1996年4月11日の午後23時30分頃、JR池袋駅のホームにて、立教大学4年生の小林 悟さん(当時21歳)が男に絡まれた末に殴られた。悟さんは転倒した際に点字ブロックに頭を打ち、病院に運ばれたが外傷性脳内出血で亡くなった。
夜遅くとはいえ池袋駅の山手線のホーム故に現場には多くの人がいたが、事件について証言してくれる人は少なく、悟さんを殺害した男を特定することはできなかった。2020年現在も未解決。
【夜の池袋駅で】
悟さんは駅前で大学の友人と飲み、帰宅するところだった。しかし山手線のホームへ向かう4番階段付近で男に絡まれてしまう。なにかしら因縁をつけられた模様。体がぶつかったりしたのかもしれない。証言によれば、絡んだ男は酔った様子だったという。
悟さんは階段を登ってホームに向かったが、男はしつこくついてきた。悟さんも抵抗する。お互い掴み合いの様になった。口論が激しくなり周囲も心配し始めたそのとき、男がとうとう右手で悟さんを殴った。悟さんはホームに激しく倒れる。殴った男はちょうど出発するところだった上野方面の電車(山手線外回り)に飛び乗って逃走してしまった。乗ったのは23時37分発の電車とされる。
悟さんが倒れたところには視覚障害者誘導用ブロック(いわゆる点字ブロック)があった。頭を強く打った悟さんはなんとか意識を取り戻し、当初は命に別状はないと診断されたが、翌日12日には容態が急変。4月16日早朝に病院で亡くなった。
悟さんが倒れたときには約30人が囲んだという。しかし救急車が着くまで側に居続けたのは高齢の女性1人だけ。その後に目撃証言をしてくれた人も少ない。悟さんは社会の無関心にも殺されたのだった。
【犯人の行方】
殴った男は何者か。目撃者によればスーツを着ていてサラリーマン風。容姿についても似顔絵が作成された。
池袋から上野方面へ向かう山手線外回りに乗った男は座席に座ったという。そして(少なくとも)日暮里駅までは電車に乗っていたという証言がある。日暮里駅で乗り換えられる電車は常磐線か京成線だ。京浜東北線も通っているが、これは池袋からも乗れるし、日暮里・舎人ライナーは当時開通していない。日暮里駅以降も山手線に乗っていたのだとしたら、以降の駅は鶯谷、上野、御徒町、秋葉原、神田、東京…と続く。
息子の命を奪った犯人を追った悟さんの父、小林 邦三郎さんは、事件から2ヶ月後に北千住駅で似顔絵にそっくりの男を見つけた。邦三郎さんは犯人に間違いないと直感し、駅前のパチンコ屋に入っていく男を尾行する。男はパチンコ屋を出てくると公衆電話で電話して「バカ野郎」などと何やら怒鳴っていたという。そして北千住駅から常磐線快速に乗って移動するが、男は柏駅を降りたところで人混みに紛れて行方をくらませた。
後日、邦三郎さんは再び柏駅を訪れ、警察の許可を取った上で防犯カメラを確認しようとしたのだが、尾行した日の映像は既に重ね撮りされてしまっており、男の顔は確認できず。邦三郎さんはその後も駅で張り込みを続けたが男は二度と現れなかった。なお、柏駅は常磐線の停車駅であり、北千住駅からだけでなく日暮里駅からも行くことができる。
【家族の執念】
邦三郎さんは犯人を捕らえるべく全力を尽くした。情報提供を呼びかけるポスターを自費で作成してJRや私鉄の各駅に貼った。警察主導ではない被害者遺族によるこのような行動は前例が無いことだった。前例が無いだけに「駅構内に貼るならばお金を払ってくれ」と言い出す駅もあったという。さらに96年の暮れには自費で200万円の懸賞金をかけた。遺族による懸賞金というのもやはり異例のこと。2000年5月には1000万円に増額した。
事件は当初傷害致死事件として捜査されていた。当時の公訴時効は7年である。しかし邦三郎さんは、3万5000人の署名と公訴時効延長を求める嘆願書を法務省に提出。その結果、傷害致死罪としての公訴時効が成立する直前の2003年3月に容疑が殺人罪へと切り替えられた。殺人罪の当時の公訴時効は15年。警視庁としても異例の判断だった。
2004年には殺人罪や強盗殺人罪等の公訴時効は15年から25年へと改正された。同時に傷害致死罪や強盗罪の公訴期限は7年から10年へと改正されている。ただし2004年改正時には過去に起きた事件に対する遡及適用は無かった。
【Poena】
