2000年6月11日午後23時頃、栃木県宇都宮市江野町にあるジュエリーツツミ宇都宮店から出火。4階建建物の1階部分が全焼し、焼け跡からは同店店長ら従業員6人の遺体が発見された。
現場からオイル缶が見つかり、栃木県警は放火殺人事件と断定して店の関係者や顧客を中心に捜査を開始。すると小山市在住の篠沢 一男(当時49歳)が浮上した。翌日12日、篠沢に任意同行を求めると、自らがやったことを認めた。そのとき所持していたバッグには宝石や貴金属類が入っていたとされる。
【金がほしかった男】
篠沢は、かつては飲食店を経営していたこともあったが廃業し、事件当時は無職も同然であった。それでありながら愛人・宝石貴金属類・ブランド品等に金を使い続けていた。当然のように多額の借金があった。
篠沢は以前よりジュエリーツツミ宇都宮店に通っており、何度か取引をしたことがあった。事件の前月2000年5月にも訪れ、女性店長に高額商品を出させて自宅に運ばせ、商品を強奪した上で口封じのために殺害しようと計画したが、この時は本店の男性店員がおり、篠沢を強く警戒したため計画は失敗した。篠沢は次の計画を立てる。
【犯行】
事件当日の午後17時過ぎに篠沢が来店。ブランドバッグを持っており、「中に現金1億5000万円が入っているから現金取引しよう」と言う。店長は、ゆっくり商談するために閉店後にまた来るように頼んだ。そして近郊の店舗からも商品を集めて取引の準備が進められた。
19時30分過ぎに篠沢が再来店。ツツミ本社も店長らと連絡を取っていたが、取引について特に問題のある様子ではなかったという。すなわち店長らは篠沢が現金を持っていると信じ切っていたのだった。
約1億4000万円相当の宝石類の選別が完了すると、篠沢は精算のときは全従業員に立ち会ってほしいと頼む。そうして6人全員が集まった途端に態度を豹変させる。刃物を突きつけて脅し、店長に従業員5人の手足を粘着テープで縛らせ、店長は篠沢が縛った。6人は目隠しをされた上で店内の休憩室に押し込められる。篠沢が持つバッグには現金など入っておらずガソリンが入っていた。篠沢は休憩室内だけでなく従業員の体にまでガソリンをかけると火をつけて逃走した。店では数度の爆発が起こり、激しい火柱があがった。
犠牲になった6人は22歳~51歳で、いずれも女性。篠沢は女性だけの店舗を狙ったことを公判で認めている。自分より力の弱い女性を狙う卑劣さと、何も見えずに身動きの取れない状態の従業員に火をつけるという残酷さ…。凶悪極まる犯行だった。
上記のとおり、事件当日に篠沢が取引に訪れていたことはツツミ本社が把握していた。また、2000年5月の取引をストップさせた際に、要注意人物として社内のブラックリストに加えられていた。しかも店舗のある商店街に設置された防犯カメラが、店舗からズボンのすそに火のついた状態で出てくる篠沢に酷似した男の姿を映していた。こうして篠沢は直ちに容疑者として特定されたのだった。
【裁判と判決】
2002年3月19日、宇都宮地裁判決。強盗殺人罪により死刑。現場が焼失して生存者もいないことで物証が少なく、自白調書の内容が主な争点となった。
被告の篠沢は、強盗の事実は認めた上で、「ライターの火をつけたのは脅すため」、「ライターの火に気化したガソリンがたまたま引火した」などと殺意を否認した。自白についても、調書は精神的に圧迫された状態で作成されたもので証拠能力が無いと主張した。しかし裁判所は自白調書の信用性を認めた上で、「我が国犯罪史上まれに見る凶悪、重大事案」と述べ、罪質・動機・態様・結果・被害者感情・社会的影響を考慮して死刑を選択した。被告が控訴。
2003年4月23日、東京高裁判決。控訴棄却。被告は遺族に謝罪したが、判決は「何の落ち度もない6人もの被害者が残虐な方法で殺害された結果は重大で、遺族も強く極刑を望んでいる」とした。控訴審は検察・弁護側同意のもと、第1回公判1時間半の審理で結審し、2ヶ月後に判決となった。被告が上告。
