2014年9月30日深夜~10月1日未明、北海道南幌町の住宅で、17歳の女子高生が自身の祖母(71歳)と母親(47歳)を殺害するという事件が発生した。
加害者の女子高生Xは殺害の動機について「厳しい躾」を挙げたが、捜査の中でその躾の実態は「常軌を逸した虐待」であることが明らかになる。そしてXによる家族殺害計画に対しては、Xの長姉であるY(23歳)も力を貸していたのだった…。
【破壊された家族】
事件の起こるおよそ15年前、父親・母親・長女Y・次女・三女Xからなる一家は誰が見ても幸せな5人家族だった。それを一人の女が破壊した。夫を病気で亡くした母方の祖母が同居するようになったのである。
祖母は夫の遺産とそれを基にした投資によって大金を得ていた。一家が住む家もこのお金で建てられたという。家族のパワーバランスは途端に狂い始める。祖母は「この家に住むのなら、あたしの言うことを聞くのが当たり前」などと言った。"絶対君主"が一家に君臨した。
本来の一家の柱である父親は義母の振る舞いに対して当然抗議する。しかし祖母は「文句があるなら出ていけ」と返すだけだった。祖母との同居が始まって約2年、耐えられなくなった父親は離婚して家を離れる。このとき、次女は父親に付いていった。一家は祖母・母親・長女Y・三女Xの4人暮らしへと変わる。
【躾という名の虐待】
祖母は大の子供嫌いだった。自分の飼う犬を可愛がる一方で、子どもたちは犬以下に扱った。「子どもは一人でいい、二人も三人も産むなんて恥ずかしいことだ」とも語っていたという。長女Yも厳しく躾けられたが、年長者ゆえに祖母に攻撃されないようにどうにか振る舞うことができた。しかしまだ幼いXにそんなことができるはずもない。Xが泣き出せば、ますます祖母は憎悪し、Xが声が出せなくなるようにガムテープを口に何重にも巻きつけたりした。
事件の起こる10年前、2004年2月にはXが児童相談所に一時保護されたことがある。きっかけはXが頭に大きな怪我を負って病院に運ばれたことだった。おそらく祖母が怪我を負わせたものと思われる。状況から虐待を疑った病院は児童相談所に通報する。そうしてXとYは保護されるに至ったのだが、児童相談所は自宅訪問をしたり、祖母や母親との面談を重ねるうち、早くも2004年11月には保護を解除してしまった。あまりにも短い"保護"であった。
そして大方が予想するとおり、戻ってきたXに対する祖母の攻撃はより苛烈になった。冬の北海道で裸のまま外に出されたりした。他に報道されたのは、火のついたタバコを腕に押し付けられるとか、トイレを使わせないとか、夏でも風呂は週に1回だけとか…。親類や近所の人に助けを求めたこともあったようだが、いずれも祖母が阻止している。XもYも「大人に頼ることはできない」という思いを強くするだけだった。
こんな邪悪な祖母に対して母親は何もしなかった。この母親もかつてこの祖母から厳しく躾けられたので、"君主"に逆らうなど考えもしなかったらしい。おしどり夫婦として知られていたのに、離婚するときには実母の肩をもつようになっていた。自らの娘が明らかな虐待をされていても無視をしてやり過ごすだけ。やがて母親も精神を狂わせ、単に無視するだけでなくXへ"攻撃"を加えるようになってしまう。
【異常な暮らし】
Xの住まいは一人だけ"離れ"だった。わずか三畳~四畳だけが彼女の自由な生活スペースである。"家"に上がることが許されるのは家事をするときだけ。しかも玄関からは入れず、裏庭の勝手口から出入りさせられていた。
朝は5時起き、門限は17時と決められていた。「早く帰らないと怒られる」と大急ぎで帰宅するXの姿が同級生や近所の人たちに何度も目撃されている。そうして掃除、洗濯、草むしり、雪かき、犬の散歩など全てXがやらされていた。それでも毎日のように祖母に叱りつけられ、その罵声は外にまで聞こえたという。
祖母は常に髪を整え、バッチリとメイクを決め、全身をブランドもので固めていた。しかしXの方はいつもジャージなどを着ていた。もちろんX自身が好んで選んだわけではない。年頃のオシャレさえ許されなかったのだ。学校へもカバンではなく風呂敷包みで通わされるほどだった。