2006年2月、邦三郎さんは「犯罪被害者家族の会 Poena」を設立した。Poena(ポエナ)はラテン語の格言に由来し、「罰を与える女神」という意味と捉え、どんな犯罪も天の神は見ていて被害者を守ってくれることを信じて会の名前とした。孤立しがちな被害者とその遺族・家族の連帯の場を作ろうとすることを一つの目的とする。Poenaは、世田谷一家殺人事件や柴又女子大生放火殺人事件の被害者家族たちによる「宙の会」などとともに、殺人罪・強盗殺人罪等の公訴時効撤廃を訴えた。
そして2010年4月の刑事訴訟法改正により、遂に殺人罪や強盗殺人罪等の公訴時効は無くなることとなった。公訴時効が撤廃される事件は、2010年4月時点で公訴時効の成立していない殺人・強盗殺人事件等である。すなわち対象は1995年4月27日以降の事件であり、96年4月に発生した本事件も対象に含まれた。ただ、邦三郎さん(及びPoena)は法の不遡及の観点から、本事件も含めた過去の事件まで公訴時効撤廃の対象に含まれることには反対していた。この点は「宙の会」などとすこし主張が異なる。
【結末】
本事件は2010年4月より捜査特別報奨金の対象となった。金額は300万円。しかし2012年4月には邦三郎さんの要望で対象から外された。同時に本事件の捜査の打ち切りも要望している。
異例の捜査打ち切り要望の理由は、やはり上述のとおり法の不遡及の観点だった。いつまでも捜査が継続することで捜査関係者に負担をかけたくないとも記載している。インタビューでは、長年事件を追い続けて活動する中で「もう犯人には罪を負わせたと思う」とも述べている。息子の死をきっかけにした「犯罪の無い社会」のための活動は続けていく。
2020年12月11日に容疑者不明のまま殺人の容疑で書類送検。いよいよ警視庁による捜査が終了する。上記遺族の要望に基づく「特例の措置」と説明された。ただし公訴時効が成立しないことに変わりはなく、情報提供は引き続け受け付けるほか、今後もし犯人が特定されれば逮捕するとのこと。
12月18日付で不起訴処分。東京地検は証拠を検討した結果、傷害致死の適用が妥当と判断し、傷害致死罪の公訴時効完成での不起訴となった。
大学4年生だった悟さんは当時就活セミナーに参加していた。邦三郎さんの記憶に残る最後の会話も就職に関する話題だったという。しかし社会人になった息子の姿を見ることはできなかった。
【参考サイト】
犯罪被害者家族の会 Poenaのページは以下。
http://www.ll.em-net.ne.jp/~deguchi/
Poenaのページ内にて邦三郎さんによる本事件捜査打ち切りの要望書を確認できる。
http://www.ll.em-net.ne.jp/~deguchi/news/2012/0422.html
警視庁による本事件の情報提供呼びかけのページは以下。犯人の似顔絵も掲載されている。既に遺族としては情報提供呼びかけ等は行っていないが、時効が成立しない以上は形式的であっても警察の捜査は継続する。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/rikkyo.html
【出典】
読売新聞1996年4月13日「東京・池袋駅でけんか、大学生が意識不明 逃げた男の似顔絵公開」
朝日新聞1996年4月13日「駅のホームでけんかし大学生重体 JR池袋駅/東京」
読売新聞1996年4月16日「JR池袋駅ホームでけんか、重体の立大生死亡」
朝日新聞1996年9月14日「ビラとインターネット、新旧メディアで情報を 池袋駅大学生傷害致死」
読売新聞1996年12月26日「立大生"池袋駅ホームの死" 情報提供者に懸賞金200万円 父親が呼びかけ」
読売新聞2000年5月22日「立大生傷害致死事件 父親が懸賞金1000万円に増額」
朝日新聞2002年4月19日「時効改正の署名集める 立教大生暴行死で父 豊島区・池袋/埼玉」
読売新聞2003年3月5日「立教大生傷害致死事件 時効迫り「殺人」に切り替え/警視庁」
朝日新聞2003年3月5日「突き落とされそうに 警視庁、池袋駅暴行死で殺人容疑への変更説明」
TOKYO MX2010年4月14日「立教大生殺害事件から14年 時効残り1年、父の思いは」
TOKYO MX2012年4月17日「JR池袋駅立教大生殺人 遺族が異例の捜査打ち切り要望」
テレ東NEWS2020年12月11日「24年前の未解決事件 容疑者不詳のまま捜査に「区切り」~池袋駅立教大生殺人事件~」
