2003年11月24日、福島県いわき市において、暴力団組員が男性2人を射殺する事件が発生した。容疑者として首謀者、実行犯、共犯者の3人が逮捕される。事件の主な原因は女性を巡るトラブルだった。

 首謀者について死刑が求刑されたところ、一審・二審はともに無期懲役判決。しかし最高裁では、3人の裁判官が無期懲役判決を支持する一方で、2人の裁判官が情状酌量の余地は無く無期懲役判決を破棄して高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。死刑求刑事件における最高裁判決で反対意見が付くのは異例。

【事件の概要】
 2003年11月24日深夜、福島県いわき市において、男性A(当時26歳)と男性B(24歳)が射殺された。2人を撃ったのは暴力団組員の面川 昌功(23歳)という男。Aに対しては一発、Bに対しては二発、すべて至近距離から頭部に命中させていた。

 事件の首謀者は岡田 孝紀(25歳)である。実は被害者男性Aは暴力団組長の息子であり、傘下の組織を率いる立場であった。岡田はその傘下組織の幹部であり、面川と被害者男性Bは構成員である。岡田は、自分が交際している女性が組長の息子である男性Aとも交際していることを知り、女性を横取りされたと考えて強い恨みを抱いた。そして舎弟である面川と暴力団関係者である降矢 修一(25歳)に男性Aの殺害計画を持ちかけた。

 24日の午後22時40分頃に2人を殺害。現金約30万円入のサイフなど金品22点の入った約14万6900円相当のバッグを奪った上で、2人の遺体を双葉郡広野町の山林に埋めた。

 2003年12月15日までに3人共逮捕され、強盗殺人・銃砲刀剣類所持等取締法(いわゆる銃刀法)違反・死体遺棄の罪で起訴された。
 
【銃刀法における加重所持とは】
 銃刀法は拳銃の所持を禁じる。このとき、拳銃のみ所持していた場合は31条の3第1項が適用され、拳銃とそれに適合する実弾を所持していた場合は加重所持となり31条の3第2項が適用される。当然ながら加重所持の方が法定刑はより重く定められている。

 本事件の3被告は、自動式拳銃1丁と実弾7発、回転式拳銃2丁と実弾11発を所持していたことで、加重所持が適用されたのだった。

【公判】
 面川と降矢は起訴事実を認めた。岡田は「金を奪取する目的は無かった」として、強盗殺人ではなく殺人と窃盗を適用するよう主張した。

 論告求刑公判で検察は岡田と面川に死刑を求刑。岡田について「反省の情が欠如、更生は極めて困難」、面川について「実行犯であり刑事責任は極めて重い」と指摘した。降矢には真相解明に協力するなど反省の態度が見られることを評価し、「更生の見込みがないとは言えない」として無期懲役を求刑した。

【地裁判決・高裁判決】
 2005年4月22日、福島地裁判決。被告3人共に無期懲役判決。

 「恨みによる殺人の付加的なものだが、金を奪う計画があったことは疑いがない」として強盗殺人の成立を認めた。その上で「典型的な強盗殺人とは類型を異にする」として、岡田について「冷酷かつ非情な犯行だが反省の態度もあり、矯正の可能性がないとはいえない」と評価した。面川について「暴力団組織から脱退したいとの思いもあり、従属的に事件に関与し、殺害は岡田からの直前の指示があった」、「真摯な反省悔悟の情を示し、事件の解明にも寄与していること、比較的若年で前科もない」と評価した。降矢について「ほかの2人より刑事責任は重くないが酌量の余地はない」とした。

 降矢は控訴せずに無期懲役が確定。岡田と面川については弁護側・検察側双方が控訴。

 2005年12月22日、仙台高裁判決。双方の控訴を棄却。双方が上告。

【最高裁判決】
 2008年2月20日、最高裁判決。双方の上告を棄却。岡田と面川の無期懲役が確定。しかし事件首謀者である岡田の無期懲役判決について、5人の裁判官のうち2人が反対意見を述べた

 涌井・横尾・泉は、岡田について「自ら警察に出頭し、犯罪事実を大筋に認めていること、比較的若年で前科もないこと」を考慮すると、極刑に処するほかないものとまでは断定し難いとして、無期懲役判決を支持した。それに対して反対意見を述べたのが甲斐中と才口である。

