2009年4月7日、大阪府大阪市淀川区にて、「夕方になっても娘が帰ってこない」と母親から捜索願が出された。行方不明になった女児は小学4年生。しかし家族の言動には不審な点があり、捜索願を出した母親、内縁の夫、知人男性の3人が事情聴取される。
取り調べに対して内縁の夫は「女児が死んだので死体を遺棄した」と自供した。女児は日常的に虐待を受けており、捜索願が出される前日までに死亡していたのだった。
【壊れた母親】
2004年3月、父親・母親 松本 美奈・長女・松本 聖香ちゃん・妹からなる5人家族が大阪市淀川区に転入してきた。シドニーオリンピックの年に生まれたから聖香(せいか)と名付けられた。聖香ちゃんと妹は双子である。5人はどこにでもいるような幸せそうな家族だった。しかし生活が困窮すると途端に母親の美奈は壊れていく。
夫婦はお好み焼き屋を経営していたが、あまり上手くいっていなかった。住宅ローンが大きな負担となり、美奈はファミリーレストランでアルバイトを始め、さらにホステスとしても働いた。必死に働いたのは立派といえるが、そのぶん育児は疎かになってしまう。2007年頃には、聖香ちゃんが同じマンションの住人に「ごはんを食べさせて」と助けを求めたことがあった。キッチンは食べ残しで虫が湧くような状態だったという。夫婦の仲は完全に冷え切っていた。
そんな美奈の前に現れたのが小林 康浩である。美奈は自らの父親から愛情を受けることなく育った過去があり、夫からも愛想をつかされてしまうと、自分に優しくしてくれる小林にあっという間に心酔した。美奈は男からの愛にひたすら飢えていた。そして娘たちへの愛はますます減っていく。
2008年11月10日、西淀川区の子育て支援室へ電話があった。美奈が長女の面倒を見ていないという親族からの通報だった。外出するときも双子(聖香ちゃんと妹)ばかり連れていて、姉妹が切り離されていた。通報された翌日11月11日に美奈は小林宅へと転居する。ここで、長女は父親についていき、聖香ちゃんと妹が美奈についていった。そして夫婦は離婚した。
【新しいお父さん】
小林宅へ転居した聖香ちゃんと妹は、冬休みを終えた2009年1月より新しい小学校に通い出した。しかし一週間後には早くも担任が聖香ちゃんの左頬に痣があることに気づく。
聖香ちゃんは「新しいお父さんに叩かれた」、「お父さんに叩かれたことがある」と言った。担任が家に電話をすると、美奈は「よく転んであざをつくる」などと答えた。学校内では虐待を懸念して対応が検討されたが、まだ転入して間もなく、新しい家族との関係が築けていない時期ということで、しばらく「見守る」ことを決めた。
1月末には妹だけが父親のもとへ戻ることが決まり、再度転校した。家族は母親 松本 美奈、内縁の夫 小林 康浩、聖香ちゃん、小林の息子(6歳)の4人に変わった。姉妹の中で最も甘えん坊で、美奈のことが大好きだった聖香ちゃんだけが残ったのだった。
3月中旬から更に不穏な様子となる。聖香ちゃんが「体調不良、発熱」を理由に学校欠席し続けたのだ。担任が心配して家庭訪問しようとするが、小林が「今は祖母のところに預けている」などと言って会わせなかった。修了式後に通知票などを届けようとした際も、小林は「今から出かけるので無理」、「自分も母親も夜遅くまで働いている」などと言って、自宅への訪問を頑なに拒否した。
この頃には近所の住人も虐待を疑い出す。マンションの階下の住人は、小林宅の悲鳴を聞いてDVを疑って110番通報した。このときは美奈が「ただの夫婦喧嘩」と答えてやり過ごした。マンション隣の空き地で測量をしていた作業員も、虐待を伺わせる怒声や激しい物音を聞き、こども110番の家にその様子を報告した。他にも聖香ちゃんがベランダで一人立たされている様子を多くの人が目撃していた。
【帰らない娘】
4月7日、この日は小林の息子の小学校入学式。美奈、小林、小林の同僚の杉本 充弘が出席した。そして家に帰ってくると、美奈は「聖香が家にいない、夕方になっても帰ってこない」などと警察に捜索願を出した。
