1982年6月6日、千葉県千葉市横戸町において、女子中学生二人が何者かに殺傷された。
中学生二人は新宿歌舞伎町で夜遊びをしていたところを一人の若い男にナンパされ、その男の車に乗って千葉県まで連れられて来ていた。被害者一名はその若い男に不意打ちで首を絞められて失神。彼女が目を覚ましたときに男はいなくなっており、もう一名は付近の笹薮で刺殺されていた…というものである。
犯人とみられる若い男を特定できないまま1997年に公訴時効を迎えた。未解決事件。
【明け方のナンパ】
被害者の女子中学生AとBは、かつては茨城県古河市の中学校に通う同級生であった。そのうちAは母方の祖父母と暮らしていたのだが、1981年12月に東京に住む実母の元へ引き取られ、港区の中学へ転校する。Aの母は夜にホステスで働いていたため、一人でいたAは東京での夜遊びを覚えたらしい。春休み明けからは髪を染めたり、学校を休みがちになった。家出も頻繁だったと報道されている。
事件直前の1982年5月30日からまたAは家出して、茨城から家出してきたBと一緒に遊んでいた。家出中は東京都足立区にあるAの女友達の家に泊まっていたという。
そして事件に遭う1982年6月5日深夜から6日未明にかけて、AとBは新宿歌舞伎町で遊ぶ。「ワン・プラス・ワン 1+1 」というディスコで踊った後、6日の午前6時半頃からゲームセンターに行くと、そこで一人の若い男が声をかけてきた。午前8時頃、男と共にマクドナルドで食事をした後、男に「一緒にドライブに行こう」と誘われて3人で車に乗り込む。車が千葉県千葉市横戸町に到着するまでにBは車中で眠ってしまった。
【襲撃】
物音がしてBが目を覚ますと、男から散歩に行こうなどと誘われて車を出た。すると男はいきなりBを殴りつけ、さらに首を絞めてきた。Bは失神する。これが午前11時頃のこと。やがてBが覚醒すると既に男は去っており、すぐそばの藪の中でAが無残に殺されていた。
午前11時50分頃、現場付近の花見川サイクリングロードを通りかかった通行人が、Aの遺体とその隣で泣き叫んでいるBを見つけて警察に通報し事件が発覚。Bは病院に搬送されたが、打撲などの軽傷ですんだ。
【アキレス腱を切る】
Aの司法解剖の結果、死因は首を切られたことによる失血死だった。また、本事件でよく言及されるのはAのアキレス腱が両足とも切断されていたことである。先に首を切られ、その時点でほぼ即死状態だったと見られるが、その後で両アキレス腱を切ったとみられている。
凶器となった刃渡り約10センチの果物ナイフは近くの笹薮の中で発見。Aと同じA型の血液が付着していた。他に、Aのショルダーバッグから現金2万円が奪われていたという。
【犯人は】
生き残ったBの証言によれば、若い男は20~25歳くらいで、身長約170センチメートル。男は大学生を名乗っていたが、Bは大学名までは記憶していなかった。車中では「姉と弟がいて、今は姉と暮らしている」、「弟は女にモテる」、「車は親に買ってもらった」などと雑談を交わしたというが、男がどれだけ本当のことを話しているかは分からない。
現場の足跡から、男の靴のサイズは25~26センチの可能性がある。また、現金を奪われたAのショルダーバッグから、男のものと思われる指紋が検出されたと報道されている。
乗っていた車はあずき色で4ドアの乗用車。品川ナンバー。Bは車種を知らなかったが、現場付近での目撃証言から日産・グロリアと見做されている。
ナンパ行為は歌舞伎町で行われたが、連れ出した場所は千葉県の横戸町。現場付近は普段は人通り少ない場所であり、犯人が土地勘があったと思われる。また横戸町は事件当時、暴走族の集会が頻繁に行われていたという情報もある。容姿だけを言えば、犯人の男は暴走族風ではないが…?
犯行の目的もハッキリしない。Aから現金を奪っているが、中学生の持つ金額などたかが知れている。わざわざ中学生2人を連れ出して2万円ぽっちというのも如何か。そもそも車中での男の話が真実であればお金に困っているような様子は無い。Aに乱暴の形跡があったとは報道されていないが、笹薮には押し倒したような形跡があったとされており、Aに乱暴しようとしたところ拒否されたために殺害したという見方もできよう。だとすればアキレス腱を切ったのは男による怒りの表れか?