2007年2月20日、最高裁判決。上告棄却。死刑確定。「人を殺してでも一挙に大金を獲得しようと周到に準備し、計画どおりの犯行に及んだ本件の経緯や動機は、誠に自己中心的なもので、酌量の余地は全くない」、「従業員全員の手足を縛り、目隠しまでした上で、現場を火の海にして店もろとも焼き殺した殺害の態様に至っては、強固な殺意の下に実行したもので、冷酷かつ残虐極まりない」、「遺族らの処罰感情は非常に厳しく、凶悪な本件犯行が社会に及ぼした影響も甚大」と断罪された。
【死刑執行】
2010年7月28日、死刑執行。事件発生から10年近くが経過していた。2003年8月18日に埼玉県熊谷市で発生した男女4人殺傷事件の犯人も同日に執行されている。
この二死刑囚の死刑執行は、法務大臣が死刑執行に立ち会ったという点で異例だった。そのことについて以下で簡単に触れる。
【死刑反対派の法務大臣】
死刑執行命令に署名した当時の法務大臣は千葉 景子。「死刑執行の最終判断者が死刑の状況を知らないことは無責任」だと考え、死刑執行に立ち会うことにしたという。法務大臣の死刑執行立ち会いはそれまでに例の無いことだった。
千葉は法務大臣に就任するまで「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属するなど死刑廃止論者であり、大臣就任後も約10ヶ月間執行命令を出していなかった。実際に執行に立ち会った感想として「機械的で、段取りが整っていて、粛々と進んでいく、その構造が残酷だと感じた」と述べた。
さらに1ヶ月後の8月27日には、事実上ブラックボックス化していた東京拘置所の刑場の一部を報道機関に公開。裁判員裁判において死刑を選択することの難しさが議論される中で、「死刑のあり方に関して国民的な議論を巻き起こしたい」とのこと。
【判決文】
宇都宮地裁平成12年(わ)第397号
最高裁平成15年(あ)第1120号
【出典】
朝日新聞2000年6月12日「宝石店放火で6人死亡 油まき、店員焼殺か 宇都宮」
朝日新聞2000年6月12日「女性だけの店に凶行 宇都宮の宝石店放火殺人」
読売新聞2000年6月12日「宝石店に放火、6人死亡 閉店後、数回の爆発音と火柱/宇都宮」
朝日新聞2000年6月13日「宝石店放火、49歳男を逮捕 強盗殺人など容疑で栃木県警」
毎日新聞2000年6月13日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 逃走の男、強盗殺人・放火容疑で逮捕 店とトラブル」
毎日新聞2000年6月13日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 ガソリンかけ放火 篠沢容疑者、バッグにしのばせ」
読売新聞2000年6月13日「宇都宮放火殺人 宝石類280点強奪、客の49歳男を逮捕 先月、購入断られる」
朝日新聞2000年6月18日「容疑者と商談の準備で系列店から宝石類 宇都宮の放火殺人」
毎日新聞2000年6月18日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 放火直前まで「商談」 店長、本社と電話連絡」
朝日新聞2000年6月19日「預けたバッグの中にガソリン 宇都宮の宝石店放火の容疑者」
読売新聞2000年6月21日「宇都宮の6人焼殺事件「粘着テープで縛った」篠沢容疑者が供述」
読売新聞2000年6月24日「宇都宮の宝石店放火殺人「女性の店狙った」篠沢容疑者が供述」
朝日新聞2000年7月5日「「一攫千金狙った」宇都宮の放火殺人で起訴の篠沢容疑者が供述」
朝日新聞2000年10月10日「被告が殺意を否認 宇都宮の宝石店放火初公判」