美奈が警察に説明したところによると、この日の朝9時頃に聖香ちゃんに勉強しなさいと強く叱り、昼過ぎに入学式から帰ってきたらいなくなっていた、ということだった。学校へも連絡を入れた。父親の元にも警察から連絡がいった。父親と同居する長女と妹は心配して泣き出したという。
10日から公開捜査開始。父親が駅前のビラ配りに参加して情報提供を呼びかけた。事情を知った父親の友人たちも協力した。父親が聖香ちゃんに最後に会ったのは2月のこと。近況を尋ねると聖香ちゃんは気まずそうにしていたという。離婚した両親に気を使っているのか、子どもに心配をかけさせてはいけないと考えた父親は、何かあったらいつでも電話するように聖香ちゃんに伝えた。しかしその電話が鳴ることはなかった…。
一方で美奈たちは公開捜査に消極的だった。14日には淀川区内のホルモン屋で美奈と小林が談笑する様子を店員が目撃している。この店は美奈と小林が知り合った店で、かつては聖香ちゃんを連れてきたこともあったという。「実の娘がいなくなっているというのに…」普段と変わりない様子の美奈たちに店員は疑惑の目を向けた。
【逮捕】
4月23日、美奈、小林、杉本の3人を事情聴取。近所の住人たちが虐待の可能性を証言しており、疑惑は確信へと変わっていく。そして小林は聖香ちゃんの遺体を奈良県の墓地に埋めたことを認めた。
調べによれば、聖香ちゃんは4月5日の午後15時過ぎにマンションのベランダにて衰弱して死亡したという。小林は「遺体を捨てるか埋めるしかない」と言い、車の後部座席に遺体を積み込み、3人で奈良県にある墓地へ捨てに行った。つまり、美奈が警察に捜索願を出した時に聖香ちゃんは既に死亡しており、その遺体が遺棄されていたのだった。
美奈と小林は保護責任者遺棄致死罪と死体遺棄罪、杉本は死体遺棄罪で逮捕・起訴された。
【保護責任者遺棄致死罪とは】
保護責任者遺棄致死罪は、老年者・幼年者・身体障害者等を遺棄して死傷させる罪。刑法119条に規定。
小林たちの行為を殺人罪ではないかと指摘する声もあるが、小林たちは聖香ちゃんをベランダに閉め出した後も毛布や食事を与えるなどしており、明確な殺意を認定することが困難であることから、本事件において殺人罪での立件は断念されたと考えられる。
他に保護責任者遺棄致死罪を問われるケースは、パチンコ店の駐車場に子どもを放置していて死亡した場合、酔いつぶれたタクシー乗客を路上に放置してその客が車に轢かれて死亡した場合などが挙げられる。因みに、押尾学がホテルの一室でホステスと共にMDMAを服用した事件で、ホステスが意識不明になった後もそのまま放置して死亡したことで押尾は本罪に問われている。ただし裁判員裁判では遺棄致死の成立を認めず、保護責任者遺棄罪が適用された。
【虐待】
以下、地裁判決文を参照して聖香ちゃんへの虐待行為について記載する。
聖香ちゃんの妹も含めて小林宅へ転居した当初は、ごく普通の仲の良い生活を送っていたという。しかし小林が聖香ちゃんたちの勉強をみてやるようになると、小林は勉強を怠けたという理由で激しく叱責したり、顔面を平手打ちしたり、ベランダに立たせたり、夕食を抜きにしたりするようになった。
妹が家を出ていくと、小林による聖香ちゃんへの虐待はエスカレートする。頬をつねったり、拳で殴ったり、足を蹴ったりした。頬や顎のあたりはそれまで見たことがないくらい赤黒く腫れ上がった。髪の毛を引っ張ったりしたため、髪が抜けて地肌が見えるようにもなった。美奈も聖香ちゃんの頬をつねったことがあったという。
ベランダに放置する時間も長くなった。一晩中放置したこともあった。布団は使わせず、ベランダや玄関にレジャーシートを敷いて、その上で寝るように強要した。食事も小林が美奈に指示し、聖香ちゃんにだけ違うものが与えられた。1日におにぎり1個だけとか、バナナが1~3本だけとか…。
小林は聖香ちゃんに折りたたみナイフを突きつけたり、包丁を振り上げたこともあった。これには美奈も聖香ちゃんのことを庇ったが、小林は美奈にも激怒して「二人で出ていけ」と怒鳴った。美奈は小林にひたすら謝り続けて許してもらった。
