穴の上には掘り炬燵を作っていたらしい。
繰り返すが、以上はWの一方的な供述に基づく。石川さんの遺族は千佳子さんが温和な性格であり、先に攻撃を仕掛けるようなことなどあり得ないと否定する。しかし死人に口なし。真実は不明だ。ただ、W自身の供述内容や裁判で認定された事件当時の言動からしても、ほとんど被害妄想によるもの、もしくはまるで精神病であったかのように振る舞っただけではないかと思われる。
【遺体との暮らし】
Wは1991年3月末まで中川小学校に勤務し、1995年3月末に足立区を退職。その後も2004年7月下旬まで足立区の自宅で妻と床下の石川さんの遺体と共に暮らしていた。
その自宅は石川さんの失踪後にトタンで囲われるようになり、有刺鉄線が張られたり、さらにはサーチライトや防犯カメラも設置され、徹底的な防犯がなされた。外の通りから内部の様子はほとんど覗き込むことが出来ない。このような行為は、1994年頃に自宅が区画整理事業の対象地に指定されてからさらにエスカレートしたという。W自身は否定するが、このような行為は遺体発見をおそれて行ったとみて間違いないだろう。
報道によれば、Wは近所の人間とは挨拶も交わさず、近所で子どもが騒げば怒鳴り散らして棒を持って追いかけ回し、宅配便が来ても門の外で受け取っていたという。ゴミ出しなども妻に任せずW自身がやっており、近所の住人にはWが一人暮らしだと勘違いしている人もいたとか。執念を感じさせる。
区画整理の対象となり、周囲の住居の立ち退きが進む中でも、Wは用地買収に応じることを頑なに拒んだ。曰く「高齢の夫婦二人暮らしで移転できない」とのこと。しかし最後は観念して千葉へ転居。転居してから1ヶ月後にとうとう自首した。
【民事訴訟】
事件当時の殺人罪の公訴時効は15年。従って刑事事件としての立件は不可能であったが、石川さんの遺族は民事訴訟で争うことを求めた。2005年4月11日提訴。
民法724条では不法行為による損害賠償請求権の除斥について定めており、当時の条文後段では「不法行為の時から二十年を経過したとき」としている。
これについて原告は、被告の不法行為は遺体を埋めた土地上で生活し続けた行為も殺害・死体遺棄行為と一体の不法行為と見做すべきであり、不法行為の起算点は遺体の上での生活を終了した2004年8月22日であると主張した。あるいはその行為を不法行為と解さないとしても、被告が殺害行為を隠匿し続けたことにより、損害の顕在化が妨害されており、そのことを考慮すれば、時効の起算点は同8月22日か、DNA鑑定により遺体が石川さんと確認された9月29日になるとし、いずれにせよ損害賠償請求権は消滅していないと主張した。
また、足立区に対しても、被告Wを雇用していた責任に加え、石川さんの失踪当時から訴訟に至るまで調査に消極的であるとして、使用者責任や安全配慮義務違反による損害賠償を求めている。
【地裁判決】
2006年9月26日東京地裁判決。被告Wに対して原告ら3名各自に対して慰謝料100万円と弁護士費用10万円、計330万円の支払いを命じる。
Wに対する損害賠償請求権について、民法724条後段の20年の期間は、被害者側の認識の如何を問わず、請求権の存在期間を画一的に定めたものであると指摘。また、殺害による不法行為と遺体の隠匿による不法行為とは、事実経過としては一連のものであるとしても、法益侵害の性質・程度を大きく異にするものであり、一体的に評価することは困難であると認定。その上で、既に完了した重い法益侵害行為に引き続く軽い法益侵害行為が継続していることを理由に除斥期間の起算点を遅らせることは、法的安定性の観点から定められた法的趣旨に反すると述べた。そして殺害行為に対する損害賠償請求権は法律上当然に消滅したものと言わざるを得ないと断じた。
しかし、遺体を隠匿し続けたことは、遺族が個人に対して有する敬愛・追慕の念を侵害し、精神的苦痛を与えるものとして、それ単独で不法行為を形成すると指摘。この行為の除斥期間起算点は遺体発見時であるとし、約26年もの間、自宅床下に遺体を放置したということに対する慰謝料を、上記のとおり原告一人あたり100万円と算定した。
