2009年6月19日、鹿児島県鹿児島市下福元町の民家にて、老夫婦が何者かに殺害されているのが発見された。
当時70歳の男性Xが被疑者として逮捕され、強盗殺人・住居侵入罪で起訴されるも、Xは容疑を一貫して否認。公判で検察側は死刑を求刑したが、裁判員裁判による地裁判決は無罪。検察はなお控訴したが、控訴審審理中にXが病死し、控訴棄却となった。
事件の真相は結局明らかにならないまま。実質的な未解決事件。
【老夫婦殺害と容疑者逮捕】
2009年6月19日、鹿児島県鹿児島市福本町の民家で、この家に住む老夫婦(夫は91歳、妻は87歳)が頭から血を流して死んでいるのを、訪ねてきた三男(59歳)が発見して110番通報した。
2人は平屋の六畳間寝室で死んでおり、居間の窓ガラスが割られていた。犯行推定時刻は18日の午後19時~21時頃とみられる。被害者は、市内に数件の貸家を所有しており、資産家夫婦として知られていた。しかし現場の箪笥の引き出しが開けられていたが、現金や通帳など多くの金品は手つかずのままであった。
現場から2人の血液が付着したスコップが発見され、これが凶器であると断定された。スコップは被害者宅の物で、長さ約1メートルの畑作業などに使うようなもの。このスコップで夫婦を100回以上攻撃したとされている。
事件発覚から10日後、現場に残っていた指紋が一致したとして男性Xが逮捕される。Xは強盗殺人と住居侵入罪で起訴された。
【争点は】
一審での主な争点は、被害者宅の各所から検出された被告Xの指紋やDNAの扱いであった。
検察は、侵入口とみられる被害者宅窓の破れた網戸から被告DNAが検出され、他に割れた窓ガラスや物色された箪笥からは被告の指紋や掌紋が検出されたと主張。被害者が2名、強盗目的、殺害方法が残虐といった点から求刑は死刑。
一方の弁護側は、被告は事件現場である被害者宅に一度たりとも行ったことはなく、まして強盗殺人など絶対にやってない、指紋やDNA鑑定結果は捏造、と全面否認。無罪を訴えた。
一審は裁判員裁判。裁判員裁判において、検察側が死刑を求刑し、弁護側が無罪を主張する、という全面対立の事件は初とされる。裁判員は、有罪か無罪か、有罪だったとして死刑にすべきか否か、難しい判断を迫られることになる。結局、裁判員選任から判決まで40日にも及ぶ異例の長期スケジュールとなった。評議にも14日を要した。また、2010年11月5日には裁判員が現場検証に立ち会った。これは弁護側が要望したもので、このような試みは全国で初めてのことだった。
【判決】
2010年12月10日、鹿児島地裁判決。無罪判決。
各所から検出されたDNAや指紋・掌紋が被告と一致したとする鑑定結果は事実と認定した。更に、被告の過去一度も被害者宅に行ったことは無いという供述は「嘘」であると認定された。しかし、各所にあった被告痕跡は、過去に被告がそこを触ったという事実を認定できるのみで、そのことが事件当日の犯行に関係するとは限らないとされた。また、検察は被告以外の第三者の痕跡が何一つ発見されなかったと主張するが、判決はこの点に強く疑問を示した。すなわち、現場保全は果たして完璧だったか、真相解明のための捜査が十分に行われたか、はたまた被告に有利となる証拠を提出していないのではないか、とまで言った。
最重要証拠とされるスコップからは被害者のDNAが検出されたが、被告の痕跡はまったく検出されなかった。当時70歳の被告がスコップを100回以上振り下ろして攻撃できるかも疑問とされ、この点も被告にとって有利と考えるべき事情であるとした。
結局、過去に被害者宅で網戸・窓ガラス・箪笥を触った事実を総合して考えたとしても犯人であると推認するには遠く及ばず、被害者宅に行ったことは無いという嘘の供述や、事件当日にアリバイが無かったとしても、挙げられた証拠からは犯人でなければ合理的に説明できない事実が含まれていないとされた。「本件程度の状況証拠をもって被告人を犯人と認定することは、刑事裁判の鉄則である『疑わしきは被告人の利益』という原則に照らして許されない」と結論づけた。
判決後の会見で、Xは「濡れ衣を晴らすことができて清々しい気持ち」と笑顔を見せた。裁判員は「遺族には申し訳ない」としつつ、判決にあったとおり「証拠が不十分だった、中立的な立場で検討した」とコメントしている。
検察が控訴。
【突然の死】
2012年10月10日、Xが自宅で病死。73歳だった。これをもって2012年10月27日付で福岡高裁宮崎支部が公訴棄却。鹿児島県警も捜査を打ち切る意向を明らかにし、事件は真相が明らかにならないまま決着した。
【参考情報】