後のYの公判で「今まで見た中で最も酷かったXに対する虐待は何か」という裁判官からの質問に、Yは「生ゴミを食べさせられていたこと」と答えている。曰く、キッチンの排水溝のところに溜まった果物の皮やへた、お茶っ葉などを食べさせられていたという。吐き出しても無理矢理に食べさせられていた。どこをどう解釈したらこの行為が"躾"になるのだろうか。
【Xの学校生活】
そんな地獄のような家庭生活とは対照的に、Xの学校生活はたいへん充実していた。勉強も優秀で、スポーツも万能。多くの友人がおり、教師からも信頼され、事件直前には次期生徒会長を務めることが決まっていた。正に非の打ち所のない学校生活だ。
Yが公判で語ったところによれば、Xも高校生になって"祖母に嫌われない振る舞い方"を理解するようになっていたという。それでも"厳しい躾"が無くなったわけではない。上述の"家の仕事"は変わらずやらされていた。
同級生たちは「おばあちゃんが嫌いだ」とこぼすXの姿を見ている。教師も中学校からの引き継ぎ事項で「家庭内で祖母が厳しい」ということが伝えられていた。皆が厳しい家庭だということを知っていたのだが、しかし不幸なことにその厳しさの"中身"までは理解していなかったのである。Xも過去の経緯があるだけに「人に頼る」という発想ができなかった。
【家族殺害計画】
長女Yは男性との交際が順調で、思い切って家を出ることを考えていた。それに対して祖母は「出ていけ。その代わりに月3万円入れろ」と酷い言葉をかけただけだった。いよいよYは家を出ることを決断する。しかし一人残されるXはどうなる。XはYに「出ていってほしくない」と正直な思いを伝える。Yは苦悩した。
Yはふと「おばあちゃんがいなくなればいいのにね」と呟いた。その言葉をきっかけにして、XとYは妄想で家族の殺害計画を語り始める。Yはあくまで冗談のつもりだったというが、Xにとってこの会話はまた違った意味を持った。Xは「殺したいという思いはお姉ちゃんも同じなんだ」と認識したのである。こうしてXによる"家族殺害計画"が一気に動き出す。
Xは、祖母と母親に使う睡眠薬や、強盗犯に見せかけるための手袋を用意してほしいとYに頼んだ。Yは「まさか本当にやるはずがない」と思いつつも、Xのために道具を準備した。しかしXは既に決意していた。Xは友人との電話で「自分とお姉ちゃんの自由のために」家族を殺害すると語った。
事件5日前のXのtwitterには殺害を決意するような不穏なツイートが投稿されている。
【犯行当日】
9月30日は月末で、Yの帰りが遅い日だった。Xは敢えてYの帰りが遅い日を選んで家族襲撃を決行する。凶器は自宅の包丁を使った。
1階で寝ていた母親が先に襲われたとみられる。頭や胸に十数箇所を刺され、特に首の傷は喉仏から頸動脈まで切り裂かれていたという。部屋中が血の海になっていた。2階にいた祖母は物音で目を覚ましており、Xに対して必死に抵抗したものの、頭や胸などを中心に十数箇所を刺されて死んだ。祖母と母親の死因はいずれも失血性ショック。なお、母親の遺体からは睡眠薬の成分が検出されたと報道されている。
2人が死んだ後、Yが帰宅する。"第一発見者"となったYは何を思っただろう。全てを悟ったYはXを助けることを選んだ。まずはXを車に乗せて、5kmほど離れた公園まで一緒に凶器などを捨てに行く。そしてかつて語った"計画"のとおり、箪笥の引き出しを片っ端から開けるなどして部屋を荒らし、まるで強盗が押し入ったかのように見せかけたのだった。
10月1日の午前2時30分頃、110番通報。通報はYが行ったが、その時もXの犯行については言及せず。警察が来てからも、Xは当初「寝ていたのでわからない」などとしらを切った。しかし取り調べが進むと、遂にXは自分が2人を殺害したことを認めた。逮捕前、YはXに対してひたすら謝り続けていたという。
【Xに対する処分】
逮捕されたXは精神鑑定を受けた。責任能力は認められたが、虐待により心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症しているとの診断であった。
