2022年10月27日 京都新聞の報道によれば、京都府警は特定危険指定暴力団工藤会系の組幹部の男(56)が関与した疑いが強まったとして、殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕状を取ったとのことです。今後事件に進展がありましたら記事を更新します。
出典:https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/907800
以下は2020年6月23日に作成した記事内容です。
2013年12月19日、京都府京都市山科区にて、中華料理チェーン店「餃子の王将」を経営する株式会社王将フードサービスの社長が射殺された。人気チェーン店の社長が会社の前で射殺されるという事件は社会に衝撃を与えた。
拳銃が使われていることや、歴代経営陣が「不適切な取引」を繰り返していたという背景から、本件は暴力団の関与が強く疑われているが、2020年現在も犯人は特定されていない。
【早朝の銃撃】
2013年12月19日の午前7時過ぎ、京都市山科にある王将フードサービス(以下、OFS表記)本社前で、社長の大東 隆之(おおひがし・たかゆき、当時72歳)が倒れているのを出社した男性社員が発見した。大東は胸や腹のあたりを銃で撃たれており、搬送先の病院で死亡が確認された。
大東は駐車場に停めた自分の車のすぐ側に倒れていた。大東は毎朝同じ時間帯に出社して本社前を清掃することを日課にしており、この日も午前5時半過ぎに山科区の自宅を出るのを妻が見送っている。
車は日頃から運転手をつけずに自分一人で運転していた。そして左ハンドル。犯人はこうした事実をよく知った上で現場で待ち伏せし、大東が車から降りた直後を銃撃した模様。撃たれた時間は午前5時45分頃と見做されている。
車内にあった多額の現金には手をつけられておらず、強盗目的ではなさそうだ。大東個人かあるいはOFSという会社への怨恨の可能性が高い。
使われた拳銃は、弾丸や薬莢の鑑定から小型の25口径ということが判明しているが、拳銃そのものは見つかっていない。至近距離から4発撃たれ、その全てが急所に命中していた。銃の取り扱いに慣れているという見方から「プロの犯行」を疑う声もある。
【王将フードサービスと大東】
1967年、京都四条大宮に中華料理店「王将」第1号店が開店。最初は京都市内を中心として店舗展開される。1974年に株式会社王将チェーンを設立。滋賀や大阪にも進出し、78年には東京第1号店オープン。以後、日本全国に展開。大人気チェーン店となる。「食は王将にあり。豚肉1日7000キロ、卵1日5万個、鶏肉3000キロ、餃子1日100万個。食は万里を越える。」というCMは特に有名。運営会社は「株式会社王将チェーン」から何度か商号が変更されているが、1990年から現在の「株式会社王将フードサービス」になっている。
大東は4代目社長。初代社長である加藤 朝雄の妻の弟にあたる。1969年に王将第1号店に加わり、以後は営業本部長、常務、専務、副社長を経て、2000年4月に取締役社長に就任した。この当時の王将は経営状況が悪化していたが、大東はそれを見事に建て直した。
彼の具体的な経営戦略は、「いけすの王将」という和食事業の整理と中華料理への原点回帰など。特に主役の餃子は自らが焼くなどして徹底的に研究が重ねられたという。事件時には店舗数はおよそ680店舗まで増えていた。
大東は毎朝の本社前の清掃だけでなく、昼にはトイレ掃除も自ら行っていたという。食べ物を扱う仕事において清潔さを大事にする姿勢を社員に理解させると同時に、従業員に気持ちよく働いてもらいたいという思いからだった。そして直営店の店長はもちろん、フライチャイズ店のオーナーの名前まで覚えており、社員やその配偶者の誕生日には贈り物をしていた。カリスマ的経営手腕だけでなく、誰からも親しまれる人徳をもった人物であった。
【コーポレートガバナンスに関する調査報告書】
2015年12月13日、本事件に関して九州に拠点を置く暴力団組員が関与している可能性があるとの報道が行われた。これに対してOFSは第三者委員会を設置して会社と反社会的勢力との関係を調査を開始する。
全93頁からなる報告書は2016年3月に公表された。これはOFSホームページのIR情報から確認することができる。報告書は本事件の背景や原因の解明を目的として作成されたものではないが、OFSという会社が抱えていた諸問題を理解するために以下に要旨を記載する。