朝日新聞2020年12月12日「立教大生殺害事件、書類送検」
読売新聞2020年12月24日「立教大生死亡 不起訴」
夜遅くとはいえ池袋駅の山手線のホーム故に現場には多くの人がいたが、事件について証言してくれる人は少なく、悟さんを殺害した男を特定することはできなかった。2020年現在も未解決。
【夜の池袋駅で】
悟さんは駅前で大学の友人と飲み、帰宅するところだった。しかし山手線のホームへ向かう4番階段付近で男に絡まれてしまう。なにかしら因縁をつけられた模様。体がぶつかったりしたのかもしれない。証言によれば、絡んだ男は酔った様子だったという。
悟さんは階段を登ってホームに向かったが、男はしつこくついてきた。悟さんも抵抗する。お互い掴み合いの様になった。口論が激しくなり周囲も心配し始めたそのとき、男がとうとう右手で悟さんを殴った。悟さんはホームに激しく倒れる。殴った男はちょうど出発するところだった上野方面の電車(山手線外回り)に飛び乗って逃走してしまった。乗ったのは23時37分発の電車とされる。
悟さんが倒れたところには視覚障害者誘導用ブロック(いわゆる点字ブロック)があった。頭を強く打った悟さんはなんとか意識を取り戻し、当初は命に別状はないと診断されたが、翌日12日には容態が急変。4月16日早朝に病院で亡くなった。
悟さんが倒れたときには約30人が囲んだという。しかし救急車が着くまで側に居続けたのは高齢の女性1人だけ。その後に目撃証言をしてくれた人も少ない。悟さんは社会の無関心にも殺されたのだった。
【犯人の行方】
殴った男は何者か。目撃者によればスーツを着ていてサラリーマン風。容姿についても似顔絵が作成された。
池袋から上野方面へ向かう山手線外回りに乗った男は座席に座ったという。そして(少なくとも)日暮里駅までは電車に乗っていたという証言がある。日暮里駅で乗り換えられる電車は常磐線か京成線だ。京浜東北線も通っているが、これは池袋からも乗れるし、日暮里・舎人ライナーは当時開通していない。日暮里駅以降も山手線に乗っていたのだとしたら、以降の駅は鶯谷、上野、御徒町、秋葉原、神田、東京…と続く。
息子の命を奪った犯人を追った悟さんの父、小林 邦三郎さんは、事件から2ヶ月後に北千住駅で似顔絵にそっくりの男を見つけた。邦三郎さんは犯人に間違いないと直感し、駅前のパチンコ屋に入っていく男を尾行する。男はパチンコ屋を出てくると公衆電話で電話して「バカ野郎」などと何やら怒鳴っていたという。そして北千住駅から常磐線快速に乗って移動するが、男は柏駅を降りたところで人混みに紛れて行方をくらませた。
後日、邦三郎さんは再び柏駅を訪れ、警察の許可を取った上で防犯カメラを確認しようとしたのだが、尾行した日の映像は既に重ね撮りされてしまっており、男の顔は確認できず。邦三郎さんはその後も駅で張り込みを続けたが男は二度と現れなかった。なお、柏駅は常磐線の停車駅であり、北千住駅からだけでなく日暮里駅からも行くことができる。
【家族の執念】
邦三郎さんは犯人を捕らえるべく全力を尽くした。情報提供を呼びかけるポスターを自費で作成してJRや私鉄の各駅に貼った。警察主導ではない被害者遺族によるこのような行動は前例が無いことだった。前例が無いだけに「駅構内に貼るならばお金を払ってくれ」と言い出す駅もあったという。さらに96年の暮れには自費で200万円の懸賞金をかけた。遺族による懸賞金というのもやはり異例のこと。2000年5月には1000万円に増額した。
事件は当初傷害致死事件として捜査されていた。当時の公訴時効は7年である。しかし邦三郎さんは、3万5000人の署名と公訴時効延長を求める嘆願書を法務省に提出。その結果、傷害致死罪としての公訴時効が成立する直前の2003年3月に容疑が殺人罪へと切り替えられた。殺人罪の当時の公訴時効は15年。警視庁としても異例の判断だった。
2004年には殺人罪や強盗殺人罪等の公訴時効は15年から25年へと改正された。同時に傷害致死罪や強盗罪の公訴期限は7年から10年へと改正されている。ただし2004年改正時には過去に起きた事件に対する遡及適用は無かった。
【Poena】