Xの同級生とその保護者たちは、事件の翌週から町内で署名を集め始める。内容は、Xを刑事裁判ではなく少年審判とするよう求めるもの。少年審判は非公開で審理が行われる。非公開審理であれば生い立ちや事件の経緯が公にならず、Xが社会復帰する時に好奇の目にさらされずに済むという考えであった。
2014年11月4日、札幌検察庁に約1万600名分の署名とともに嘆願書が提出される。事件の頃の南幌町の人口が約8000人というから、インターネット署名800人を含むとはいえこの署名の数がいかに多いものかが分かる。12月26日には更に追加で8120名分の署名が提出されている。
2015年1月21日、札幌家裁はXについて医療少年院送致とすることを決定。裁判長は、Xの責任能力を認めて、計画的な事件で結果も重大と指摘した。一方で、事件には祖母や母からの虐待が影響しており、「年齢や精神状態を考慮すると刑事処分は相当でない」と判断して、逆送致を回避した。Xは少年院で治療や矯正教育を受けながら社会復帰を目指すことが決まった。
【逆送致について】
逆送致とは、家庭裁判所が、検察から送致された少年について調査した上で刑事処分相当と判断して、検察に送致すること。2000年に発生した西鉄バスジャック事件などを受けた2001年4月の改正少年法では、16歳以上の少年が故意に被害者を死亡させた事件については"原則として"逆送致することになっている。検察が起訴すれば成人と同様の刑事裁判を受けることになる。少年法20条1項と2項の条文は以下のとおり。
少年法第20条1項 家庭裁判所は、死刑、懲役又は禁錮に当たる罪の事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは、決定をもつて、これを管轄地方裁判所に対応する検察庁の検察官に送致しなければならない。
少年法第20条2項 前項の規定にかかわらず、家庭裁判所は、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件であつて、その罪を犯すとき十六歳以上の少年に係るものについては、同項の決定をしなければならない。ただし、調査の結果、犯行の動機及び態様、犯行後の情況、少年の性格、年齢、行状及び環境その他の事情を考慮し、刑事処分以外の措置を相当と認めるときは、この限りでない。
【Yの裁判】
Xの処分が完了した後、Yが書類送検された。Yは、Xによる殺害計画を知りながら睡眠薬や手袋を用意したとして、殺人幇助罪に問われたのだった。
2016年2月26日、札幌地裁での裁判員裁判判決。求刑懲役4年のところ、判決は懲役3年・執行猶予5年が言い渡された。判決は「Yによる祖母がいなくなればいいという言動がXの決意を後押しした」と指摘する一方で、「用意した睡眠薬や手袋は実際の殺害行為を助けるものではなく、目に見えた効果は少ない」とした。また、祖母と母親からの虐待行為については「Yに対しては事件当時虐待があったわけではなく、虐待から逃れるためにやむなく起こした事件とは異なる」とした上で、「いつXのような目に遭うかもしれないという思いを抱いて成長してきた事情が事件に影響している」と述べ、Yの置かれていた特殊な状況を考慮した。
被告側・検察側ともに控訴せずに判決確定。
【新しい家族のかたち】
Yの公判中、検察官が「本当に殺害する以外の選択肢は無かったのか、Xを止めることはできなかったのか」と質問した。これに対してYは「この家族にいい思い出が無くて、Xがやろうとしていることが正しいと思ってしまった」と答えている。Yは事件後に交際男性との間に子どもが生まれており、「妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい」と述べた。
【参考サイト】
朝日新聞社会部による連載「きょうも傍聴席にいます」からYの公判の回。
https://www.gentosha.jp/article/9204/
【出典】