無気力状態になった聖香ちゃんは、最早自力で立ち上がることも困難になった。風呂やトイレにも這って行くような状態。失禁することも度々であり、美奈が抱き上げてトイレに連れていくようになった。
【最期の時】
4月4日の夕方、小林・美奈・杉本・小林の息子の4人が外食に出かけようとする。聖香ちゃんも一緒に行きたい様子で、四つん這いの状態でカバンを持ちながら玄関までついてきた。しかし自力で靴を履くことができず、小林と美奈は見捨てて出ていった。
4月4日の夜、小林たちが帰宅。聖香ちゃんはトイレの前で倒れたまま失禁していた。小林は激怒し、雑巾を使って掃除するように言った。しかし聖香ちゃんはもう手を動かすことすらままならなかった。小林は「これからどうするつもりだ」と聖香ちゃんを脅す。聖香ちゃんが「みんなと一緒にいたい」と答えると激怒し、最終的に「施設に行く」と無理やり答えさせると、「今すぐ出ていけ」と怒鳴った。この日の小林はテレビのリモコンや木刀で殴りつけようとしたり、更には折りたたみナイフまで持ち出したため、美奈と杉本がどうにかなだめた。
日付が変わって5日の午前1時頃、聖香ちゃんはまたベランダに出された。下着の上に薄手のスウェットを着ただけ。2時頃には、小林の指示で美奈が雑炊を一杯だけ与えた。聖香ちゃんはゆっくりとそれを食べ終えた。美奈は子ども用のコートを渡したが、聖香ちゃんは着ようとしなかった。
5日の午前7時頃、小林が聖香ちゃんの様子を見に行くと、聖香ちゃんはモゾモゾと手を動かして「ひまわりを探している」とうわ言を言った。午前10時以降、聖香ちゃんが「のどが渇いている」と言ったため、ペットボトルを与えると一口、二口だけ口にした。午後15時過ぎ、小林はベランダで横になっていた聖香ちゃんに「まだここで寝るのか」と聞いた。聖香ちゃんは「眠たいからここで寝る、おやすみなさい」と答えた。30分後には反応がなくなった。
とうとう聖香ちゃんは死んだ。
【工作】
聖香ちゃんの反応がなくなると、小林は杉本を呼び出して様子を確認させた。死亡が確認されると、小林は「捨てるか埋めるしかない」と口にし、杉本にも処分を手伝わせた。なお、聖香ちゃんの死亡を確認した5日の夜も、小林の息子を含めた4人で居酒屋やカラオケボックスへ出かけている。
6日の朝、聖香ちゃんが家出をしたという虚偽の捜索願を出すことが決められた。ホームセンターへ行ってスコップを購入し、奈良の墓地へ下見にも行った。聖香ちゃんが失禁を繰り返してほとんどの下着を捨てていたため、警察に怪しまれないように子ども用の下着も購入している。
6日の午後22時40分頃、杉本の車の後部座席に遺体を積み込んで出発。7日の午前0時頃、奈良県の共同墓地に穴を掘り、裸にした聖香ちゃんの遺体を埋めた。
【裁判と判決~従犯の杉本 充弘~】
2009年9月4日、杉本の一審判決。求刑懲役2年6ヶ月のところ、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の判決。
裁判員裁判は一定の重大な犯罪に関わる事件が対象となるが、杉本は死体遺棄罪のみでの起訴だったため裁判官だけでの審理となった。死体遺棄が杉本の車で行われた点は「大きな役割を果たした」と評価されたものの、小林に従属的な立場だったこと、事件についても反省していると認められた。
杉本は、遺棄する以前にも小林による聖香ちゃんへの虐待を何度か目撃していた。亡くなる前日の4月4日に小林がテレビのリモコンや木刀で聖香ちゃんを殴りつけようとしたところ、美奈と共に間に割って入って庇った。どうにか小林による暴力を止めることはできたが、ベランダに放置されるという行為まで止めることはできなかった。ベランダに倒れている聖香ちゃんに「何もしてやれんでごめんな」と声をかけたところ、聖香ちゃんは「おっちゃんは悪くないよ」と答えたとされる。
【裁判と判決~松本 美奈~】
2010年7月21日、美奈の一審判決。裁判員裁判。求刑懲役12年のところ、懲役8年6ヶ月の判決。