【調査報告書~創業家とA氏~】
OFSは初代社長の一族による同族会社であった。初代社長である加藤 朝雄と、朝雄の長男・潔、次男・欣吾が長く経営に関与してきた。93年6月に朝雄が亡くなった後は、一族以外の人物が2代目社長となるもわずか1年で辞任。そして潔が3代目社長、欣吾が専務兼経理部長となる。
朝雄は1977年頃、報告書でいうところの「A氏」なる人物と知り合いになった。A氏は王将店舗の出店にあたって建築許認可の口利きをするなどしたという。潔・欣吾体制となってからもA氏との付き合いは続き、OFSとA氏率いる会社との間で不適切な取引が繰り返されていた。
報告書では14件の不動産取引が挙げられ、それらを合計するとOFSから約200億円の資金が流出し、そのうち170億円が未回収ということが明らかにされている。しかもこれら取引の大半が取締役会の決議を経ずに進められていた。
【調査報告書~大東社長時代とA氏~】
経営環境が悪化したOFSは2000年4月より大東が社長となって建て直しを図る。潔・欣吾は相談役に退き、A氏会社からの債権回収にあたっていたが、思うように進まずにさらに損失が拡大。大東は潔・欣吾に代わって自らがA氏と交渉することにし、一刻も早くA氏との関係を断ち切ることを目指した。
2005年~2007年にかけてOFSと加藤家の間でいくつかのやり取りが起こる。例えば、OFS株式の加藤家所有比率引き下げや、潔・欣吾の取締役会復帰である。これらのやり取りにもやはりA氏が関与してきた。その際、A氏には謝礼などの名目でさらに金が流れたという。A氏とのこうした不透明な取引は証券会社からも問題視され、東証一部上場を断念することにも繋がった。
2012年11月より再発防止委員会が設置され、過去の不適切な取引に関するコーポレートガバナンス上の問題が調査された。本事件前の2013年11月には報告書が完成し、加藤家の独断専行を止められなかったことが大きな問題として挙げられていた。しかしこの報告書は外部に公表されることはなかった。本事件が発生し九州の暴力団員が事件に関与している可能性がマスコミに報じられてから、本項で紹介している報告書が改めて作成され、ようやく外部に公表されたのである。
【調査報告書~結論と提言~】
報告書ではA氏がどのようなバックグランドの人物かは調査されていない。ただし過去の会計データや取引先の実態を調査するなどした結果、OFSと反社会的勢力との関係は確認されなかったと結論づけている。
そして報告書の最後には、加藤家との間で利害対立した際にも不合理な経営判断が行われないようにすること、5代目社長になってからも関係が続くA氏について「接点を絶たなければならない相手」と再認識して対応すること、が提言されている。
【捜査】
本事件の物証は少ない。弾丸と薬莢くらいだ。大東は「オープンな会社」を目指しており、警備員を置かず、防犯カメラも設置していなかったのである。
それでも近所の防犯カメラには不鮮明ながらいくつかの情報が記録されていた。そこに写っていたのは、事件のあった時間帯に現場駐車場方面へ向かう人影や、銃撃した瞬間と見られる複数の光、その後現場から逃走するかのような動きの車両である。警察は映像の分析から犯人が現場からバイクで逃走したと考えている。
事件から4ヶ月後の2014年4月、現場から2キロほどのアパートで不審なオートバイ(スーパーカブ)を発見。オートバイには硝煙反応があった。隣にはナンバープレートを付け替えたスクーターもあった。いずれも盗難車で、オートバイは京都府城陽市、スクーターは伏見区で盗難されたもの。スクーターは事件前の2013年10月に盗難され、盗難される瞬間は飲食店の防犯カメラに写っていた。それによれば、軽乗用車の助手席から降りてきた男がスクーターに乗り換えて、その軽乗用車と共に走り去ったという。軽乗用車は福岡ナンバーで、事件後に九州地方に移動したことを確認。2016年にはこの軽乗用車も押収されている。車の持ち主は「事件当時は知人に貸していた」と述べたとされる。盗難されたスクーターと件の軽乗用車が並走していたという事実から、車両盗難に複数の人物が関与しているのは間違いないだろう。
2019年12月19日で事件から6年。大東の遺族や5代目社長の渡邉は、情報提供を呼びかけるためにJR山科駅前でティッシュを配るなどした。一刻も早い事件解決が望まれる。
【反社会的勢力の影】