時事通信2014年10月1日「北海道南幌町、71歳と47歳の母娘の遺体を発見、道警は殺人事件の可能性もあるとみて捜査を開始」
朝日新聞2014年10月1日「住宅に女性2人の遺体、殺人容疑で捜査 北海道」
産経新聞2014年10月1日「強盗殺人か住宅に女性2遺体 室内荒らされた形跡 北海道・南幌」
産経新聞2014年10月1日「母と祖母殺害疑い17歳女子高生を逮捕 北海道南幌町」
日本経済新聞2014年10月1日「母と祖母殺害容疑で17歳少女を逮捕 北海道南幌町」
日本経済新聞2014年10月2日「17歳三女を逮捕 北海道南幌町、祖母と母親殺害容疑」
日本経済新聞2014年10月2日「「今の状況逃れたかった」北海道2人殺害容疑の17歳」
北海道新聞2014年10月2日「厳しいしつけに恨みか 南幌の2人刺殺容疑 高2女子逮捕に衝撃」
北海道新聞2014年10月2日「「姉の車で包丁捨てた」 南幌の2人刺殺、容疑の三女供述」
産経新聞2014年10月2日「「しつけ厳しかった」女子高生、祖母と母との就寝中襲う?遺体は寝間着姿 北海道の2人殺害事件」
朝日新聞2014年10月3日「祖母に十数ヵ所の傷、母はのどに深い傷 北海道2人殺害」
北海道新聞2014年10月3日「三女、強い殺意か 南幌刺殺容疑 母の喉に致命傷」
産経新聞2014年10月4日「祖母と母殺害…姉の帰宅遅い選ぶ 容疑の17歳女子高生が供述」
朝日新聞2014年11月5日「母・祖母殺害容疑の17歳、同級生ら1万人が嘆願書」
日本経済新聞2014年12月16日「母・祖母殺害の疑い、高2女子を家裁送致」
読売新聞2015年1月21日「母と祖母殺害少女「虐待動機に」…医療少年院へ」
朝日新聞2016年2月22日「幇助罪の長女、起訴内容認める 北海道の母・祖母殺害」
北海道新聞2016年2月23日「南幌刺殺ほう助認めた長女「祖母は絶対君主」 地裁初公判」
北海道新聞2016年2月25日「ほう助の長女に懲役4年求刑 南幌刺殺」
朝日新聞2016年2月27日「殺人幇助罪の長女、猶予判決 北海道の母・祖母刺殺」
北海道新聞2016年2月27日「ほう助の長女、執行猶予 南幌町刺殺事件 札幌地裁で判決」
加害者の女子高生Xは殺害の動機について「厳しい躾」を挙げたが、捜査の中でその躾の実態は「常軌を逸した虐待」であることが明らかになる。そしてXによる家族殺害計画に対しては、Xの長姉であるY(23歳)も力を貸していたのだった…。
【破壊された家族】
事件の起こるおよそ15年前、父親・母親・長女Y・次女・三女Xからなる一家は誰が見ても幸せな5人家族だった。それを一人の女が破壊した。夫を病気で亡くした母方の祖母が同居するようになったのである。
祖母は夫の遺産とそれを基にした投資によって大金を得ていた。一家が住む家もこのお金で建てられたという。家族のパワーバランスは途端に狂い始める。祖母は「この家に住むのなら、あたしの言うことを聞くのが当たり前」などと言った。"絶対君主"が一家に君臨した。
本来の一家の柱である父親は義母の振る舞いに対して当然抗議する。しかし祖母は「文句があるなら出ていけ」と返すだけだった。祖母との同居が始まって約2年、耐えられなくなった父親は離婚して家を離れる。このとき、次女は父親に付いていった。一家は祖母・母親・長女Y・三女Xの4人暮らしへと変わる。
【躾という名の虐待】
祖母は大の子供嫌いだった。自分の飼う犬を可愛がる一方で、子どもたちは犬以下に扱った。「子どもは一人でいい、二人も三人も産むなんて恥ずかしいことだ」とも語っていたという。長女Yも厳しく躾けられたが、年長者ゆえに祖母に攻撃されないようにどうにか振る舞うことができた。しかしまだ幼いXにそんなことができるはずもない。Xが泣き出せば、ますます祖母は憎悪し、Xが声が出せなくなるようにガムテープを口に何重にも巻きつけたりした。
事件の起こる10年前、2004年2月にはXが児童相談所に一時保護されたことがある。きっかけはXが頭に大きな怪我を負って病院に運ばれたことだった。おそらく祖母が怪我を負わせたものと思われる。状況から虐待を疑った病院は児童相談所に通報する。そうしてXとYは保護されるに至ったのだが、児童相談所は自宅訪問をしたり、祖母や母親との面談を重ねるうち、早くも2004年11月には保護を解除してしまった。あまりにも短い"保護"であった。