毎日新聞2000年10月10日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 6人強殺の被告、殺意否認 宇都宮地裁」
読売新聞2000年10月10日「宝石店放火殺人初公判 篠沢被告が殺意否認 強盗の事実は認める」
読売新聞2000年10月11日「宇都宮の宝石店放火殺人初公判 殺意の有無争点に」
毎日新聞2000年12月27日「宇都宮・宝石店放火殺人「まれにみる凶悪さ」篠沢被告に死刑求刑 地裁公判」
読売新聞2001年12月28日「宇都宮の宝石店放火殺人 篠沢被告に死刑求刑 捜査段階の供述重視」
朝日新聞2002年3月19日「篠沢被告に死刑 宇都宮の宝石店放火強盗殺人で地裁」
毎日新聞2002年3月19日「宇都宮の宝石店6人焼殺 篠沢被告に死刑 地裁判決「殺害は口封じ」」
読売新聞2002年3月19日「宝石店放火殺人 被告に死刑判決「凶悪、類をみない」/宇都宮地裁」
朝日新聞2003年4月23日「放火殺人、二審も死刑判決 宇都宮の宝石店、6人死亡」
毎日新聞2003年4月23日「宇都宮・宝石店6人焼殺 東京高裁も「死刑判決」 「6人の命重い」」
読売新聞2003年4月23日「宝石店放火、6人焼殺 2審も死刑支持「史上まれな凶悪事件」
毎日新聞2007年2月20日「宇都宮宝石店放火殺人:死刑確定、被告の上告棄却 最高裁」
読売新聞2007年2月21日「宇都宮の宝石店放火 6人焼殺の被告、死刑確定へ/最高裁」
朝日新聞2010年7月28日「政権交代後、初の死刑執行 千葉法相、自ら立ち会う 宇都宮・強盗殺人と埼玉4人殺傷」
日本経済新聞2010年7月28日「2人の死刑を執行 民主政権で初 法相が立ち会い」
毎日新聞2010年7月28日「死刑執行:1年ぶり、2人執行 政権交代後初、千葉法相立ち会い」
読売新聞2010年7月28日「2人死刑執行 法相「この目で確認」異例の立ち会い希望」
読売新聞2010年8月27日「死刑の刑場、報道機関に初めて公開」
現場からオイル缶が見つかり、栃木県警は放火殺人事件と断定して店の関係者や顧客を中心に捜査を開始。すると小山市在住の篠沢 一男(当時49歳)が浮上した。翌日12日、篠沢に任意同行を求めると、自らがやったことを認めた。そのとき所持していたバッグには宝石や貴金属類が入っていたとされる。
【金がほしかった男】
篠沢は、かつては飲食店を経営していたこともあったが廃業し、事件当時は無職も同然であった。それでありながら愛人・宝石貴金属類・ブランド品等に金を使い続けていた。当然のように多額の借金があった。
篠沢は以前よりジュエリーツツミ宇都宮店に通っており、何度か取引をしたことがあった。事件の前月2000年5月にも訪れ、女性店長に高額商品を出させて自宅に運ばせ、商品を強奪した上で口封じのために殺害しようと計画したが、この時は本店の男性店員がおり、篠沢を強く警戒したため計画は失敗した。篠沢は次の計画を立てる。
【犯行】
事件当日の午後17時過ぎに篠沢が来店。ブランドバッグを持っており、「中に現金1億5000万円が入っているから現金取引しよう」と言う。店長は、ゆっくり商談するために閉店後にまた来るように頼んだ。そして近郊の店舗からも商品を集めて取引の準備が進められた。
19時30分過ぎに篠沢が再来店。ツツミ本社も店長らと連絡を取っていたが、取引について特に問題のある様子ではなかったという。すなわち店長らは篠沢が現金を持っていると信じ切っていたのだった。
約1億4000万円相当の宝石類の選別が完了すると、篠沢は精算のときは全従業員に立ち会ってほしいと頼む。そうして6人全員が集まった途端に態度を豹変させる。刃物を突きつけて脅し、店長に従業員5人の手足を粘着テープで縛らせ、店長は篠沢が縛った。6人は目隠しをされた上で店内の休憩室に押し込められる。篠沢が持つバッグには現金など入っておらずガソリンが入っていた。篠沢は休憩室内だけでなく従業員の体にまでガソリンをかけると火をつけて逃走した。店では数度の爆発が起こり、激しい火柱があがった。
