後述する理由から、本記事は被害者女児の名前を敢えて実名で記載し、また女児が受けた性的暴行の内容にも触れています。


【下校中に殺害された女の子】
 2005年11月22日、広島県広島市安芸区にて、矢野西小学校に通う木下あいりちゃん(小学1年生、7歳)が下校途中で行方不明になった。この日は来春に入学する児童の就学前検診のために午前で授業が終わり、午後12時30分頃には下校した。普段は一緒に下校している友だちが早退していたため、あいりちゃんは一人で下校していたという。

 同日15時頃、同地区の空き地に置かれていた段ボール箱の中からあいりちゃんの遺体を発見。空き地は矢野西小から500メートルのあたり。更に700メートルほど進むとあいりちゃんの自宅に着く。

 ランドセルが失くなっていたが、これは遺体発見現場から300~500メートルほど離れたところにある植え込みにゴミ袋に入れて捨てられていた。

【捜査、そして逮捕】
 司法解剖の結果、同日午後13時~14時頃に首を強く締められて窒息死させられたと断定。さらに性的暴行を受けていたことも判明した。

 遺体が入れられた段ボール箱はガスコンロ用のものであり、広島県警はそのガスコンロの販売店を特定。段ボール箱は粘着テープで封印されており、テープからは指紋も検出された。さらに、あいりちゃんの衣服から犯人によるものと思われる汗も検出したという。

 11月29日、現場近くのアパート(空き地から約100メートル)に住むペルー人の男、フアン・カルロス・ピサロ・ヤギを殺人・死体遺棄容疑で指名手配。11月30日、三重県鈴鹿市の知人宅にいたヤギを逮捕した。

【悪魔のような男】
 ヤギの本名はホセ・マヌエル・トレス・ヤギ。2004年4月18日に日本に入国する際、偽名のパスポートで不法入国していた。この件に関しては不法入国幇助の疑いでヤギの姉が逮捕されている。年齢も逮捕当初は30歳と自称したが、正しくは33歳と判明。ヤギは母国ペルーにおいて複数の女児暴行容疑で指名手配中の身であった。

 来日したヤギはいくつもの仕事を転々としていた。日本語は話せない。事件前の2005年8月から10月中頃までは広島県海田町の自動車部品会社で働いたが、ここも勤務態度が問題となってクビになった。その後、事件現場近くのアパートに引っ越していた。

 同日の午後12時50分頃、アパート前を一人で歩いていたあいりちゃんに「Hola(オーラ、こんにちはを意味するスペイン語)」と声をかけ、「あなたのお名前は」と日本語で話しかけた。そして携帯電話の画像を見せるなどして、アパート自室に連れ込んだという。

 あいりちゃんの遺体は陰部や肛門に相当な出血があり、ヤギは強引に指を挿入するなどした模様。そしてヤギは自慰行為に耽った。あいりちゃんの遺体の顔には涙をながした跡があったとされる一方で、アパートの周囲の住人は悲鳴などを聞いていないというから、あいりちゃんは抵抗することもできなかったと推測される。抵抗すれば殺されると考えたかもしれない。ヤギの行為は全く鬼畜の所業というほか無い。

【公判前整理手続】
 2006年5月15日、広島地裁にて初公判。検察は死刑を求刑。弁護側は「殺意はなかった」として殺人と強制わいせつ致死傷罪について無罪を主張。ヤギは「悪魔に『殺せ、殺せ』と言われた、どうすることもできなかった(だから殺意は無かった)」などと供述した。

 なお、本事件では公判前整理手続が取られている。2004年5月1日に裁判員裁判に関する法律が成立し、2009年5月から裁判員裁判が開始されることが決まっていた。公判前整理手続とは、その裁判員裁判をにらみ、刑事裁判の充実・迅速化を図るために2005年11月より導入された制度である。最初の公判期日前に裁判官、検察、弁護人が争点を明確にし、あらかじめ証拠を厳選し、審理の計画を立てる。

 かくして公判は連日開廷することとなり、スピーディに進んだ。弁護側は精神鑑定を請求したが、これは裁判所が却下。結果として、初公判からわずか50日で判決まで至っている。

【地裁判決】
 2006年7月4日、地裁判決。無期懲役。

 悪魔に言われたなどという主張は認めず、責任能力有りとした。一方で、過去にペルーで犯した女児暴行容疑(前科)については考慮されていない。検察は前科についても証拠として採用するよう求めていたものの、公判前整理手続きに間に合わなかったために却下されたのである。「被害者が一人で、死刑をもって臨むには疑念が残る」と結論して無期懲役判決に至った。