そして大方が予想するとおり、戻ってきたXに対する祖母の攻撃はより苛烈になった。冬の北海道で裸のまま外に出されたりした。他に報道されたのは、火のついたタバコを腕に押し付けられるとか、トイレを使わせないとか、夏でも風呂は週に1回だけとか…。親類や近所の人に助けを求めたこともあったようだが、いずれも祖母が阻止している。XもYも「大人に頼ることはできない」という思いを強くするだけだった。
こんな邪悪な祖母に対して母親は何もしなかった。この母親もかつてこの祖母から厳しく躾けられたので、"君主"に逆らうなど考えもしなかったらしい。おしどり夫婦として知られていたのに、離婚するときには実母の肩をもつようになっていた。自らの娘が明らかな虐待をされていても無視をしてやり過ごすだけ。やがて母親も精神を狂わせ、単に無視するだけでなくXへ"攻撃"を加えるようになってしまう。
【異常な暮らし】
Xの住まいは一人だけ"離れ"だった。わずか三畳~四畳だけが彼女の自由な生活スペースである。"家"に上がることが許されるのは家事をするときだけ。しかも玄関からは入れず、裏庭の勝手口から出入りさせられていた。
朝は5時起き、門限は17時と決められていた。「早く帰らないと怒られる」と大急ぎで帰宅するXの姿が同級生や近所の人たちに何度も目撃されている。そうして掃除、洗濯、草むしり、雪かき、犬の散歩など全てXがやらされていた。それでも毎日のように祖母に叱りつけられ、その罵声は外にまで聞こえたという。
祖母は常に髪を整え、バッチリとメイクを決め、全身をブランドもので固めていた。しかしXの方はいつもジャージなどを着ていた。もちろんX自身が好んで選んだわけではない。年頃のオシャレさえ許されなかったのだ。学校へもカバンではなく風呂敷包みで通わされるほどだった。
後のYの公判で「今まで見た中で最も酷かったXに対する虐待は何か」という裁判官からの質問に、Yは「生ゴミを食べさせられていたこと」と答えている。曰く、キッチンの排水溝のところに溜まった果物の皮やへた、お茶っ葉などを食べさせられていたという。吐き出しても無理矢理に食べさせられていた。どこをどう解釈したらこの行為が"躾"になるのだろうか。
【Xの学校生活】
そんな地獄のような家庭生活とは対照的に、Xの学校生活はたいへん充実していた。勉強も優秀で、スポーツも万能。多くの友人がおり、教師からも信頼され、事件直前には次期生徒会長を務めることが決まっていた。正に非の打ち所のない学校生活だ。
Yが公判で語ったところによれば、Xも高校生になって"祖母に嫌われない振る舞い方"を理解するようになっていたという。それでも"厳しい躾"が無くなったわけではない。上述の"家の仕事"は変わらずやらされていた。
同級生たちは「おばあちゃんが嫌いだ」とこぼすXの姿を見ている。教師も中学校からの引き継ぎ事項で「家庭内で祖母が厳しい」ということが伝えられていた。皆が厳しい家庭だということを知っていたのだが、しかし不幸なことにその厳しさの"中身"までは理解していなかったのである。Xも過去の経緯があるだけに「人に頼る」という発想ができなかった。
【家族殺害計画】
長女Yは男性との交際が順調で、思い切って家を出ることを考えていた。それに対して祖母は「出ていけ。その代わりに月3万円入れろ」と酷い言葉をかけただけだった。いよいよYは家を出ることを決断する。しかし一人残されるXはどうなる。XはYに「出ていってほしくない」と正直な思いを伝える。Yは苦悩した。
Yはふと「おばあちゃんがいなくなればいいのにね」と呟いた。その言葉をきっかけにして、XとYは妄想で家族の殺害計画を語り始める。Yはあくまで冗談のつもりだったというが、Xにとってこの会話はまた違った意味を持った。Xは「殺したいという思いはお姉ちゃんも同じなんだ」と認識したのである。こうしてXによる"家族殺害計画"が一気に動き出す。