犠牲になった6人は22歳~51歳で、いずれも女性。篠沢は女性だけの店舗を狙ったことを公判で認めている。自分より力の弱い女性を狙う卑劣さと、何も見えずに身動きの取れない状態の従業員に火をつけるという残酷さ…。凶悪極まる犯行だった。
上記のとおり、事件当日に篠沢が取引に訪れていたことはツツミ本社が把握していた。また、2000年5月の取引をストップさせた際に、要注意人物として社内のブラックリストに加えられていた。しかも店舗のある商店街に設置された防犯カメラが、店舗からズボンのすそに火のついた状態で出てくる篠沢に酷似した男の姿を映していた。こうして篠沢は直ちに容疑者として特定されたのだった。
【裁判と判決】
2002年3月19日、宇都宮地裁判決。強盗殺人罪により死刑。現場が焼失して生存者もいないことで物証が少なく、自白調書の内容が主な争点となった。
被告の篠沢は、強盗の事実は認めた上で、「ライターの火をつけたのは脅すため」、「ライターの火に気化したガソリンがたまたま引火した」などと殺意を否認した。自白についても、調書は精神的に圧迫された状態で作成されたもので証拠能力が無いと主張した。しかし裁判所は自白調書の信用性を認めた上で、「我が国犯罪史上まれに見る凶悪、重大事案」と述べ、罪質・動機・態様・結果・被害者感情・社会的影響を考慮して死刑を選択した。被告が控訴。
2003年4月23日、東京高裁判決。控訴棄却。被告は遺族に謝罪したが、判決は「何の落ち度もない6人もの被害者が残虐な方法で殺害された結果は重大で、遺族も強く極刑を望んでいる」とした。控訴審は検察・弁護側同意のもと、第1回公判1時間半の審理で結審し、2ヶ月後に判決となった。被告が上告。
2007年2月20日、最高裁判決。上告棄却。死刑確定。「人を殺してでも一挙に大金を獲得しようと周到に準備し、計画どおりの犯行に及んだ本件の経緯や動機は、誠に自己中心的なもので、酌量の余地は全くない」、「従業員全員の手足を縛り、目隠しまでした上で、現場を火の海にして店もろとも焼き殺した殺害の態様に至っては、強固な殺意の下に実行したもので、冷酷かつ残虐極まりない」、「遺族らの処罰感情は非常に厳しく、凶悪な本件犯行が社会に及ぼした影響も甚大」と断罪された。
【死刑執行】
2010年7月28日、死刑執行。事件発生から10年近くが経過していた。2003年8月18日に埼玉県熊谷市で発生した男女4人殺傷事件の犯人も同日に執行されている。
この二死刑囚の死刑執行は、法務大臣が死刑執行に立ち会ったという点で異例だった。そのことについて以下で簡単に触れる。
【死刑反対派の法務大臣】
死刑執行命令に署名した当時の法務大臣は千葉 景子。「死刑執行の最終判断者が死刑の状況を知らないことは無責任」だと考え、死刑執行に立ち会うことにしたという。法務大臣の死刑執行立ち会いはそれまでに例の無いことだった。
千葉は法務大臣に就任するまで「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属するなど死刑廃止論者であり、大臣就任後も約10ヶ月間執行命令を出していなかった。実際に執行に立ち会った感想として「機械的で、段取りが整っていて、粛々と進んでいく、その構造が残酷だと感じた」と述べた。
さらに1ヶ月後の8月27日には、事実上ブラックボックス化していた東京拘置所の刑場の一部を報道機関に公開。裁判員裁判において死刑を選択することの難しさが議論される中で、「死刑のあり方に関して国民的な議論を巻き起こしたい」とのこと。
【判決文】
