2009年7月24日、岐阜県群上市高鷲町の「ひるがの高原キャンプ場」にて、学校の宿泊行事で訪れていた小学5年生女児1名が行方不明になった。2020年現在も女の子の行方は分かっていない。
【楽しみにしていたキャンプ】
2009年7月23日、愛知県常滑市立常滑西小学校の5年生85人は、2泊3日の予定で岐阜県群上市高鷲町町「ひるがの高原キャンプ場」を訪れた。5年生を対象とした野外授業は学校の毎年恒例行事。キャンプ場は学校の貸切状態で外部の人間はいなかった。
昼間はスケッチをしたり、夜はキャンプファイヤーをしたりして一日目を終える。翌日に行方不明となる下村 まなみちゃんは、キャンプ初日の様子を日記につけていた。
【最後に見たのは後ろ姿】
7月24日、野外授業二日目。まなみちゃんは朝食を終えると、友達を連れて4人組で夜に行う肝試しのコースの下見へ向かった。これが午前7時40分頃。肝試しコースは一周約2キロの遊歩道である。
まなみちゃんはダウン症候群、いわゆるダウン症であった。体が弱いため、4人で歩く途中で少しずつ遅れだした。普段であればすぐにしゃがみ込んでしまうこともあったが、この日は心配した友達に「一人で歩ける」と答えたという。3人組が先行し、少し離れてまなみちゃんが一人で歩く格好となった。
遊歩道を折り返すあたりに校長先生が立っていた。児童がコースを外れないように見守る役目であった。午前8時ちょっと前に先行する3人組が通過。そして8時ちょうど頃にまなみちゃんが着いた。校長は「頑張っているな」と声をかけた。まなみちゃんもしっかり返事をしたという。一人で歩くまなみちゃんを心配してか、校長はまなみちゃんが見えなくなるまで後ろ姿を見守っていた。その後、校長は1分近く待機していたが、後に続く児童がいないようなので待機場所を離れた。そして小走りでまなみちゃんの後を追いかける格好となる。
先行する3人は道が二手に分かれる地点に着く。1人はこの後の準備があるため先へ進み、2人は離れてしまったまなみちゃんを心配して来た道を引き返した。しかし引き返した2人が出会ったのはまなみちゃんではなく校長だった。2人の後ろ、校長の前にいるはずのまなみちゃんがいない。2人組と校長が出会ったのは8時4分頃とされている。この時間経過については報道媒体によって若干バラつきはあるが、いずれにせよ校長がまなみちゃんを見送ってからわずかな時間しか経っていないというのは事実。まなみちゃんの体力を考慮すれば、短時間で移動できる範囲は自ずと限定されるはずである。
道は一本道。校長が見送ってから2人組と鉢合わせる地点まではおよそ150~180メートルとのこと。しかし校長と他の教員が周辺を探してもまなみちゃんは見つからない。12時半頃に警察が到着。キャンプ場周辺まで含めたローラー作戦が展開され、藪の中や林道の奥から小川まで、さらには重機で崖を崩して土の中まで探すなど、大規模な捜索が連日続けられる。しかし2020年現在までまなみちゃんは見つかっていない。
【推理】
まなみちゃんの進んだ遊歩道は、左手側は大人でも登るのに苦労するような急斜面で、右手側は浅い小川が流れている。小川は水深数十センチだがこの程度でも子どもは溺れる可能性がある。当然捜索されたが手がかりなし。2012年にはキャンプ場周辺の池の水を全て抜き、3年分の堆積した土を掘り起こすほどの捜索も実施されているが何らの痕跡も見つかっていない。
キャンプ場は学校の貸切状態であったが、毎年恒例の行事であるので日程にあたりをつけて事前に侵入することもできなくはなさそうだ。とはいえ、現場のロケーションは上記のとおりで、自由に身動きできる範囲は少ない。人拐いであったとしたら相当リスキーな行動を取らざるを得ない。
現場キャンプ場周辺はしばしばツキノワグマの目撃情報があり、クマに襲われたという推理もされるが、もしそうであれば衣服や靴などは見つかってもよさそうである。
【待ち続ける家族】
まなみちゃんにとっては親元を離れて過ごす初めての宿泊体験だった。とても楽しみにしていたという。母親はまなみちゃんの姉2人を育てつつ、時間の許す限りキャンプ場に出向いてまなみちゃんを探し続けた。しかし時間だけが過ぎていき、まなみちゃんは小学校を卒業し、中学校も卒業した。家族は大きくなったまなみちゃんが元気な姿で帰ってくる日を今でも待ち続けている。
岐阜県警による情報提供呼びかけのページは以下のとおり。
https://www.pref.gifu.lg.jp/police/gifuken-keisatu/ken-keisatsu/keisatsu-sho/gujo-sho/oshirase/hiruganohukuehumei.html