小林の行為は躾ではなく虐待と評価すべきものであり、美奈は傷跡の残る危険性の高い暴力は止めようとしていたものの、その他の日常的な暴力は止めずに黙認していた認定された。小林とのメールのやり取りからは虐待に同調しているかのような様子さえ伺われた。これら行為について「実母としての愛情が著しく希薄になっていた」と指摘。「本件の犯情は悪く、刑事責任はかなり重いというべきであり、本件で刑の執行を猶予することはおよそ相当とはいえない」と断罪された。
ただし、3人の子どもを抱えて長年懸命に働いてきたこと、前科がなく元来犯罪的な傾向は窺われないこと、再犯に及ぶ可能性が乏しいことから、更生の可能性も考慮して求刑よりは軽い判決となった。
2011年4月9日、控訴審判決。控訴棄却。
【裁判と判決~小林 康浩~】
2010年8月2日、小林の一審判決。裁判員裁判。求刑懲役17年のところ、懲役12年の判決。
小林による聖香ちゃんへの虐待行為は、当初こそは勉強を怠けた際等に行われていたものであったが、やがては家から追い出そうという目的で行われるようになり、犯行動機は自己中心的で身勝手な動機なものとされた。また、主体的な犯行隠蔽行為や、「真摯な反省の情は一切窺われない」といった点から、これまでに前科や前歴が無かったとしても、「再犯に至る可能性も否定できないと言わざるを得ない」とされた。
そして「本件は、保護責任者遺棄致死事件等の類型の中でも、その非難の程度は極めて高いというべきである」と断罪された。しかし、他の事件と比較しても検察官による懲役17年という求刑が妥当とは言い難いとして、懲役12年の判決となった。
2011年4月28日、控訴審判決。美奈と同様に控訴棄却。
【本当の家族】
父親は3人の裁判を傍聴した。「遺族」として意見陳述も行った。
聖香ちゃんの妹が父親の家に戻ることが決まった時、聖香ちゃんも一度は「私も帰りたい」と言ったという。しかしお母さん子の聖香ちゃんは「やっぱりお母さんと一緒がいい」と言った。それでも祖父母や姉妹を含む「本当の家族」は離れて暮らしながら、ずっと聖香ちゃんのことを気にかけていた。双子の妹が聖香ちゃんと遊びたくて小林宅に電話をかけたときは、美奈が一方的に電話を切ってしまったというから酷い話だ。
聖香ちゃんの通夜は「松本」ではなく父親の苗字で行われた。父親は姉妹の前で事件の話はしないようにしているが、姉妹は毎朝仏壇の聖香ちゃんに挨拶し、食事や飲み物を供えることを欠かさずにしているという。
【対応】
大阪市によって本事件の検証結果報告書が作成され、学校や行政機関による対応の問題点が検証された。学校は虐待の可能性に気づいていた上で、一度「見守り」の方針を決めた後で再検討がされなかったこと、校内での情報共有に留まって教育委員会や児童相談所などへの通報がなされなかったこと、が主要な問題点として指摘されている。
2004年の改正児童虐待防止法は、実際に児童虐待を受けたことが確認された児童を発見したときだけでなく、児童虐待を受けたと思われる児童を発見した際も通告する義務が課せられている。しかし本事件では、DVの疑いでの110番通報や、子ども110番の家への情報共有はなされたものの、それ以上のところまで通報が届くことはなかったのだった。
【参考】
美奈と小林に対する地裁判決は裁判所ウェブサイトで確認可能。
大阪地裁平成21年(わ)第2154号。
大阪市による本事件の検証結果報告書は以下から確認可能。2009年8月付。
https://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000487294.html
【出典】
産経ニュース2010年7月12日「【聖香さん虐待死】「暴力止められなかった」松本被告、起訴内容を一部否認」
日本経済新聞2010年7月21日「西淀川女児虐待事件、母に実刑 裁判員裁判で大阪地裁判決」
産経ニュース2010年7月29日「【聖香さん虐待死】内縁の夫に求刑17年「しつけでなくイジメ。虐待を楽しんでいる」」
日本経済新聞2010年8月2日「大阪・西淀川の女児虐待死、母親の内縁の夫に懲役12年判決」