Bを刺殺しなかった理由はよく分からないが、Bの首を絞めてもう死んだと勘違いしたか、既に時刻は昼時に近づいていたため人に気づかれるのを恐れて逃走した可能性がある。東京での夜遊びを覚えたAの容姿は派手になっており、2人に声をかけた時点でAだけをターゲットにしていたのかもしれない。
Bと男は初対面だったが、Aと男は親しげに会話をしていたらしく事件前から顔見知りだったとする指摘がある。だが、もしも顔見知りだったとしても、茨城で暮らすBは夜の東京で遊ぶAの交友関係を把握できないし、Aの母親ですら全く分かっていなかった。毎夜多くの人間が行き交い、男と女が出会っては別れていく、そんな歌舞伎町での複雑な人間関係を解き明かすことは困難だ。結局、Aの交友関係から男に辿り着くことはできなかった。
【変わる夜の街】
当時のディスコには風俗営業法による営業時間の規制があったが、これを無視しても法的な罰則が無いため、ほとんどのディスコが未明まで営業しているという実態が改めて問題視された。そこで1984年には風営法が改正されて営業時間など規制が強化された。警察による監視もあって18歳未満が好き放題遊んでいることも減った。本事件をもってディスコブーム終焉のきっかけとする見方もある。
しかし被害者二人が男に声をかけられたのはゲームセンターであってディスコではない。本事件は一般的には「新宿歌舞伎町ディスコ女子中学生殺傷事件」などと呼ばれているが、上述の経緯から筆者は敢えて事件名から「ディスコ」は外した次第だ。
それはともかく、ディスコにせよゲームセンターにせよ、歌舞伎町や六本木で18歳未満の少年・少女が夜通し遊んでいる光景は当時決して珍しいものではなく、警察が彼らを補導していたわけだが、警察任せにしている親や教師の監督不行き届き・コミュニケーション不足を指摘する意見もある。まして本事件の被害者は中学生だ。彼女等の非行を止めるべきだったのはディスコの経営者か、ゲームセンターの経営者か、警察か、教師か、それとも親か。それらいずれもが機能していなかったからこそ事件は起きたと言えるのではないだろうか。
【出典】
読売新聞1982年6月7日「"ディスコの狼"少女殺傷 新宿-千葉、夜明けのドライブ 中3無惨首切られる」
読売新聞1982年6月8日「Aさん顔見知りの学生?残忍、逃さぬようアキレス腱切る」
読売新聞1982年6月9日「Aさん殺し 新宿足取り分かる Bさんが捜査員案内 凶器かナイフ発見」
読売新聞1982年6月9日「あずき色グロリア? Aさん殺し 2万円奪われていた/女子中学生殺人事件」
読売新聞1982年6月10日「Aさんの血液型と一致 凶器のナイフ/千葉県警」
読売新聞1982年6月10日「2日前、友人宅に宿泊 Aさん 遊び仲間から事情聞く」
読売新聞1982年6月11日「"顔見知り説"強まる Aさんと気軽に話す 女子中生殺傷/千葉」
読売新聞1982年6月12日「Aさん、有力手がかり二つ」
読売新聞1982年6月13日「Aさん事件から1週間 夜の新宿、一斉補導」
朝日新聞1997年6月4日「捜査進まず、6日時効 82年の女子中生、千葉の山林で殺害」
中学生二人は新宿歌舞伎町で夜遊びをしていたところを一人の若い男にナンパされ、その男の車に乗って千葉県まで連れられて来ていた。被害者一名はその若い男に不意打ちで首を絞められて失神。彼女が目を覚ましたときに男はいなくなっており、もう一名は付近の笹薮で刺殺されていた…というものである。
犯人とみられる若い男を特定できないまま1997年に公訴時効を迎えた。未解決事件。
【明け方のナンパ】
被害者の女子中学生AとBは、かつては茨城県古河市の中学校に通う同級生であった。そのうちAは母方の祖父母と暮らしていたのだが、1981年12月に東京に住む実母の元へ引き取られ、港区の中学へ転校する。Aの母は夜にホステスで働いていたため、一人でいたAは東京での夜遊びを覚えたらしい。春休み明けからは髪を染めたり、学校を休みがちになった。家出も頻繁だったと報道されている。
事件直前の1982年5月30日からまたAは家出して、茨城から家出してきたBと一緒に遊んでいた。家出中は東京都足立区にあるAの女友達の家に泊まっていたという。
そして事件に遭う1982年6月5日深夜から6日未明にかけて、AとBは新宿歌舞伎町で遊ぶ。「ワン・プラス・ワン 1+1 」というディスコで踊った後、6日の午前6時半頃からゲームセンターに行くと、そこで一人の若い男が声をかけてきた。午前8時頃、男と共にマクドナルドで食事をした後、男に「一緒にドライブに行こう」と誘われて3人で車に乗り込む。車が千葉県千葉市横戸町に到着するまでにBは車中で眠ってしまった。
【襲撃】
物音がしてBが目を覚ますと、男から散歩に行こうなどと誘われて車を出た。すると男はいきなりBを殴りつけ、さらに首を絞めてきた。Bは失神する。これが午前11時頃のこと。やがてBが覚醒すると既に男は去っており、すぐそばの藪の中でAが無残に殺されていた。
午前11時50分頃、現場付近の花見川サイクリングロードを通りかかった通行人が、Aの遺体とその隣で泣き叫んでいるBを見つけて警察に通報し事件が発覚。Bは病院に搬送されたが、打撲などの軽傷ですんだ。
【アキレス腱を切る】
Aの司法解剖の結果、死因は首を切られたことによる失血死だった。また、本事件でよく言及されるのはAのアキレス腱が両足とも切断されていたことである。先に首を切られ、その時点でほぼ即死状態だったと見られるが、その後で両アキレス腱を切ったとみられている。
凶器となった刃渡り約10センチの果物ナイフは近くの笹薮の中で発見。Aと同じA型の血液が付着していた。他に、Aのショルダーバッグから現金2万円が奪われていたという。
【犯人は】
生き残ったBの証言によれば、若い男は20~25歳くらいで、身長約170センチメートル。男は大学生を名乗っていたが、Bは大学名までは記憶していなかった。車中では「姉と弟がいて、今は姉と暮らしている」、「弟は女にモテる」、「車は親に買ってもらった」などと雑談を交わしたというが、男がどれだけ本当のことを話しているかは分からない。
現場の足跡から、男の靴のサイズは25~26センチの可能性がある。また、現金を奪われたAのショルダーバッグから、男のものと思われる指紋が検出されたと報道されている。
乗っていた車はあずき色で4ドアの乗用車。品川ナンバー。Bは車種を知らなかったが、現場付近での目撃証言から日産・グロリアと見做されている。
ナンパ行為は歌舞伎町で行われたが、連れ出した場所は千葉県の横戸町。現場付近は普段は人通り少ない場所であり、犯人が土地勘があったと思われる。また横戸町は事件当時、暴走族の集会が頻繁に行われていたという情報もある。容姿だけを言えば、犯人の男は暴走族風ではないが…?
