1988年6月22日午前5時40分頃、和歌山県和歌山市園部の路上で、新聞配達中の女子高生が何者かによって刺殺された。地域を震撼させた凶悪事件であるが、犯人を特定するには至らず、2003年6月22日に公訴時効成立。迷宮入り事件。
【早朝の通り魔】
本事件の被害者は林史子さん。当時15歳、高校1年生。両親が離婚してから母と姉と3人で暮らしていた。
母子家庭の生活に余裕はない。そこで1988年4月、史子さんは高校に上がるとすぐに新聞配達のバイトを始める。表向きは「お母さんを助けたい」と言いつつ、姉には「学校帰りに友達とハンバーガーを食べに行きたいし、テレビ番組を録画できるビデオデッキがほしい」と本音を打ち明けてもいた。
理由はともかくとして、史子さんは一度やると決めたら一生懸命にやる性格だった。雨の日も日曜日も休むことなく働き続けた。始めのうちは母親が自転車で追いかけたり車で送ったりしたが、やがて慣れてくると一人で回るようになった。明るく元気な性格で同僚たちからも可愛がられていたという。
1988年6月22日午前5時、この日も自宅から約200メートル離れたところにある読売新聞の直売所に普段通り出勤。所員の「今日も頑張って」という呼びかけに「はーい」と元気に答え、約1キロ離れた配達エリアに向かって行った。
しかしそれから僅か30分後、彼女は路上で血を流して倒れていた。発見したのは朝日新聞の配達員男性。史子さんとはそれ以前にも配達途中にすれ違って挨拶を交わしたことがあった。彼ははじめ史子さんが交通事故に遭ったと思ったという。だが、救急隊の調べによって首や肩を刃物で切り付けられたことが判明。紛れもない殺人事件だった。
【捜査】
普段の彼女の配達ルートから考えて、担当分をちょうど半分ほど配り終えたところで襲撃されたらしい。傷は全て背中側。特に右耳後ろの傷は頸動脈にまで達し、ほとんど即死同然だったと言われている。
抵抗した時にできる防御創は確認されていない。また、自転車の前カゴには未配達の朝刊三十一部とスポーツ新聞二部がきれいに収まっていた。これはすなわち背後から忍び寄って切られたか、若しくはすれ違いざまに不意打ちで切られたことを意味する。史子さんが自転車に乗っていたということは、犯人もまた自転車、原付、バイク等に乗っていた可能性が高そうだ。
【物証】
凶器は片刃のナイフの類とされるが発見されておらず、早朝故に目撃証言も皆無と言っていい。唯一の物証は現場に残った血のついた足跡だ。警察の調べにより、アシックスのジョギングシューズ「オークランド」で、サイズは24〜25センチ(*リンク先は和歌山県警ホームページのアーカイブ)と判明している。和歌山県内で1987年11月から事件までに販売されたのは1685足。そのうち657足の販売先までは突き止めたとのこと。
しかし追跡はそこまで。大量生産品だけを手かがりにして犯人を特定するのはあまりに難し過ぎた。
【犯人像】
顔見知りか通りすがりか、老若男女も全く分かっていない。犯行目的も不明。早朝で人通りは少ないとはいえ、新興住宅地のど真ん中で殺人を犯すのは非常にリスキーではある。果たして行きずりの人物による通り魔事件なのだろうか。あるいは、史子さんの着衣に乱れはなかったとのことだが、早朝に新聞を配る健気な少女に勝手な想いを募らせたストーカー的犯罪だったのかもしれない。
【結末】
2003年6月22日、公訴時効成立。事件は迷宮入りした。県警も遺族も情報提供を呼びかけ続けたが、結局は"血の足跡"以外ほとんど捜査に進展は無かった。
因みに1998年に起こった和歌山毒物カレー事件の舞台となった夏祭り会場は、本事件の現場から約250メートルという至近にある。世間的には毒物カレー事件の印象が強いためか、発生後に本事件の風化が一層早まったと指摘されている。
【出典】
【早朝の通り魔】
本事件の被害者は林史子さん。当時15歳、高校1年生。両親が離婚してから母と姉と3人で暮らしていた。
母子家庭の生活に余裕はない。そこで1988年4月、史子さんは高校に上がるとすぐに新聞配達のバイトを始める。表向きは「お母さんを助けたい」と言いつつ、姉には「学校帰りに友達とハンバーガーを食べに行きたいし、テレビ番組を録画できるビデオデッキがほしい」と本音を打ち明けてもいた。
理由はともかくとして、史子さんは一度やると決めたら一生懸命にやる性格だった。雨の日も日曜日も休むことなく働き続けた。始めのうちは母親が自転車で追いかけたり車で送ったりしたが、やがて慣れてくると一人で回るようになった。明るく元気な性格で同僚たちからも可愛がられていたという。
1988年6月22日午前5時、この日も自宅から約200メートル離れたところにある読売新聞の直売所に普段通り出勤。所員の「今日も頑張って」という呼びかけに「はーい」と元気に答え、約1キロ離れた配達エリアに向かって行った。
しかしそれから僅か30分後、彼女は路上で血を流して倒れていた。発見したのは朝日新聞の配達員男性。史子さんとはそれ以前にも配達途中にすれ違って挨拶を交わしたことがあった。彼ははじめ史子さんが交通事故に遭ったと思ったという。だが、救急隊の調べによって首や肩を刃物で切り付けられたことが判明。紛れもない殺人事件だった。
【捜査】
普段の彼女の配達ルートから考えて、担当分をちょうど半分ほど配り終えたところで襲撃されたらしい。傷は全て背中側。特に右耳後ろの傷は頸動脈にまで達し、ほとんど即死同然だったと言われている。