日本経済新聞2011年4月9日「西淀川の虐待死、二審も実刑判決 母親側の控訴棄却」
取り調べに対して内縁の夫は「女児が死んだので死体を遺棄した」と自供した。女児は日常的に虐待を受けており、捜索願が出される前日までに死亡していたのだった。
【壊れた母親】
2004年3月、父親・母親 松本 美奈・長女・松本 聖香ちゃん・妹からなる5人家族が大阪市淀川区に転入してきた。シドニーオリンピックの年に生まれたから聖香(せいか)と名付けられた。聖香ちゃんと妹は双子である。5人はどこにでもいるような幸せそうな家族だった。しかし生活が困窮すると途端に母親の美奈は壊れていく。
夫婦はお好み焼き屋を経営していたが、あまり上手くいっていなかった。住宅ローンが大きな負担となり、美奈はファミリーレストランでアルバイトを始め、さらにホステスとしても働いた。必死に働いたのは立派といえるが、そのぶん育児は疎かになってしまう。2007年頃には、聖香ちゃんが同じマンションの住人に「ごはんを食べさせて」と助けを求めたことがあった。キッチンは食べ残しで虫が湧くような状態だったという。夫婦の仲は完全に冷え切っていた。
そんな美奈の前に現れたのが小林 康浩である。美奈は自らの父親から愛情を受けることなく育った過去があり、夫からも愛想をつかされてしまうと、自分に優しくしてくれる小林にあっという間に心酔した。美奈は男からの愛にひたすら飢えていた。そして娘たちへの愛はますます減っていく。
2008年11月10日、西淀川区の子育て支援室へ電話があった。美奈が長女の面倒を見ていないという親族からの通報だった。外出するときも双子(聖香ちゃんと妹)ばかり連れていて、姉妹が切り離されていた。通報された翌日11月11日に美奈は小林宅へと転居する。ここで、長女は父親についていき、聖香ちゃんと妹が美奈についていった。そして夫婦は離婚した。
【新しいお父さん】
小林宅へ転居した聖香ちゃんと妹は、冬休みを終えた2009年1月より新しい小学校に通い出した。しかし一週間後には早くも担任が聖香ちゃんの左頬に痣があることに気づく。
聖香ちゃんは「新しいお父さんに叩かれた」、「お父さんに叩かれたことがある」と言った。担任が家に電話をすると、美奈は「よく転んであざをつくる」などと答えた。学校内では虐待を懸念して対応が検討されたが、まだ転入して間もなく、新しい家族との関係が築けていない時期ということで、しばらく「見守る」ことを決めた。
1月末には妹だけが父親のもとへ戻ることが決まり、再度転校した。家族は母親 松本 美奈、内縁の夫 小林 康浩、聖香ちゃん、小林の息子(6歳)の4人に変わった。姉妹の中で最も甘えん坊で、美奈のことが大好きだった聖香ちゃんだけが残ったのだった。
3月中旬から更に不穏な様子となる。聖香ちゃんが「体調不良、発熱」を理由に学校欠席し続けたのだ。担任が心配して家庭訪問しようとするが、小林が「今は祖母のところに預けている」などと言って会わせなかった。修了式後に通知票などを届けようとした際も、小林は「今から出かけるので無理」、「自分も母親も夜遅くまで働いている」などと言って、自宅への訪問を頑なに拒否した。
この頃には近所の住人も虐待を疑い出す。マンションの階下の住人は、小林宅の悲鳴を聞いてDVを疑って110番通報した。このときは美奈が「ただの夫婦喧嘩」と答えてやり過ごした。マンション隣の空き地で測量をしていた作業員も、虐待を伺わせる怒声や激しい物音を聞き、こども110番の家にその様子を報告した。他にも聖香ちゃんがベランダで一人立たされている様子を多くの人が目撃していた。
【帰らない娘】
4月7日、この日は小林の息子の小学校入学式。美奈、小林、小林の同僚の杉本 充弘が出席した。そして家に帰ってくると、美奈は「聖香が家にいない、夕方になっても帰ってこない」などと警察に捜索願を出した。
美奈が警察に説明したところによると、この日の朝9時頃に聖香ちゃんに勉強しなさいと強く叱り、昼過ぎに入学式から帰ってきたらいなくなっていた、ということだった。学校へも連絡を入れた。父親の元にも警察から連絡がいった。父親と同居する長女と妹は心配して泣き出したという。