【甲斐中の反対意見】
 原判決は岡田について「事件の主導者であって、面川に比しても、最も重い責任を負う立場にあることを照らすと、極刑は避けたがたいと考えられなくもない」と指摘した。しかし死刑を回避すべき事情として、①岡田の男性Aに対する恨みが主たる動機で、典型的強盗殺人とは類型が異なること、②岡田の性格は暴力団組織の中で助長されてきた側面があり、岡田のみを全面的に責められないこと、③暴力団組織内で生じた犯行であること、④拳銃は男性Aが岡田に預けていたものであり、男性Aの非として一定程度斟酌せざるを得ないこと、⑤岡田は比較的若年で更生の可能性が残されていること、を挙げていた。

 ①について、殺害実行前から金品強奪を計画、自分の女に手を出したという独善的な理由、男性Bを単にその場にいたからという理由で犯行発覚を防ぐために殺害、これら動機や犯意形成過程について、常軌を逸した悪質性、残虐性を認めることは容易であるが、どの部分においても酌量すべき事情があるとは評価できない。

 ②について、岡田は自らの意思で暴力団に加入し、その影響で反社会的性格を深めたと言っても、そのことは刑の量定上不利な事情として評価するのが当然であり、有利な事情とするのは明らかな誤りであり、到底国民の理解を得られない。

 ③について、被告・被害者双方が暴力団関係者で情状が酌量されるのは、示談が成立している場合や、被害者にも一定の非があることが考慮されるからであって、単純に被害者が暴力団関係者であるというだけの理由で情状が酌量されているわけではない。本事件の2被害者に落ち度はなく、動機からすれば一般人相手でも起こりうる事件であった。

 ④について、被害者が拳銃を所持していたことは違法行為として被害者自身が責任を負うべきであるが、拳銃の持主を云々するよりも、本件が拳銃を使用した凶悪犯罪であることを重視すべきである。本件犯罪を行ったことは、酌量すべき事情どころか犯行態様の悪質性、残虐性を端的に示す事情にほかならない。

 ⑤について、岡田の自首は、面川が逮捕された後も逃走を続け、犯行20日後になってようやく暴力団の報復から逃れるために出頭したもので、反省の情に基づくものではない。更に、犯行を大筋で認めた点についても、原判決は責任逃れな供述が目立つことを認めており、反省悔悟の情を見出すことはできない。年齢と前科が無い点については量刑上考慮すべきであるが、公判全体を通じても更生の可能性があるとは評価できない。

 以上から、死刑は窮極の刑罰であり、その適用には慎重であるべきだが、岡田については刑の量定(無期懲役)は甚だしく不当であり、破棄しなければ著しく正義に反する。死刑を回避するに足りる、特に酌量すべき事情があるか否かにつき更に審理を尽くさせるため、原裁判所に差し戻すべきである。

【才口の反対意見】
 本件犯行において、岡田の果たした役割は極めて重要であり、共犯者である面川の量刑とは差異があってしかるべきである。

 岡田は、2人殺害の19日前から死体遺棄場所の山中に穴を掘っていて、用意周到な計画があった。動機も女性をめぐる独善的怨恨にあり、宥恕事情はない。計画されていなかった男性Bの殺害も口封じのための巻き添えであって、これも弁解の余地はない。また、岡田は、自ら殺害実行準備をしていながら、犯行直前で面川に命令して殺害を実行させ、血痕や指紋の拭き取りを降矢に任せた。こうした行為は岡田の悪性の徴表であることはいうまでもない。被告・被害者双方が暴力団関係者であることは減刑の理由にならず、むしろ犯行現場が住宅街にあり、付近の住民に与えた衝撃は甚大であったといえる。遺族の被害者感情も峻烈であるが、岡田は現在も被害者らに対して何らの慰謝の措置も講じていない。

 現在、死刑の選択は「永山基準」をよすがとして、一般的基準が定着化しつつある。あくまで一般的基準であって、絶対的要件ではないが、法律の解釈のみならず、刑の量定等に関する判例の統一を図ることも最高裁判所の責務である。また、裁判員制度の実施を目前にして死刑と無期懲役との量刑基準を可能な限り明確にする必要もある

 これらの状況を踏まえると、岡田の罪責は極めて重大であって、死刑の選択をするほかないと断ぜざるを得ない。原判決の量定並びにこれを是認する多数意見には到底同調することができない。岡田については、死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるか否かにつき更に審理を尽くさせるため、事件を原裁判所に差し戻すべきである。