Xは、祖母と母親に使う睡眠薬や、強盗犯に見せかけるための手袋を用意してほしいとYに頼んだ。Yは「まさか本当にやるはずがない」と思いつつも、Xのために道具を準備した。しかしXは既に決意していた。Xは友人との電話で「自分とお姉ちゃんの自由のために」家族を殺害すると語った。
事件5日前のXのtwitterには殺害を決意するような不穏なツイートが投稿されている。
【犯行当日】
9月30日は月末で、Yの帰りが遅い日だった。Xは敢えてYの帰りが遅い日を選んで家族襲撃を決行する。凶器は自宅の包丁を使った。
1階で寝ていた母親が先に襲われたとみられる。頭や胸に十数箇所を刺され、特に首の傷は喉仏から頸動脈まで切り裂かれていたという。部屋中が血の海になっていた。2階にいた祖母は物音で目を覚ましており、Xに対して必死に抵抗したものの、頭や胸などを中心に十数箇所を刺されて死んだ。祖母と母親の死因はいずれも失血性ショック。なお、母親の遺体からは睡眠薬の成分が検出されたと報道されている。
2人が死んだ後、Yが帰宅する。"第一発見者"となったYは何を思っただろう。全てを悟ったYはXを助けることを選んだ。まずはXを車に乗せて、5kmほど離れた公園まで一緒に凶器などを捨てに行く。そしてかつて語った"計画"のとおり、箪笥の引き出しを片っ端から開けるなどして部屋を荒らし、まるで強盗が押し入ったかのように見せかけたのだった。
10月1日の午前2時30分頃、110番通報。通報はYが行ったが、その時もXの犯行については言及せず。警察が来てからも、Xは当初「寝ていたのでわからない」などとしらを切った。しかし取り調べが進むと、遂にXは自分が2人を殺害したことを認めた。逮捕前、YはXに対してひたすら謝り続けていたという。
【Xに対する処分】
逮捕されたXは精神鑑定を受けた。責任能力は認められたが、虐待により心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症しているとの診断であった。
Xの同級生とその保護者たちは、事件の翌週から町内で署名を集め始める。内容は、Xを刑事裁判ではなく少年審判とするよう求めるもの。少年審判は非公開で審理が行われる。非公開審理であれば生い立ちや事件の経緯が公にならず、Xが社会復帰する時に好奇の目にさらされずに済むという考えであった。
2014年11月4日、札幌検察庁に約1万600名分の署名とともに嘆願書が提出される。事件の頃の南幌町の人口が約8000人というから、インターネット署名800人を含むとはいえこの署名の数がいかに多いものかが分かる。12月26日には更に追加で8120名分の署名が提出されている。
2015年1月21日、札幌家裁はXについて医療少年院送致とすることを決定。裁判長は、Xの責任能力を認めて、計画的な事件で結果も重大と指摘した。一方で、事件には祖母や母からの虐待が影響しており、「年齢や精神状態を考慮すると刑事処分は相当でない」と判断して、逆送致を回避した。Xは少年院で治療や矯正教育を受けながら社会復帰を目指すことが決まった。
【逆送致について】
逆送致とは、家庭裁判所が、検察から送致された少年について調査した上で刑事処分相当と判断して、検察に送致すること。2000年に発生した西鉄バスジャック事件などを受けた2001年4月の改正少年法では、16歳以上の少年が故意に被害者を死亡させた事件については"原則として"逆送致することになっている。検察が起訴すれば成人と同様の刑事裁判を受けることになる。少年法20条1項と2項の条文は以下のとおり。
少年法第20条1項 家庭裁判所は、死刑、懲役又は禁錮に当たる罪の事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは、決定をもつて、これを管轄地方裁判所に対応する検察庁の検察官に送致しなければならない。