死刑求刑事件での一審無罪判決は、最高裁が把握している1975年以降では本件が5例目とされる。75年以前では、名張毒ぶどう酒事件の1964年一審が死刑求刑・無罪判決(ただし二審は逆転死刑判決)であった。裁判員裁判では本件が初である。
【判決文】
鹿児島地裁平成21年(わ)240号。裁判所ウェブサイトで参照可能。
【出典】
朝日新聞2009年6月19日「老夫婦が遺体で見つかる 自宅、殺人事件で捜査 鹿児島」
産経ニュース2009年6月21日「スコップを凶器と断定 鹿児島の高齢夫婦殺害事件」
共同通信2009年6月29日「殺人容疑で70歳男を逮捕 鹿児島市の高齢夫婦殺害事件」
KTS鹿児島テレビ2010年11月2日「老夫婦強殺事件初公判で被告が全面否認」
産経ニュース2010年11月2日「死刑求刑の公算…初公判で被告が「一度も現場に行ってない」無罪主張 鹿児島・夫婦殺害」
日本経済新聞2010年11月2日「被告、無罪を主張 鹿児島・高齢夫婦殺害初公判」
共同通信2010年11月5日「裁判員らが被害者宅を現場検証 鹿児島地裁、高齢夫婦強殺」
産経ニュース2010年11月10日「「1京5千兆人に1人」DNA型の頻度を裁判員裁判で証言」
日本経済新聞2010年11月18日「裁判員裁判、否認事件で初の死刑求刑 鹿児島老夫婦強殺」
産経新聞2010年12月10日「裁判員裁判で初、死刑求刑の被告に無罪 高齢夫婦殺害、鹿児島地裁」
読売新聞2010年12月10日「「捜査に疑問」死刑求刑に無罪…鹿児島夫婦殺害」
毎日新聞2010年12月10日「鹿児島夫婦強殺 被告に無罪判決 死刑求刑裁判員裁判で初」
時事通信2010年12月10日「裁判員判決、死刑求刑に無罪=犯人と被告、同一性希薄-高齢夫婦殺害・鹿児島地裁」
日本経済新聞2010年12月10日「鹿児島市の高齢夫婦殺害、地裁判決の要旨 死刑求刑事件、裁判員裁判で初の無罪」
読売新聞2010年12月19日「無罪判決の鹿児島夫婦殺害、地検が控訴へ」
読売新聞2010年12月22日「無罪判決の鹿児島夫婦殺害、地検が控訴」
毎日新聞2012年3月10日「高齢夫婦殺害:無罪判決のX被告が死亡 鹿児島」
日本経済新聞2012年3月10日「死刑求刑、無罪判決の男性被告が死亡 鹿児島」
日本経済新聞2012年3月28日「無罪被告死亡で公訴棄却 鹿児島夫婦強殺」
当時70歳の男性Xが被疑者として逮捕され、強盗殺人・住居侵入罪で起訴されるも、Xは容疑を一貫して否認。公判で検察側は死刑を求刑したが、裁判員裁判による地裁判決は無罪。検察はなお控訴したが、控訴審審理中にXが病死し、控訴棄却となった。
事件の真相は結局明らかにならないまま。実質的な未解決事件。
【老夫婦殺害と容疑者逮捕】
2009年6月19日、鹿児島県鹿児島市福本町の民家で、この家に住む老夫婦(夫は91歳、妻は87歳)が頭から血を流して死んでいるのを、訪ねてきた三男(59歳)が発見して110番通報した。
2人は平屋の六畳間寝室で死んでおり、居間の窓ガラスが割られていた。犯行推定時刻は18日の午後19時~21時頃とみられる。被害者は、市内に数件の貸家を所有しており、資産家夫婦として知られていた。しかし現場の箪笥の引き出しが開けられていたが、現金や通帳など多くの金品は手つかずのままであった。
現場から2人の血液が付着したスコップが発見され、これが凶器であると断定された。スコップは被害者宅の物で、長さ約1メートルの畑作業などに使うようなもの。このスコップで夫婦を100回以上攻撃したとされている。
事件発覚から10日後、現場に残っていた指紋が一致したとして男性Xが逮捕される。Xは強盗殺人と住居侵入罪で起訴された。
【争点は】
一審での主な争点は、被害者宅の各所から検出された被告Xの指紋やDNAの扱いであった。
検察は、侵入口とみられる被害者宅窓の破れた網戸から被告DNAが検出され、他に割れた窓ガラスや物色された箪笥からは被告の指紋や掌紋が検出されたと主張。被害者が2名、強盗目的、殺害方法が残虐といった点から求刑は死刑。
一方の弁護側は、被告は事件現場である被害者宅に一度たりとも行ったことはなく、まして強盗殺人など絶対にやってない、指紋やDNA鑑定結果は捏造、と全面否認。無罪を訴えた。
一審は裁判員裁判。裁判員裁判において、検察側が死刑を求刑し、弁護側が無罪を主張する、という全面対立の事件は初とされる。裁判員は、有罪か無罪か、有罪だったとして死刑にすべきか否か、難しい判断を迫られることになる。結局、裁判員選任から判決まで40日にも及ぶ異例の長期スケジュールとなった。評議にも14日を要した。また、2010年11月5日には裁判員が現場検証に立ち会った。これは弁護側が要望したもので、このような試みは全国で初めてのことだった。