犯行の目的もハッキリしない。Aから現金を奪っているが、中学生の持つ金額などたかが知れている。わざわざ中学生2人を連れ出して2万円ぽっちというのも如何か。そもそも車中での男の話が真実であればお金に困っているような様子は無い。Aに乱暴の形跡があったとは報道されていないが、笹薮には押し倒したような形跡があったとされており、Aに乱暴しようとしたところ拒否されたために殺害したという見方もできよう。だとすればアキレス腱を切ったのは男による怒りの表れか?
Bを刺殺しなかった理由はよく分からないが、Bの首を絞めてもう死んだと勘違いしたか、既に時刻は昼時に近づいていたため人に気づかれるのを恐れて逃走した可能性がある。東京での夜遊びを覚えたAの容姿は派手になっており、2人に声をかけた時点でAだけをターゲットにしていたのかもしれない。
Bと男は初対面だったが、Aと男は親しげに会話をしていたらしく事件前から顔見知りだったとする指摘がある。だが、もしも顔見知りだったとしても、茨城で暮らすBは夜の東京で遊ぶAの交友関係を把握できないし、Aの母親ですら全く分かっていなかった。毎夜多くの人間が行き交い、男と女が出会っては別れていく、そんな歌舞伎町での複雑な人間関係を解き明かすことは困難だ。結局、Aの交友関係から男に辿り着くことはできなかった。
【変わる夜の街】
当時のディスコには風俗営業法による営業時間の規制があったが、これを無視しても法的な罰則が無いため、ほとんどのディスコが未明まで営業しているという実態が改めて問題視された。そこで1984年には風営法が改正されて営業時間など規制が強化された。警察による監視もあって18歳未満が好き放題遊んでいることも減った。本事件をもってディスコブーム終焉のきっかけとする見方もある。
しかし被害者二人が男に声をかけられたのはゲームセンターであってディスコではない。本事件は一般的には「新宿歌舞伎町ディスコ女子中学生殺傷事件」などと呼ばれているが、上述の経緯から筆者は敢えて事件名から「ディスコ」は外した次第だ。
それはともかく、ディスコにせよゲームセンターにせよ、歌舞伎町や六本木で18歳未満の少年・少女が夜通し遊んでいる光景は当時決して珍しいものではなく、警察が彼らを補導していたわけだが、警察任せにしている親や教師の監督不行き届き・コミュニケーション不足を指摘する意見もある。まして本事件の被害者は中学生だ。彼女等の非行を止めるべきだったのはディスコの経営者か、ゲームセンターの経営者か、警察か、教師か、それとも親か。それらいずれもが機能していなかったからこそ事件は起きたと言えるのではないだろうか。
【出典】
読売新聞1982年6月7日「"ディスコの狼"少女殺傷 新宿-千葉、夜明けのドライブ 中3無惨首切られる」
読売新聞1982年6月8日「Aさん顔見知りの学生?残忍、逃さぬようアキレス腱切る」
読売新聞1982年6月9日「Aさん殺し 新宿足取り分かる Bさんが捜査員案内 凶器かナイフ発見」
読売新聞1982年6月9日「あずき色グロリア? Aさん殺し 2万円奪われていた/女子中学生殺人事件」
読売新聞1982年6月10日「Aさんの血液型と一致 凶器のナイフ/千葉県警」
読売新聞1982年6月10日「2日前、友人宅に宿泊 Aさん 遊び仲間から事情聞く」
読売新聞1982年6月11日「"顔見知り説"強まる Aさんと気軽に話す 女子中生殺傷/千葉」
読売新聞1982年6月12日「Aさん、有力手がかり二つ」
読売新聞1982年6月13日「Aさん事件から1週間 夜の新宿、一斉補導」
朝日新聞1997年6月4日「捜査進まず、6日時効 82年の女子中生、千葉の山林で殺害」