抵抗した時にできる防御創は確認されていない。また、自転車の前カゴには未配達の朝刊三十一部とスポーツ新聞二部がきれいに収まっていた。これはすなわち背後から忍び寄って切られたか、若しくはすれ違いざまに不意打ちで切られたことを意味する。史子さんが自転車に乗っていたということは、犯人もまた自転車、原付、バイク等に乗っていた可能性が高そうだ。
【物証】
凶器は片刃のナイフの類とされるが発見されておらず、早朝故に目撃証言も皆無と言っていい。唯一の物証は現場に残った血のついた足跡だ。警察の調べにより、アシックスのジョギングシューズ「オークランド」で、サイズは24〜25センチ(*リンク先は和歌山県警ホームページのアーカイブ)と判明している。和歌山県内で1987年11月から事件までに販売されたのは1685足。そのうち657足の販売先までは突き止めたとのこと。
しかし追跡はそこまで。大量生産品だけを手かがりにして犯人を特定するのはあまりに難し過ぎた。
【犯人像】
顔見知りか通りすがりか、老若男女も全く分かっていない。犯行目的も不明。早朝で人通りは少ないとはいえ、新興住宅地のど真ん中で殺人を犯すのは非常にリスキーではある。果たして行きずりの人物による通り魔事件なのだろうか。あるいは、史子さんの着衣に乱れはなかったとのことだが、早朝に新聞を配る健気な少女に勝手な想いを募らせたストーカー的犯罪だったのかもしれない。
【結末】
2003年6月22日、公訴時効成立。事件は迷宮入りした。県警も遺族も情報提供を呼びかけ続けたが、結局は"血の足跡"以外ほとんど捜査に進展は無かった。
因みに1998年に起こった和歌山毒物カレー事件の舞台となった夏祭り会場は、本事件の現場から約250メートルという至近にある。世間的には毒物カレー事件の印象が強いためか、発生後に本事件の風化が一層早まったと指摘されている。
【出典】
朝日新聞1988年6月22日「早朝の新聞配達中に女子高生殺される 和歌山」
毎日新聞1988年6月22日「また通り魔?!新聞配達中の女高生殺される」
読売新聞1988年6月22日「通り魔か、女高生刺殺 新聞配達中を襲う」
朝日新聞1997年6月22日「史子さん殺害事件からまる9年 情報提供を呼びかけ 県警」
朝日新聞1998年6月23日「女子高生刺殺事件から10年 難航極める捜査 和歌山」
読売新聞1999年6月22日「和歌山市で新聞配達の女高生殺害から11年 県警が情報求めチラシ配る」
読売新聞2000年6月22日「新聞配達女高生殺害から12年 遺族ら「無念さをどこに…」=和歌山」
朝日新聞2000年6月23日「和歌山市の女子高生殺害事件が発生から12年」
朝日新聞2001年6月23日「情報の提供呼びかける 林史子さん殺害事件から13年」
読売新聞2001年6月23日「新聞配達女高生殺害事件 時効まで2年で 捜査本部、異例の検討会議」
読売新聞2002年6月20日「新聞配達の女子高生殺害事件 県警、HPで情報呼びかけ 時効まで1年」
朝日新聞2002年6月21日「県警「情報提供を」園部の女子高生殺害、時効まで1年」
読売新聞2003年3月22日「新聞配達中の林史子さん殺害事件 時効まで3か月 夢に出て犯人教えて」
読売新聞2003年5月19日〜23日「[片思い]林史子さん刺殺時効まで1か月(連載)」
朝日新聞2003年5月22日「近づく時効、情報求め 新聞配達の女子高生殺人」
朝日新聞2003年6月22日 「和歌山市の新聞配達女高生殺害事件が時効」
毎日新聞2003年6月22日「和歌山市の女子高生刺殺事件の時効成立」
読売新聞2003年6月22日「和歌山の女高生刺殺事件、時効 新聞配達中襲われる 不審者1420人捜査」
毎日新聞1988年6月22日「また通り魔?!新聞配達中の女高生殺される」
読売新聞1988年6月22日「通り魔か、女高生刺殺 新聞配達中を襲う」
朝日新聞1997年6月22日「史子さん殺害事件からまる9年 情報提供を呼びかけ 県警」
朝日新聞1998年6月23日「女子高生刺殺事件から10年 難航極める捜査 和歌山」
読売新聞1999年6月22日「和歌山市で新聞配達の女高生殺害から11年 県警が情報求めチラシ配る」
読売新聞2000年6月22日「新聞配達女高生殺害から12年 遺族ら「無念さをどこに…」=和歌山」
朝日新聞2000年6月23日「和歌山市の女子高生殺害事件が発生から12年」
朝日新聞2001年6月23日「情報の提供呼びかける 林史子さん殺害事件から13年」
読売新聞2001年6月23日「新聞配達女高生殺害事件 時効まで2年で 捜査本部、異例の検討会議」
読売新聞2002年6月20日「新聞配達の女子高生殺害事件 県警、HPで情報呼びかけ 時効まで1年」
朝日新聞2002年6月21日「県警「情報提供を」園部の女子高生殺害、時効まで1年」
読売新聞2003年3月22日「新聞配達中の林史子さん殺害事件 時効まで3か月 夢に出て犯人教えて」
読売新聞2003年5月19日〜23日「[片思い]林史子さん刺殺時効まで1か月(連載)」
朝日新聞2003年5月22日「近づく時効、情報求め 新聞配達の女子高生殺人」
朝日新聞2003年6月22日 「和歌山市の新聞配達女高生殺害事件が時効」
毎日新聞2003年6月22日「和歌山市の女子高生刺殺事件の時効成立」
読売新聞2003年6月22日「和歌山の女高生刺殺事件、時効 新聞配達中襲われる 不審者1420人捜査」