2006年2月、邦三郎さんは「犯罪被害者家族の会 Poena」を設立した。Poena(ポエナ)はラテン語の格言に由来し、「罰を与える女神」という意味と捉え、どんな犯罪も天の神は見ていて被害者を守ってくれることを信じて会の名前とした。孤立しがちな被害者とその遺族・家族の連帯の場を作ろうとすることを一つの目的とする。Poenaは、世田谷一家殺人事件や柴又女子大生放火殺人事件の被害者家族たちによる「宙の会」などとともに、殺人罪・強盗殺人罪等の公訴時効撤廃を訴えた。
そして2010年4月の刑事訴訟法改正により、遂に殺人罪や強盗殺人罪等の公訴時効は無くなることとなった。公訴時効が撤廃される事件は、2010年4月時点で公訴時効の成立していない殺人・強盗殺人事件等である。すなわち対象は1995年4月27日以降の事件であり、96年4月に発生した本事件も対象に含まれた。ただ、邦三郎さん(及びPoena)は法の不遡及の観点から、本事件も含めた過去の事件まで公訴時効撤廃の対象に含まれることには反対していた。この点は「宙の会」などとすこし主張が異なる。
【結末】
本事件は2010年4月より捜査特別報奨金の対象となった。金額は300万円。しかし2012年4月には邦三郎さんの要望で対象から外された。同時に本事件の捜査の打ち切りも要望している。
異例の捜査打ち切り要望の理由は、やはり上述のとおり法の不遡及の観点だった。いつまでも捜査が継続することで捜査関係者に負担をかけたくないとも記載している。インタビューでは、長年事件を追い続けて活動する中で「もう犯人には罪を負わせたと思う」とも述べている。息子の死をきっかけにした「犯罪の無い社会」のための活動は続けていく。
2020年12月11日に容疑者不明のまま殺人の容疑で書類送検。いよいよ警視庁による捜査が終了する。上記遺族の要望に基づく「特例の措置」と説明された。ただし公訴時効が成立しないことに変わりはなく、情報提供は引き続け受け付けるほか、今後もし犯人が特定されれば逮捕するとのこと。
12月18日付で不起訴処分。東京地検は証拠を検討した結果、傷害致死の適用が妥当と判断し、傷害致死罪の公訴時効完成での不起訴となった。
大学4年生だった悟さんは当時就活セミナーに参加していた。邦三郎さんの記憶に残る最後の会話も就職に関する話題だったという。しかし社会人になった息子の姿を見ることはできなかった。
【参考サイト】
犯罪被害者家族の会 Poenaのページは以下。
http://www.ll.em-net.ne.jp/~deguchi/
Poenaのページ内にて邦三郎さんによる本事件捜査打ち切りの要望書を確認できる。
http://www.ll.em-net.ne.jp/~deguchi/news/2012/0422.html
警視庁による本事件の情報提供呼びかけのページは以下。犯人の似顔絵も掲載されている。既に遺族としては情報提供呼びかけ等は行っていないが、時効が成立しない以上は形式的であっても警察の捜査は継続する。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/rikkyo.html
【出典】
読売新聞1996年4月13日「東京・池袋駅でけんか、大学生が意識不明 逃げた男の似顔絵公開」
朝日新聞1996年4月13日「駅のホームでけんかし大学生重体 JR池袋駅/東京」
読売新聞1996年4月16日「JR池袋駅ホームでけんか、重体の立大生死亡」
朝日新聞1996年9月14日「ビラとインターネット、新旧メディアで情報を 池袋駅大学生傷害致死」
読売新聞1996年12月26日「立大生"池袋駅ホームの死" 情報提供者に懸賞金200万円 父親が呼びかけ」
読売新聞2000年5月22日「立大生傷害致死事件 父親が懸賞金1000万円に増額」
朝日新聞2002年4月19日「時効改正の署名集める 立教大生暴行死で父 豊島区・池袋/埼玉」
読売新聞2003年3月5日「立教大生傷害致死事件 時効迫り「殺人」に切り替え/警視庁」
朝日新聞2003年3月5日「突き落とされそうに 警視庁、池袋駅暴行死で殺人容疑への変更説明」
TOKYO MX2010年4月14日「立教大生殺害事件から14年 時効残り1年、父の思いは」
TOKYO MX2012年4月17日「JR池袋駅立教大生殺人 遺族が異例の捜査打ち切り要望」
テレ東NEWS2020年12月11日「24年前の未解決事件 容疑者不詳のまま捜査に「区切り」~池袋駅立教大生殺人事件~」
朝日新聞2020年12月12日「立教大生殺害事件、書類送検」
読売新聞2020年12月24日「立教大生死亡 不起訴」