2015年12月13日、現場近くに落ちていたタバコの吸い殻から検出されたDNAが、福岡の暴力団組員のものと一致したことが明らかになった。この件の報道が上記報告書の作成に繋がっている。ただしDNAが一致したその人物が事件に関わっているかは未だ定かではない。だが、事件の手口や、OFSが過去不適切な取引を繰り返していたという事実も踏まえると、暴力団やその他反社会的勢力が関与しているという説は根強い。
2016年1月、福岡県のとあるゴルフ場経営会社が登記トラブルから家宅捜索を受けた。この会社に上述の「A氏」が関わっていたことが判明し、いくつかの報道は本事件との関連を指摘した。同月にはA氏が関わる京都の会社も家宅捜索されている。しかしその後の続報は無く、本事件に関わる決定的な証拠は見つからなかった模様。
「A氏」とされる人物は実名で週刊誌のインタビューに答えており、そこでは事件への関与を否定するとともに、上記「報告書」の内容さえ誤っていると述べている。一体、真実はどこにあるのか。
【追悼餃子】
大東社長の死を悼んで、ネット上では「追悼餃子」なる動きが広がった。不謹慎という声もあったが、多くの客が積極的に店に足を運んで王将の餃子を食べた。結果として事件のあった2013年12月19日~月末の31日までの売上は前年同期比で10~20%増加したという。
年が明けた2014年1月6日、5代目社長として初めての記者会見に臨んだ渡邉は「客に励ましてもらえるほどうれしいことはない」と追悼餃子のムーブメントに対して感謝した。追悼餃子で店を訪れた客は20万人にも達するとのこと。
【リンク】
京都府警による情報提供呼びかけページは以下のとおり。
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/site/sousa/oushou/index.html
OFS及び餃子の王将のページは以下。件の調査報告書は2016年のIRニュースから確認可能。
https://www.ohsho.co.jp/
【出典】
日本経済新聞2013年12月19日「「餃子の王将」社長が襲われ死亡 本社前で銃撃か」
日本経済新聞2013年12月20日「「王将」社長、待ち伏せられ射殺か 車で出社直後」
産経新聞WEST2015年12月13日「王将社長射殺事件 九州の組関係者浮上 遺留物DNA型一致 京都」
朝日新聞2016年6月11日「王将射殺事件に関与の車か 京都府警が押収」
出典:https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/907800
以下は2020年6月23日に作成した記事内容です。
2013年12月19日、京都府京都市山科区にて、中華料理チェーン店「餃子の王将」を経営する株式会社王将フードサービスの社長が射殺された。人気チェーン店の社長が会社の前で射殺されるという事件は社会に衝撃を与えた。
拳銃が使われていることや、歴代経営陣が「不適切な取引」を繰り返していたという背景から、本件は暴力団の関与が強く疑われているが、2020年現在も犯人は特定されていない。
【早朝の銃撃】
2013年12月19日の午前7時過ぎ、京都市山科にある王将フードサービス(以下、OFS表記)本社前で、社長の大東 隆之(おおひがし・たかゆき、当時72歳)が倒れているのを出社した男性社員が発見した。大東は胸や腹のあたりを銃で撃たれており、搬送先の病院で死亡が確認された。
大東は駐車場に停めた自分の車のすぐ側に倒れていた。大東は毎朝同じ時間帯に出社して本社前を清掃することを日課にしており、この日も午前5時半過ぎに山科区の自宅を出るのを妻が見送っている。
車は日頃から運転手をつけずに自分一人で運転していた。そして左ハンドル。犯人はこうした事実をよく知った上で現場で待ち伏せし、大東が車から降りた直後を銃撃した模様。撃たれた時間は午前5時45分頃と見做されている。
車内にあった多額の現金には手をつけられておらず、強盗目的ではなさそうだ。大東個人かあるいはOFSという会社への怨恨の可能性が高い。
使われた拳銃は、弾丸や薬莢の鑑定から小型の25口径ということが判明しているが、拳銃そのものは見つかっていない。至近距離から4発撃たれ、その全てが急所に命中していた。銃の取り扱いに慣れているという見方から「プロの犯行」を疑う声もある。
【王将フードサービスと大東】