宇都宮地裁平成12年(わ)第397号
最高裁平成15年(あ)第1120号
【出典】
朝日新聞2000年6月12日「宝石店放火で6人死亡 油まき、店員焼殺か 宇都宮」
朝日新聞2000年6月12日「女性だけの店に凶行 宇都宮の宝石店放火殺人」
読売新聞2000年6月12日「宝石店に放火、6人死亡 閉店後、数回の爆発音と火柱/宇都宮」
朝日新聞2000年6月13日「宝石店放火、49歳男を逮捕 強盗殺人など容疑で栃木県警」
毎日新聞2000年6月13日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 逃走の男、強盗殺人・放火容疑で逮捕 店とトラブル」
毎日新聞2000年6月13日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 ガソリンかけ放火 篠沢容疑者、バッグにしのばせ」
読売新聞2000年6月13日「宇都宮放火殺人 宝石類280点強奪、客の49歳男を逮捕 先月、購入断られる」
朝日新聞2000年6月18日「容疑者と商談の準備で系列店から宝石類 宇都宮の放火殺人」
毎日新聞2000年6月18日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 放火直前まで「商談」 店長、本社と電話連絡」
朝日新聞2000年6月19日「預けたバッグの中にガソリン 宇都宮の宝石店放火の容疑者」
読売新聞2000年6月21日「宇都宮の6人焼殺事件「粘着テープで縛った」篠沢容疑者が供述」
読売新聞2000年6月24日「宇都宮の宝石店放火殺人「女性の店狙った」篠沢容疑者が供述」
朝日新聞2000年7月5日「「一攫千金狙った」宇都宮の放火殺人で起訴の篠沢容疑者が供述」
朝日新聞2000年10月10日「被告が殺意を否認 宇都宮の宝石店放火初公判」
毎日新聞2000年10月10日「宇都宮・宝石店放火殺人事件 6人強殺の被告、殺意否認 宇都宮地裁」
読売新聞2000年10月10日「宝石店放火殺人初公判 篠沢被告が殺意否認 強盗の事実は認める」
読売新聞2000年10月11日「宇都宮の宝石店放火殺人初公判 殺意の有無争点に」
毎日新聞2000年12月27日「宇都宮・宝石店放火殺人「まれにみる凶悪さ」篠沢被告に死刑求刑 地裁公判」
読売新聞2001年12月28日「宇都宮の宝石店放火殺人 篠沢被告に死刑求刑 捜査段階の供述重視」
朝日新聞2002年3月19日「篠沢被告に死刑 宇都宮の宝石店放火強盗殺人で地裁」
毎日新聞2002年3月19日「宇都宮の宝石店6人焼殺 篠沢被告に死刑 地裁判決「殺害は口封じ」」
読売新聞2002年3月19日「宝石店放火殺人 被告に死刑判決「凶悪、類をみない」/宇都宮地裁」
朝日新聞2003年4月23日「放火殺人、二審も死刑判決 宇都宮の宝石店、6人死亡」
毎日新聞2003年4月23日「宇都宮・宝石店6人焼殺 東京高裁も「死刑判決」 「6人の命重い」」
読売新聞2003年4月23日「宝石店放火、6人焼殺 2審も死刑支持「史上まれな凶悪事件」
毎日新聞2007年2月20日「宇都宮宝石店放火殺人:死刑確定、被告の上告棄却 最高裁」
読売新聞2007年2月21日「宇都宮の宝石店放火 6人焼殺の被告、死刑確定へ/最高裁」
朝日新聞2010年7月28日「政権交代後、初の死刑執行 千葉法相、自ら立ち会う 宇都宮・強盗殺人と埼玉4人殺傷」
日本経済新聞2010年7月28日「2人の死刑を執行 民主政権で初 法相が立ち会い」
毎日新聞2010年7月28日「死刑執行:1年ぶり、2人執行 政権交代後初、千葉法相立ち会い」
読売新聞2010年7月28日「2人死刑執行 法相「この目で確認」異例の立ち会い希望」
読売新聞2010年8月27日「死刑の刑場、報道機関に初めて公開」