【死刑選択の難しさ】
 2009年5月から始まる裁判員裁判を目前にして、最高裁裁判官であっても死刑か無期懲役かの選択は難しいということが浮き彫りになった事件であった。

 2010年11月16日に横浜地裁において裁判員裁判では初となる死刑判決が出された。続いて11月25日に仙台地裁で2例目、12月7日宮崎地裁で3例目となる。当時会見に応じた裁判員たちは「一生悩み続ける」、「判決を出すのが怖かった」と述べている。

 一方で裁判員裁判が開始されて10年となる2019年5月時点では、裁判員裁判による死刑判決を高裁が破棄するケースが一つのトピックとなっている。該当事例は2019年5月時点では6件あり、いずれも最高裁判決若しくは検察の上告断念により無期懲役判決が確定している。2020年1月末には7件目がでた。死刑判決を破棄した主な理由は判例と照らしたことによるもの。この点について、ただ判例に当てはめて判決を下すだけならば「市民感覚を司法に生かす」として始まった裁判員裁判の趣旨を無にする、という批判がある。

 また、裁判員裁判の死刑判決破棄事例の6件目と7件目の主要な争点は、被告精神鑑定結果に基づく心身状態の評価に関する。裁判員裁判による有罪判決を高裁が破棄して無罪判決が確定した初の事例である「大分県竹田市母親殺害事件」も精神鑑定結果が主要な争点であった。一般市民である裁判員が短期間で精神鑑定結果を評価することにも難しさがある。これも今後の課題といえるだろう。
 
【裁判官の情報】
 涌井 紀夫(わくい のりお) 
  本事件の裁判長。1942年生まれ。2006年10月より最高裁判事。
  2009年12月17日に肺がんにより死去。67歳没。

 横尾 和子(よこお かずこ)
  1941年生まれ。厚労省出身。2001年12月より最高裁判事。2008年9月に依願退官。
  2008年11月に発生した元厚生事務次官連続襲撃事件では第3のターゲットとされていた。
  犯人は、横尾宅を訪れたが警備が厳しかったために襲撃を断念した、と述べている。

 泉 徳治(いずみ とくじ)
  1939年生まれ。2002年11月より最高裁判事。2009年1月に定年退官。
  定年退官後は弁護士登録し、TMI総合法律事務所の顧問弁護士を務める。
  
 甲斐中 辰夫(かいなか たつお)
  1940年生まれ。検察出身。2002年10月より最高裁判事。2010年1月に定年退官。
  定年退官後は弁護士登録し、卓照綜合法律事務所に加わる。

 才口 千晴(さいぐち ちはる)
  1938年生まれ。弁護士出身。2004年1月より最高裁判事。2008年9月に定年退官。
  定年退官後は弁護士再登録し、泉と同じくTMI総合法律事務所の顧問弁護士を務める。

【判決文】
 最高裁判決は裁判所ウェブサイトで参照可能。最高裁平成18年(あ)417号。

【出典】
 読売新聞2003年12月5日「知人2人殺害に関与 遺棄容疑の組員逮捕/福島・いわき中央署」
 読売新聞2003年12月6日「広野の山林から2人の他殺体 暴力団内部トラブルか 関係者から事情聞く=福島」
 読売新聞2003年12月7日「広野の2他殺体 至近距離から射殺 事件後、被害者のバッグ紛失=福島」
 読売新聞2003年12月26日「広野の2射殺体 遺棄容疑で暴力団組員を逮捕=北海道」
 読売新聞2004年1月31日「いわき2人射殺事件 強盗殺人などで3容疑者を起訴=福島」
 読売新聞2005年4月23日「いわきの強盗殺人 3被告に無期懲役 地裁判決=福島」
 読売新聞2005年12月23日「いわきの強盗殺人控訴審 地裁判決を支持=福島」
 読売新聞2006年1月6日「いわきの強盗殺人 仙台高検が上告 「極刑以外あり得ぬ」=福島」

 産経ニュース2008年2月22日「2人強殺事件で異例の反対意見 最高裁「更生可能性見いだせない」
 読売新聞2008年2月23日「福島の組員2人射殺 最高裁、判断割れる 1、2審の無期判決確定へ」
 朝日新聞2008年2月23日「無期3人、死刑2人 2人射殺事件で最高裁判事割れる」