足立区の安全配慮義務に関しては、Wと小学校職員との関係が職務上円滑でなかったと認めつつ、その程度が職員の生命及び身体等に具体的な危険が生じていたと認識する状況まで至ってないとし、安全配慮義務違反はなかったとした。また、それを措くとしても、除斥期間経過により損害賠償請求は認められないとした。また、Wによる遺体隠匿行為は職務に関してなされたものではなく、損害賠償責任を負うことはないとされた。
しかしその後、2006年10月13日に地方公務員災害補償基金東京支部は、石川さんの死亡を公務災害(労災)と認定。死亡が確認された2004年を起点として、補償請求権の時効(5年)は成立していないとの判断だった。遺族には一時金など計約1020万円が支払われている。
足立区も、学校内での勤務時間中に起きた事件であることを重くみて、和解に向けて動き出す。2007年12月、和解金2500万円の支払いや、遺族に哀悼の意を表して再発防止に務めることなどを条件として和解成立。
【高裁判決】
2008年1月31日東京高裁判決。Wに対して被害者遺族2名(千佳子さんの母が2007年に亡くなったため、千佳子さんの兄弟)それぞれに慰謝料2127万6603円、計4255万3206円の支払いを命じる。
高裁判決では、遺体隠匿行為が独立の不法行為を構築することを否定した。被害者を殺害し、自宅床下にその遺体を隠し、26年間遺体を隠匿し続けたことは、近親者による被害者に対する敬慕の念、死者を懇ろに弔い埋葬したいという宗教的感情を損なうと指摘し、不法行為を構成することは明らかであるとする。その一方で、死体遺棄の不法行為は死体遺棄完了時点で終了しており、加害者が犯行発覚を恐れて死体遺棄の事実が露見しないよう画策したとしても、このことをもって被害者遺族に死体遺棄により被る法益侵害と別個の法益侵害を生じることはないと断じた。
また、民法724条の規定の趣旨は、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、被害者側の事情等は特に考慮することなく、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解されると述べる。そのため、規定を字義どおりに解釈すれば、法律関係を確定加害者による不法行為に対する損害賠償請求権は、上記のとおり、死体遺棄が完了した1978年8月15日から起算されると認定し、民法724条後段規定に基づき、本件提訴時に損害賠償請求権は法律上当然に消滅したことになるとされた。
しかしこれによれば、被害者遺族が、およそ権利行使が不可能な状況のまま、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されなくなる反面、殺害を行った加害者が20年の経過によって被害者への侵害賠償義務を免れるという結果は、著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ないと指摘。本件のような場合にあっては、被害者遺族を保護するために、民法724条後段の効果が制限されることは条理にもかなうとした。
民法160条では「相続財産に関しては、相続人が確定した時、管理人が選任された時又は破産手続開始の決定があった時から6ヶ月を経過するまでの間は、時効は、完成しない」と定める。その上で、被害者を殺害した加害者が、遺族が被害者の死亡の事実を知り得ない状況にし、相続人が確定しないまま殺害から20年が経過し、その後相続人が確定し、相続人がその時から6ヶ月以内に損害賠償請求権を行使した本件のような場合にあっては、民法160条の法意に照らして、民法724条後段の規定にかかわらず、損害賠償請求権は消滅していないと解するのが相当とした。