10日から公開捜査開始。父親が駅前のビラ配りに参加して情報提供を呼びかけた。事情を知った父親の友人たちも協力した。父親が聖香ちゃんに最後に会ったのは2月のこと。近況を尋ねると聖香ちゃんは気まずそうにしていたという。離婚した両親に気を使っているのか、子どもに心配をかけさせてはいけないと考えた父親は、何かあったらいつでも電話するように聖香ちゃんに伝えた。しかしその電話が鳴ることはなかった…。
一方で美奈たちは公開捜査に消極的だった。14日には淀川区内のホルモン屋で美奈と小林が談笑する様子を店員が目撃している。この店は美奈と小林が知り合った店で、かつては聖香ちゃんを連れてきたこともあったという。「実の娘がいなくなっているというのに…」普段と変わりない様子の美奈たちに店員は疑惑の目を向けた。
【逮捕】
4月23日、美奈、小林、杉本の3人を事情聴取。近所の住人たちが虐待の可能性を証言しており、疑惑は確信へと変わっていく。そして小林は聖香ちゃんの遺体を奈良県の墓地に埋めたことを認めた。
調べによれば、聖香ちゃんは4月5日の午後15時過ぎにマンションのベランダにて衰弱して死亡したという。小林は「遺体を捨てるか埋めるしかない」と言い、車の後部座席に遺体を積み込み、3人で奈良県にある墓地へ捨てに行った。つまり、美奈が警察に捜索願を出した時に聖香ちゃんは既に死亡しており、その遺体が遺棄されていたのだった。
美奈と小林は保護責任者遺棄致死罪と死体遺棄罪、杉本は死体遺棄罪で逮捕・起訴された。
【保護責任者遺棄致死罪とは】
保護責任者遺棄致死罪は、老年者・幼年者・身体障害者等を遺棄して死傷させる罪。刑法119条に規定。
小林たちの行為を殺人罪ではないかと指摘する声もあるが、小林たちは聖香ちゃんをベランダに閉め出した後も毛布や食事を与えるなどしており、明確な殺意を認定することが困難であることから、本事件において殺人罪での立件は断念されたと考えられる。
他に保護責任者遺棄致死罪を問われるケースは、パチンコ店の駐車場に子どもを放置していて死亡した場合、酔いつぶれたタクシー乗客を路上に放置してその客が車に轢かれて死亡した場合などが挙げられる。因みに、押尾学がホテルの一室でホステスと共にMDMAを服用した事件で、ホステスが意識不明になった後もそのまま放置して死亡したことで押尾は本罪に問われている。ただし裁判員裁判では遺棄致死の成立を認めず、保護責任者遺棄罪が適用された。
【虐待】
以下、地裁判決文を参照して聖香ちゃんへの虐待行為について記載する。
聖香ちゃんの妹も含めて小林宅へ転居した当初は、ごく普通の仲の良い生活を送っていたという。しかし小林が聖香ちゃんたちの勉強をみてやるようになると、小林は勉強を怠けたという理由で激しく叱責したり、顔面を平手打ちしたり、ベランダに立たせたり、夕食を抜きにしたりするようになった。
妹が家を出ていくと、小林による聖香ちゃんへの虐待はエスカレートする。頬をつねったり、拳で殴ったり、足を蹴ったりした。頬や顎のあたりはそれまで見たことがないくらい赤黒く腫れ上がった。髪の毛を引っ張ったりしたため、髪が抜けて地肌が見えるようにもなった。美奈も聖香ちゃんの頬をつねったことがあったという。
ベランダに放置する時間も長くなった。一晩中放置したこともあった。布団は使わせず、ベランダや玄関にレジャーシートを敷いて、その上で寝るように強要した。食事も小林が美奈に指示し、聖香ちゃんにだけ違うものが与えられた。1日におにぎり1個だけとか、バナナが1~3本だけとか…。
小林は聖香ちゃんに折りたたみナイフを突きつけたり、包丁を振り上げたこともあった。これには美奈も聖香ちゃんのことを庇ったが、小林は美奈にも激怒して「二人で出ていけ」と怒鳴った。美奈は小林にひたすら謝り続けて許してもらった。
無気力状態になった聖香ちゃんは、最早自力で立ち上がることも困難になった。風呂やトイレにも這って行くような状態。失禁することも度々であり、美奈が抱き上げてトイレに連れていくようになった。