少年法第20条2項 前項の規定にかかわらず、家庭裁判所は、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件であつて、その罪を犯すとき十六歳以上の少年に係るものについては、同項の決定をしなければならない。ただし、調査の結果、犯行の動機及び態様、犯行後の情況、少年の性格、年齢、行状及び環境その他の事情を考慮し、刑事処分以外の措置を相当と認めるときは、この限りでない。
【Yの裁判】
Xの処分が完了した後、Yが書類送検された。Yは、Xによる殺害計画を知りながら睡眠薬や手袋を用意したとして、殺人幇助罪に問われたのだった。
2016年2月26日、札幌地裁での裁判員裁判判決。求刑懲役4年のところ、判決は懲役3年・執行猶予5年が言い渡された。判決は「Yによる祖母がいなくなればいいという言動がXの決意を後押しした」と指摘する一方で、「用意した睡眠薬や手袋は実際の殺害行為を助けるものではなく、目に見えた効果は少ない」とした。また、祖母と母親からの虐待行為については「Yに対しては事件当時虐待があったわけではなく、虐待から逃れるためにやむなく起こした事件とは異なる」とした上で、「いつXのような目に遭うかもしれないという思いを抱いて成長してきた事情が事件に影響している」と述べ、Yの置かれていた特殊な状況を考慮した。
被告側・検察側ともに控訴せずに判決確定。
【新しい家族のかたち】
Yの公判中、検察官が「本当に殺害する以外の選択肢は無かったのか、Xを止めることはできなかったのか」と質問した。これに対してYは「この家族にいい思い出が無くて、Xがやろうとしていることが正しいと思ってしまった」と答えている。Yは事件後に交際男性との間に子どもが生まれており、「妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい」と述べた。
【参考サイト】
朝日新聞社会部による連載「きょうも傍聴席にいます」からYの公判の回。
https://www.gentosha.jp/article/9204/
【出典】
時事通信2014年10月1日「北海道南幌町、71歳と47歳の母娘の遺体を発見、道警は殺人事件の可能性もあるとみて捜査を開始」
朝日新聞2014年10月1日「住宅に女性2人の遺体、殺人容疑で捜査 北海道」
産経新聞2014年10月1日「強盗殺人か住宅に女性2遺体 室内荒らされた形跡 北海道・南幌」
産経新聞2014年10月1日「母と祖母殺害疑い17歳女子高生を逮捕 北海道南幌町」
日本経済新聞2014年10月1日「母と祖母殺害容疑で17歳少女を逮捕 北海道南幌町」
日本経済新聞2014年10月2日「17歳三女を逮捕 北海道南幌町、祖母と母親殺害容疑」
日本経済新聞2014年10月2日「「今の状況逃れたかった」北海道2人殺害容疑の17歳」
北海道新聞2014年10月2日「厳しいしつけに恨みか 南幌の2人刺殺容疑 高2女子逮捕に衝撃」
北海道新聞2014年10月2日「「姉の車で包丁捨てた」 南幌の2人刺殺、容疑の三女供述」
産経新聞2014年10月2日「「しつけ厳しかった」女子高生、祖母と母との就寝中襲う?遺体は寝間着姿 北海道の2人殺害事件」
朝日新聞2014年10月3日「祖母に十数ヵ所の傷、母はのどに深い傷 北海道2人殺害」
北海道新聞2014年10月3日「三女、強い殺意か 南幌刺殺容疑 母の喉に致命傷」
産経新聞2014年10月4日「祖母と母殺害…姉の帰宅遅い選ぶ 容疑の17歳女子高生が供述」
朝日新聞2014年11月5日「母・祖母殺害容疑の17歳、同級生ら1万人が嘆願書」
日本経済新聞2014年12月16日「母・祖母殺害の疑い、高2女子を家裁送致」
読売新聞2015年1月21日「母と祖母殺害少女「虐待動機に」…医療少年院へ」
朝日新聞2016年2月22日「幇助罪の長女、起訴内容認める 北海道の母・祖母殺害」
北海道新聞2016年2月23日「南幌刺殺ほう助認めた長女「祖母は絶対君主」 地裁初公判」
北海道新聞2016年2月25日「ほう助の長女に懲役4年求刑 南幌刺殺」
朝日新聞2016年2月27日「殺人幇助罪の長女、猶予判決 北海道の母・祖母刺殺」
北海道新聞2016年2月27日「ほう助の長女、執行猶予 南幌町刺殺事件 札幌地裁で判決」