 双方が控訴。

【高裁判決】
 2008年12月9日、高裁判決。地裁判決を破棄して差し戻し。「地裁は裁判の予定を優先するあまり、公判前整理手続きを十分せずに終結させた」と断じた。始まったばかりだった公判前整理手続の難しさが早くも浮き彫りになった。

 一審において、検察側は犯行現場を「アパート自室内」から「自宅アパート及びその周辺」と訴因変更して認められていた。高裁はこの点を問題視し、室内であれば「どのようにして連れ込んだか」が問題となり、屋外の人目につくような場所であれば責任能力の有無や悪質性の判断に影響するとして、「犯行現場を曖昧なまま判断するのは相当でない」と指摘。犯行現場が曖昧なままになった(検察が訴因を変更することになった)理由は、地裁が被告の供述調書を証拠採用しなかったためであると述べられた。

 被告宅にあった毛布にはあいりちゃんのものと思われる毛髪と血がついており、供述調書では「事件当日、毛布を外に持ち出していない」と述べているのだから、供述調書が信用できるのであれば犯行現場がアパート室内だと認定できる。そして「一審は審理を尽くしておらず違法」と結論。双方の主張よりも地裁批判に終始するような異例の判決だった。前科については一部が採用されている。

 弁護側が上告。

【最高裁判決】
 2009年10月16日、最高裁判決。高裁判決を破棄して差し戻し。

 件の供述調書の証拠採用について「調書以外の証拠を調べ、被告人質問で一定の心証を得ていて調書を調べる必要は無いと判断した手続きについて、違法性があったとはいえない」と述べた。ただし、調書の意義を否定したわけではなく「証拠採用の選択肢としてはあり得たが、検察側が犯行場所の認定を求めていない以上、証拠採用する義務はない」としている。「当事者からの主張もないのに、審理不尽の違法を認めることは違法であり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する」と結論した。

 判決は「裁判の充実・迅速化を図るため、証拠を厳選して合理的な期間内に審理を終えること」の意義を強調するものである。

 あいりちゃんの父は高裁判決の時点で無期懲役になったとしても受け入れるという思いもあったが、結局は裁判の手続きばかりが問題となり、当初スピーディに始まった裁判は死刑も無期懲役も確定しないまま時間だけが過ぎていく。

【差し戻し審判決】
 2010年7月28日、差し戻し高裁判決。地裁判決を支持して控訴棄却。

 前科について「一審で採用されなかったのに二審であえて調べるのは、公判前整理手続を経た一審尊重の見地に反する」、「日本の前歴と同じ評価はできず、量刑判断の資料には用いない」とした。

 死刑を回避したことについては「被害者が1人の場合に死刑が選択されるのはより悪質な事案」、「無慈悲かつ残忍な犯行で遺族感情も峻烈だが、計画性や前科は無い」、「遺族に謝罪の手紙を書いており、反省悔悟の情が無いとは言えない」、「性被害の有無は重要な意味を持つが、総合的には一審の量刑に誤りは無い」と結論した。弁護側の無罪主張は退けた。

 双方上告せずに無期懲役が確定。事件発生から5年が経過していた。

【父親の訴え】
 遺体発見後、あいりちゃんが犯人から性的暴行を受けた事実が判明すると、報道各社は遺族への配慮から被害者を匿名で報道するようになった。しかし、あいりちゃんの父である木下 健一さんは「娘は『広島小1女児』ではなく世界に一人だけの『木下あいり』なのだから、ちゃんと実名で報道してほしい」と要望した。また、事件がいかに残酷な犯行であったかを社会に正しく知ってもらうために「性的被害についても単なる『暴行』ではなく出来る限り詳細に報道してほしい」と訴えた。これを受けて報道各社は再び実名報道を行っている。

 日本において被害者が一人の事件では死刑が選択され難いが、健一さんは、性的暴行を加えた上で殺害するのは人を二度殺すようなものだと語る。

 健一さんは陸上自衛隊勤務で、あいりちゃんは事件のあった年の1学期までは千葉県の小学校に通っていたが、8月に広島へ転居して2学期から矢野西小学校に通い出したばかりだった。事件が決着した後の2011年3月18日には、矢野西小から卒業証書が渡されている。健一さんは東日本大震災の被災地へ災害派遣中だったため、母親がこれを受け取った。

【参考サイト】
 木下あいりちゃん支援の会によるホームページ。差し戻し高裁判決前で更新は止まっているようだ。
 http://stophanzai.web.fc2.com/

【判決文】
 いずれも裁判所ウェブサイトで参照可。
 広島地裁平成17年(わ)第1355号
 広島高裁平成18年(う)第180号
 最高裁平成21年(あ)第191号
 広島高裁平成21年(う)第202号