【最期の時】
4月4日の夕方、小林・美奈・杉本・小林の息子の4人が外食に出かけようとする。聖香ちゃんも一緒に行きたい様子で、四つん這いの状態でカバンを持ちながら玄関までついてきた。しかし自力で靴を履くことができず、小林と美奈は見捨てて出ていった。
4月4日の夜、小林たちが帰宅。聖香ちゃんはトイレの前で倒れたまま失禁していた。小林は激怒し、雑巾を使って掃除するように言った。しかし聖香ちゃんはもう手を動かすことすらままならなかった。小林は「これからどうするつもりだ」と聖香ちゃんを脅す。聖香ちゃんが「みんなと一緒にいたい」と答えると激怒し、最終的に「施設に行く」と無理やり答えさせると、「今すぐ出ていけ」と怒鳴った。この日の小林はテレビのリモコンや木刀で殴りつけようとしたり、更には折りたたみナイフまで持ち出したため、美奈と杉本がどうにかなだめた。
日付が変わって5日の午前1時頃、聖香ちゃんはまたベランダに出された。下着の上に薄手のスウェットを着ただけ。2時頃には、小林の指示で美奈が雑炊を一杯だけ与えた。聖香ちゃんはゆっくりとそれを食べ終えた。美奈は子ども用のコートを渡したが、聖香ちゃんは着ようとしなかった。
5日の午前7時頃、小林が聖香ちゃんの様子を見に行くと、聖香ちゃんはモゾモゾと手を動かして「ひまわりを探している」とうわ言を言った。午前10時以降、聖香ちゃんが「のどが渇いている」と言ったため、ペットボトルを与えると一口、二口だけ口にした。午後15時過ぎ、小林はベランダで横になっていた聖香ちゃんに「まだここで寝るのか」と聞いた。聖香ちゃんは「眠たいからここで寝る、おやすみなさい」と答えた。30分後には反応がなくなった。
とうとう聖香ちゃんは死んだ。
【工作】
聖香ちゃんの反応がなくなると、小林は杉本を呼び出して様子を確認させた。死亡が確認されると、小林は「捨てるか埋めるしかない」と口にし、杉本にも処分を手伝わせた。なお、聖香ちゃんの死亡を確認した5日の夜も、小林の息子を含めた4人で居酒屋やカラオケボックスへ出かけている。
6日の朝、聖香ちゃんが家出をしたという虚偽の捜索願を出すことが決められた。ホームセンターへ行ってスコップを購入し、奈良の墓地へ下見にも行った。聖香ちゃんが失禁を繰り返してほとんどの下着を捨てていたため、警察に怪しまれないように子ども用の下着も購入している。
6日の午後22時40分頃、杉本の車の後部座席に遺体を積み込んで出発。7日の午前0時頃、奈良県の共同墓地に穴を掘り、裸にした聖香ちゃんの遺体を埋めた。
【裁判と判決~従犯の杉本 充弘~】
2009年9月4日、杉本の一審判決。求刑懲役2年6ヶ月のところ、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の判決。
裁判員裁判は一定の重大な犯罪に関わる事件が対象となるが、杉本は死体遺棄罪のみでの起訴だったため裁判官だけでの審理となった。死体遺棄が杉本の車で行われた点は「大きな役割を果たした」と評価されたものの、小林に従属的な立場だったこと、事件についても反省していると認められた。
杉本は、遺棄する以前にも小林による聖香ちゃんへの虐待を何度か目撃していた。亡くなる前日の4月4日に小林がテレビのリモコンや木刀で聖香ちゃんを殴りつけようとしたところ、美奈と共に間に割って入って庇った。どうにか小林による暴力を止めることはできたが、ベランダに放置されるという行為まで止めることはできなかった。ベランダに倒れている聖香ちゃんに「何もしてやれんでごめんな」と声をかけたところ、聖香ちゃんは「おっちゃんは悪くないよ」と答えたとされる。
【裁判と判決~松本 美奈~】
2010年7月21日、美奈の一審判決。裁判員裁判。求刑懲役12年のところ、懲役8年6ヶ月の判決。