1967年、京都四条大宮に中華料理店「王将」第1号店が開店。最初は京都市内を中心として店舗展開される。1974年に株式会社王将チェーンを設立。滋賀や大阪にも進出し、78年には東京第1号店オープン。以後、日本全国に展開。大人気チェーン店となる。「食は王将にあり。豚肉1日7000キロ、卵1日5万個、鶏肉3000キロ、餃子1日100万個。食は万里を越える。」というCMは特に有名。運営会社は「株式会社王将チェーン」から何度か商号が変更されているが、1990年から現在の「株式会社王将フードサービス」になっている。
大東は4代目社長。初代社長である加藤 朝雄の妻の弟にあたる。1969年に王将第1号店に加わり、以後は営業本部長、常務、専務、副社長を経て、2000年4月に取締役社長に就任した。この当時の王将は経営状況が悪化していたが、大東はそれを見事に建て直した。
彼の具体的な経営戦略は、「いけすの王将」という和食事業の整理と中華料理への原点回帰など。特に主役の餃子は自らが焼くなどして徹底的に研究が重ねられたという。事件時には店舗数はおよそ680店舗まで増えていた。
大東は毎朝の本社前の清掃だけでなく、昼にはトイレ掃除も自ら行っていたという。食べ物を扱う仕事において清潔さを大事にする姿勢を社員に理解させると同時に、従業員に気持ちよく働いてもらいたいという思いからだった。そして直営店の店長はもちろん、フライチャイズ店のオーナーの名前まで覚えており、社員やその配偶者の誕生日には贈り物をしていた。カリスマ的経営手腕だけでなく、誰からも親しまれる人徳をもった人物であった。
【コーポレートガバナンスに関する調査報告書】
2015年12月13日、本事件に関して九州に拠点を置く暴力団組員が関与している可能性があるとの報道が行われた。これに対してOFSは第三者委員会を設置して会社と反社会的勢力との関係を調査を開始する。
全93頁からなる報告書は2016年3月に公表された。これはOFSホームページのIR情報から確認することができる。報告書は本事件の背景や原因の解明を目的として作成されたものではないが、OFSという会社が抱えていた諸問題を理解するために以下に要旨を記載する。
【調査報告書~創業家とA氏~】
OFSは初代社長の一族による同族会社であった。初代社長である加藤 朝雄と、朝雄の長男・潔、次男・欣吾が長く経営に関与してきた。93年6月に朝雄が亡くなった後は、一族以外の人物が2代目社長となるもわずか1年で辞任。そして潔が3代目社長、欣吾が専務兼経理部長となる。
朝雄は1977年頃、報告書でいうところの「A氏」なる人物と知り合いになった。A氏は王将店舗の出店にあたって建築許認可の口利きをするなどしたという。潔・欣吾体制となってからもA氏との付き合いは続き、OFSとA氏率いる会社との間で不適切な取引が繰り返されていた。
報告書では14件の不動産取引が挙げられ、それらを合計するとOFSから約200億円の資金が流出し、そのうち170億円が未回収ということが明らかにされている。しかもこれら取引の大半が取締役会の決議を経ずに進められていた。
【調査報告書~大東社長時代とA氏~】
経営環境が悪化したOFSは2000年4月より大東が社長となって建て直しを図る。潔・欣吾は相談役に退き、A氏会社からの債権回収にあたっていたが、思うように進まずにさらに損失が拡大。大東は潔・欣吾に代わって自らがA氏と交渉することにし、一刻も早くA氏との関係を断ち切ることを目指した。
2005年~2007年にかけてOFSと加藤家の間でいくつかのやり取りが起こる。例えば、OFS株式の加藤家所有比率引き下げや、潔・欣吾の取締役会復帰である。これらのやり取りにもやはりA氏が関与してきた。その際、A氏には謝礼などの名目でさらに金が流れたという。A氏とのこうした不透明な取引は証券会社からも問題視され、東証一部上場を断念することにも繋がった。
2012年11月より再発防止委員会が設置され、過去の不適切な取引に関するコーポレートガバナンス上の問題が調査された。本事件前の2013年11月には報告書が完成し、加藤家の独断専行を止められなかったことが大きな問題として挙げられていた。しかしこの報告書は外部に公表されることはなかった。本事件が発生し九州の暴力団員が事件に関与している可能性がマスコミに報じられてから、本項で紹介している報告書が改めて作成され、ようやく外部に公表されたのである。
【調査報告書~結論と提言~】
報告書ではA氏がどのようなバックグランドの人物かは調査されていない。ただし過去の会計データや取引先の実態を調査するなどした結果、OFSと反社会的勢力との関係は確認されなかったと結論づけている。