【判決】
2010年12月10日、鹿児島地裁判決。無罪判決。
各所から検出されたDNAや指紋・掌紋が被告と一致したとする鑑定結果は事実と認定した。更に、被告の過去一度も被害者宅に行ったことは無いという供述は「嘘」であると認定された。しかし、各所にあった被告痕跡は、過去に被告がそこを触ったという事実を認定できるのみで、そのことが事件当日の犯行に関係するとは限らないとされた。また、検察は被告以外の第三者の痕跡が何一つ発見されなかったと主張するが、判決はこの点に強く疑問を示した。すなわち、現場保全は果たして完璧だったか、真相解明のための捜査が十分に行われたか、はたまた被告に有利となる証拠を提出していないのではないか、とまで言った。
最重要証拠とされるスコップからは被害者のDNAが検出されたが、被告の痕跡はまったく検出されなかった。当時70歳の被告がスコップを100回以上振り下ろして攻撃できるかも疑問とされ、この点も被告にとって有利と考えるべき事情であるとした。
結局、過去に被害者宅で網戸・窓ガラス・箪笥を触った事実を総合して考えたとしても犯人であると推認するには遠く及ばず、被害者宅に行ったことは無いという嘘の供述や、事件当日にアリバイが無かったとしても、挙げられた証拠からは犯人でなければ合理的に説明できない事実が含まれていないとされた。「本件程度の状況証拠をもって被告人を犯人と認定することは、刑事裁判の鉄則である『疑わしきは被告人の利益』という原則に照らして許されない」と結論づけた。
判決後の会見で、Xは「濡れ衣を晴らすことができて清々しい気持ち」と笑顔を見せた。裁判員は「遺族には申し訳ない」としつつ、判決にあったとおり「証拠が不十分だった、中立的な立場で検討した」とコメントしている。
検察が控訴。
【突然の死】
2012年10月10日、Xが自宅で病死。73歳だった。これをもって2012年10月27日付で福岡高裁宮崎支部が公訴棄却。鹿児島県警も捜査を打ち切る意向を明らかにし、事件は真相が明らかにならないまま決着した。
【参考情報】
死刑求刑事件での一審無罪判決は、最高裁が把握している1975年以降では本件が5例目とされる。75年以前では、名張毒ぶどう酒事件の1964年一審が死刑求刑・無罪判決(ただし二審は逆転死刑判決)であった。裁判員裁判では本件が初である。
【判決文】
鹿児島地裁平成21年(わ)240号。裁判所ウェブサイトで参照可能。
【出典】
朝日新聞2009年6月19日「老夫婦が遺体で見つかる 自宅、殺人事件で捜査 鹿児島」
産経ニュース2009年6月21日「スコップを凶器と断定 鹿児島の高齢夫婦殺害事件」
共同通信2009年6月29日「殺人容疑で70歳男を逮捕 鹿児島市の高齢夫婦殺害事件」
KTS鹿児島テレビ2010年11月2日「老夫婦強殺事件初公判で被告が全面否認」
産経ニュース2010年11月2日「死刑求刑の公算…初公判で被告が「一度も現場に行ってない」無罪主張 鹿児島・夫婦殺害」
日本経済新聞2010年11月2日「被告、無罪を主張 鹿児島・高齢夫婦殺害初公判」
共同通信2010年11月5日「裁判員らが被害者宅を現場検証 鹿児島地裁、高齢夫婦強殺」
産経ニュース2010年11月10日「「1京5千兆人に1人」DNA型の頻度を裁判員裁判で証言」
日本経済新聞2010年11月18日「裁判員裁判、否認事件で初の死刑求刑 鹿児島老夫婦強殺」
産経新聞2010年12月10日「裁判員裁判で初、死刑求刑の被告に無罪 高齢夫婦殺害、鹿児島地裁」
読売新聞2010年12月10日「「捜査に疑問」死刑求刑に無罪…鹿児島夫婦殺害」
毎日新聞2010年12月10日「鹿児島夫婦強殺 被告に無罪判決 死刑求刑裁判員裁判で初」
時事通信2010年12月10日「裁判員判決、死刑求刑に無罪=犯人と被告、同一性希薄-高齢夫婦殺害・鹿児島地裁」
日本経済新聞2010年12月10日「鹿児島市の高齢夫婦殺害、地裁判決の要旨 死刑求刑事件、裁判員裁判で初の無罪」
読売新聞2010年12月19日「無罪判決の鹿児島夫婦殺害、地検が控訴へ」
読売新聞2010年12月22日「無罪判決の鹿児島夫婦殺害、地検が控訴」
毎日新聞2012年3月10日「高齢夫婦殺害:無罪判決のX被告が死亡 鹿児島」
日本経済新聞2012年3月10日「死刑求刑、無罪判決の男性被告が死亡 鹿児島」
日本経済新聞2012年3月28日「無罪被告死亡で公訴棄却 鹿児島夫婦強殺」