小林の行為は躾ではなく虐待と評価すべきものであり、美奈は傷跡の残る危険性の高い暴力は止めようとしていたものの、その他の日常的な暴力は止めずに黙認していた認定された。小林とのメールのやり取りからは虐待に同調しているかのような様子さえ伺われた。これら行為について「実母としての愛情が著しく希薄になっていた」と指摘。「本件の犯情は悪く、刑事責任はかなり重いというべきであり、本件で刑の執行を猶予することはおよそ相当とはいえない」と断罪された。
ただし、3人の子どもを抱えて長年懸命に働いてきたこと、前科がなく元来犯罪的な傾向は窺われないこと、再犯に及ぶ可能性が乏しいことから、更生の可能性も考慮して求刑よりは軽い判決となった。
2011年4月9日、控訴審判決。控訴棄却。
【裁判と判決~小林 康浩~】
2010年8月2日、小林の一審判決。裁判員裁判。求刑懲役17年のところ、懲役12年の判決。
小林による聖香ちゃんへの虐待行為は、当初こそは勉強を怠けた際等に行われていたものであったが、やがては家から追い出そうという目的で行われるようになり、犯行動機は自己中心的で身勝手な動機なものとされた。また、主体的な犯行隠蔽行為や、「真摯な反省の情は一切窺われない」といった点から、これまでに前科や前歴が無かったとしても、「再犯に至る可能性も否定できないと言わざるを得ない」とされた。
そして「本件は、保護責任者遺棄致死事件等の類型の中でも、その非難の程度は極めて高いというべきである」と断罪された。しかし、他の事件と比較しても検察官による懲役17年という求刑が妥当とは言い難いとして、懲役12年の判決となった。
2011年4月28日、控訴審判決。美奈と同様に控訴棄却。
【本当の家族】
父親は3人の裁判を傍聴した。「遺族」として意見陳述も行った。
聖香ちゃんの妹が父親の家に戻ることが決まった時、聖香ちゃんも一度は「私も帰りたい」と言ったという。しかしお母さん子の聖香ちゃんは「やっぱりお母さんと一緒がいい」と言った。それでも祖父母や姉妹を含む「本当の家族」は離れて暮らしながら、ずっと聖香ちゃんのことを気にかけていた。双子の妹が聖香ちゃんと遊びたくて小林宅に電話をかけたときは、美奈が一方的に電話を切ってしまったというから酷い話だ。
聖香ちゃんの通夜は「松本」ではなく父親の苗字で行われた。父親は姉妹の前で事件の話はしないようにしているが、姉妹は毎朝仏壇の聖香ちゃんに挨拶し、食事や飲み物を供えることを欠かさずにしているという。
【対応】
大阪市によって本事件の検証結果報告書が作成され、学校や行政機関による対応の問題点が検証された。学校は虐待の可能性に気づいていた上で、一度「見守り」の方針を決めた後で再検討がされなかったこと、校内での情報共有に留まって教育委員会や児童相談所などへの通報がなされなかったこと、が主要な問題点として指摘されている。
2004年の改正児童虐待防止法は、実際に児童虐待を受けたことが確認された児童を発見したときだけでなく、児童虐待を受けたと思われる児童を発見した際も通告する義務が課せられている。しかし本事件では、DVの疑いでの110番通報や、子ども110番の家への情報共有はなされたものの、それ以上のところまで通報が届くことはなかったのだった。
【参考】
美奈と小林に対する地裁判決は裁判所ウェブサイトで確認可能。
大阪地裁平成21年(わ)第2154号。
大阪市による本事件の検証結果報告書は以下から確認可能。2009年8月付。
https://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000487294.html
【出典】
産経ニュース2010年7月12日「【聖香さん虐待死】「暴力止められなかった」松本被告、起訴内容を一部否認」
日本経済新聞2010年7月21日「西淀川女児虐待事件、母に実刑 裁判員裁判で大阪地裁判決」
産経ニュース2010年7月29日「【聖香さん虐待死】内縁の夫に求刑17年「しつけでなくイジメ。虐待を楽しんでいる」」
日本経済新聞2010年8月2日「大阪・西淀川の女児虐待死、母親の内縁の夫に懲役12年判決」
日本経済新聞2011年4月9日「西淀川の虐待死、二審も実刑判決 母親側の控訴棄却」