【楽しみにしていたキャンプ】
2009年7月23日、愛知県常滑市立常滑西小学校の5年生85人は、2泊3日の予定で岐阜県群上市高鷲町町「ひるがの高原キャンプ場」を訪れた。5年生を対象とした野外授業は学校の毎年恒例行事。キャンプ場は学校の貸切状態で外部の人間はいなかった。
昼間はスケッチをしたり、夜はキャンプファイヤーをしたりして一日目を終える。翌日に行方不明となる下村 まなみちゃんは、キャンプ初日の様子を日記につけていた。
【最後に見たのは後ろ姿】
7月24日、野外授業二日目。まなみちゃんは朝食を終えると、友達を連れて4人組で夜に行う肝試しのコースの下見へ向かった。これが午前7時40分頃。肝試しコースは一周約2キロの遊歩道である。
まなみちゃんはダウン症候群、いわゆるダウン症であった。体が弱いため、4人で歩く途中で少しずつ遅れだした。普段であればすぐにしゃがみ込んでしまうこともあったが、この日は心配した友達に「一人で歩ける」と答えたという。3人組が先行し、少し離れてまなみちゃんが一人で歩く格好となった。
遊歩道を折り返すあたりに校長先生が立っていた。児童がコースを外れないように見守る役目であった。午前8時ちょっと前に先行する3人組が通過。そして8時ちょうど頃にまなみちゃんが着いた。校長は「頑張っているな」と声をかけた。まなみちゃんもしっかり返事をしたという。一人で歩くまなみちゃんを心配してか、校長はまなみちゃんが見えなくなるまで後ろ姿を見守っていた。その後、校長は1分近く待機していたが、後に続く児童がいないようなので待機場所を離れた。そして小走りでまなみちゃんの後を追いかける格好となる。
先行する3人は道が二手に分かれる地点に着く。1人はこの後の準備があるため先へ進み、2人は離れてしまったまなみちゃんを心配して来た道を引き返した。しかし引き返した2人が出会ったのはまなみちゃんではなく校長だった。2人の後ろ、校長の前にいるはずのまなみちゃんがいない。2人組と校長が出会ったのは8時4分頃とされている。この時間経過については報道媒体によって若干バラつきはあるが、いずれにせよ校長がまなみちゃんを見送ってからわずかな時間しか経っていないというのは事実。まなみちゃんの体力を考慮すれば、短時間で移動できる範囲は自ずと限定されるはずである。
道は一本道。校長が見送ってから2人組と鉢合わせる地点まではおよそ150~180メートルとのこと。しかし校長と他の教員が周辺を探してもまなみちゃんは見つからない。12時半頃に警察が到着。キャンプ場周辺まで含めたローラー作戦が展開され、藪の中や林道の奥から小川まで、さらには重機で崖を崩して土の中まで探すなど、大規模な捜索が連日続けられる。しかし2020年現在までまなみちゃんは見つかっていない。
【推理】
まなみちゃんの進んだ遊歩道は、左手側は大人でも登るのに苦労するような急斜面で、右手側は浅い小川が流れている。小川は水深数十センチだがこの程度でも子どもは溺れる可能性がある。当然捜索されたが手がかりなし。2012年にはキャンプ場周辺の池の水を全て抜き、3年分の堆積した土を掘り起こすほどの捜索も実施されているが何らの痕跡も見つかっていない。
キャンプ場は学校の貸切状態であったが、毎年恒例の行事であるので日程にあたりをつけて事前に侵入することもできなくはなさそうだ。とはいえ、現場のロケーションは上記のとおりで、自由に身動きできる範囲は少ない。人拐いであったとしたら相当リスキーな行動を取らざるを得ない。
現場キャンプ場周辺はしばしばツキノワグマの目撃情報があり、クマに襲われたという推理もされるが、もしそうであれば衣服や靴などは見つかってもよさそうである。
【待ち続ける家族】
まなみちゃんにとっては親元を離れて過ごす初めての宿泊体験だった。とても楽しみにしていたという。母親はまなみちゃんの姉2人を育てつつ、時間の許す限りキャンプ場に出向いてまなみちゃんを探し続けた。しかし時間だけが過ぎていき、まなみちゃんは小学校を卒業し、中学校も卒業した。家族は大きくなったまなみちゃんが元気な姿で帰ってくる日を今でも待ち続けている。
岐阜県警による情報提供呼びかけのページは以下のとおり。
https://www.pref.gifu.lg.jp/police/gifuken-keisatu/ken-keisatsu/keisatsu-sho/gujo-sho/oshirase/hiruganohukuehumei.html