そして報告書の最後には、加藤家との間で利害対立した際にも不合理な経営判断が行われないようにすること、5代目社長になってからも関係が続くA氏について「接点を絶たなければならない相手」と再認識して対応すること、が提言されている。
【捜査】
本事件の物証は少ない。弾丸と薬莢くらいだ。大東は「オープンな会社」を目指しており、警備員を置かず、防犯カメラも設置していなかったのである。
それでも近所の防犯カメラには不鮮明ながらいくつかの情報が記録されていた。そこに写っていたのは、事件のあった時間帯に現場駐車場方面へ向かう人影や、銃撃した瞬間と見られる複数の光、その後現場から逃走するかのような動きの車両である。警察は映像の分析から犯人が現場からバイクで逃走したと考えている。
事件から4ヶ月後の2014年4月、現場から2キロほどのアパートで不審なオートバイ(スーパーカブ)を発見。オートバイには硝煙反応があった。隣にはナンバープレートを付け替えたスクーターもあった。いずれも盗難車で、オートバイは京都府城陽市、スクーターは伏見区で盗難されたもの。スクーターは事件前の2013年10月に盗難され、盗難される瞬間は飲食店の防犯カメラに写っていた。それによれば、軽乗用車の助手席から降りてきた男がスクーターに乗り換えて、その軽乗用車と共に走り去ったという。軽乗用車は福岡ナンバーで、事件後に九州地方に移動したことを確認。2016年にはこの軽乗用車も押収されている。車の持ち主は「事件当時は知人に貸していた」と述べたとされる。盗難されたスクーターと件の軽乗用車が並走していたという事実から、車両盗難に複数の人物が関与しているのは間違いないだろう。
2019年12月19日で事件から6年。大東の遺族や5代目社長の渡邉は、情報提供を呼びかけるためにJR山科駅前でティッシュを配るなどした。一刻も早い事件解決が望まれる。
【反社会的勢力の影】
2015年12月13日、現場近くに落ちていたタバコの吸い殻から検出されたDNAが、福岡の暴力団組員のものと一致したことが明らかになった。この件の報道が上記報告書の作成に繋がっている。ただしDNAが一致したその人物が事件に関わっているかは未だ定かではない。だが、事件の手口や、OFSが過去不適切な取引を繰り返していたという事実も踏まえると、暴力団やその他反社会的勢力が関与しているという説は根強い。
2016年1月、福岡県のとあるゴルフ場経営会社が登記トラブルから家宅捜索を受けた。この会社に上述の「A氏」が関わっていたことが判明し、いくつかの報道は本事件との関連を指摘した。同月にはA氏が関わる京都の会社も家宅捜索されている。しかしその後の続報は無く、本事件に関わる決定的な証拠は見つからなかった模様。
「A氏」とされる人物は実名で週刊誌のインタビューに答えており、そこでは事件への関与を否定するとともに、上記「報告書」の内容さえ誤っていると述べている。一体、真実はどこにあるのか。
【追悼餃子】
大東社長の死を悼んで、ネット上では「追悼餃子」なる動きが広がった。不謹慎という声もあったが、多くの客が積極的に店に足を運んで王将の餃子を食べた。結果として事件のあった2013年12月19日~月末の31日までの売上は前年同期比で10~20%増加したという。
年が明けた2014年1月6日、5代目社長として初めての記者会見に臨んだ渡邉は「客に励ましてもらえるほどうれしいことはない」と追悼餃子のムーブメントに対して感謝した。追悼餃子で店を訪れた客は20万人にも達するとのこと。
【リンク】
京都府警による情報提供呼びかけページは以下のとおり。
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/site/sousa/oushou/index.html
OFS及び餃子の王将のページは以下。件の調査報告書は2016年のIRニュースから確認可能。
https://www.ohsho.co.jp/
【出典】
日本経済新聞2013年12月19日「「餃子の王将」社長が襲われ死亡 本社前で銃撃か」
日本経済新聞2013年12月20日「「王将」社長、待ち伏せられ射殺か 車で出社直後」
産経新聞WEST2015年12月13日「王将社長射殺事件 九州の組関係者浮上 遺留物DNA型一致 京都」
朝日新聞2016年6月11日「王将射殺事件に関与の車か 京都府警が押収」