損害額の算定については、まず死亡による逸失利益を2537万7773円、死亡慰謝料1500万円、葬儀費用70万円とした。合計4107万7773円である。ここから、地方公務員災害補償基金より支払われた一時金のうち、遺族補償一時金571万6000円と総裁補償金34万2960円、計605万8960円が損益相殺の対象となり、これを民事法定利率年5分で計算した1978年当時の原価で計算して、252万4566円を控除する。控除後の残額は3855万3207円となる。これを原告2名に等分して1927万6603円。そこに各自弁護士費用200万を加え、原告それぞれへの賠償金額は2127万6603円と算出された。
Wが上告。
【最高裁判決】
2009年4月28日最高裁判決。上告を棄却。高裁判決が確定。なお、原田睦夫裁判官は、結論に賛成しつつ、民法724条後段規定の解釈に対して意見を加えている。
【その後】
Wは、石川さんや遺族に対して一切謝罪することは無かった。賠償金の支払いには、遺体を隠匿し続けた足立区の自宅を売って充てられ、自身は千葉県にある豪邸で何も変わらず暮らし続けた。
石川さんの父は娘の行方を知ることはできないまま1982年に胃がんで亡くなっている。母親は民事訴訟の結末を見届けることができずに2007年に力尽きた。なんとも残酷な結末である。
【判決文】
東京地裁平成17年(ワ)第168号
東京高裁平成18年(ネ)第5133号
最高裁平成20年(受)第804号
【出典】
朝日新聞2004年8月22日「26年前の殺人で男が自首 特定失踪者名簿の女性」
朝日新聞2004年8月23日「「26年前、女性殺した」男が自首、遺体発見 東京・足立区」
読売新聞2004年8月23日「拉致疑われた女性教諭失踪 26年前に殺害、男自首 元自宅床下から遺体/東京」
読売新聞2004年8月23日「26年前の殺人、元警備員供述「悲鳴あげられ口論」学校廊下で肩触れ」
朝日新聞2004年8月24日「「時効、知っていた」東京・足立区、26年前の殺害自首」
朝日新聞2004年10月2日「床下の遺体は女性教諭と確認 元警備員、書類送検へ」
朝日新聞2004年11月17日「26年前に教諭不明 自首した男を書類送検 殺人・死体遺棄容疑」
朝日新聞2005年5月31日「自首の男らに賠償請求 78年に不明・死亡教諭の遺族」
読売新聞2005年5月31日「殺人時効後に自首 遺族が賠償請求提訴」
朝日新聞2006年9月27日「時効殺人、賠償認めず 遺体隠し分は認定 東京地裁」
読売新聞2006年9月27日「28年前犯行、時効の事件 遺体隠しに賠償命令 殺人は賠償請求認めず/東京地裁」
読売新聞2006年9月30日「「時効殺人」賠償訴訟 遺族が控訴/東京高裁」
朝日新聞2006年10月14日「殺害26年後遺体発見の教諭は公務災害 東京・足立区」
読売新聞2006年10月14日「「時効殺人」小学教諭の労災認定 遺族に補償支給へ/地方公務員災害補償基金」
読売新聞2007年12月19日「「時効殺人」あす和解 足立区、女性教諭遺族へ2500万円支払い/東京高裁」
朝日新聞2007年12月20日「「時効殺人」和解へ 足立区と被害の教諭遺族」
読売新聞2007年12月20日「時効殺人」賠償訴訟の和解議案、足立区議会が可決」
読売新聞2007年12月21日「足立の時効殺人和解 遺族「区が責任認めた」 「加害者」には来月判決」
朝日新聞2008年2月1日「78年の教諭殺害、「時効」民事は認めず 高裁、男に賠償命令」
読売新聞2008年2月1日「時効適用せず賠償命令 教諭殺害26年後自首、1審を変更/東京高裁」
読売新聞2008年2月13日「教諭殺害の賠償訴訟 時効の26年後自首の男が上告」
産経ニュース2009年4月17日「「時効殺人」で遺族への賠償確定へ 最高裁」
朝日新聞2009年4月18日「31年前の殺人で賠償請求認める 最高裁が判決へ」
産経ニュース2009年4月28日「30年前の「時効殺人」賠償確定 最高裁、民法の除斤期間適用せず」
FNN2009年4月28日「時効成立後に殺人を自白した男に4,200万円の賠償を命じる判決 最高裁」
朝日新聞2009年4月29日「最高裁、賠償認める 東京・足立、26年後発覚の殺人事件」
読売新聞2009年4月29日「26年後自首「時効の殺人」賠償確定 最高裁、民法の例外認める」