1969年5月31日(金曜日)夕方、東京都江東区に住む小学5年生女児が、白い車に乗った男により誘拐された。警察は直ちに捜査本部を設置して男の行方を追うが、6月3日朝、同区辰巳の岸壁で女児の水死体を発見。遺体の状況から乱暴目的の犯行と伺えた。

 その後の捜査でも犯人を特定することは叶わず、1984年5月31日に公訴時効成立。迷宮入り事件。

【タイムライン】
 1969年5月31日午後17時30分頃、東京都江東区東雲に住む吉田恵美子ちゃん(10歳、小学5年生)は、母親からのお使いで自宅近くの精肉店へ出かけた。買い物を終えて店を出ると近所のお友達Hくん(6歳、小学1年生)がおり、連れ立って帰る。

 自宅まであと50〜60メートルの地点で、見ず知らずの若い男から「東雲飛行場のそばにある菓子店に行きたいのだが、道順を教えてくれないか」と声をかけられる。

 恵美子ちゃんとHくんは、約30メートル歩いて男が車を停めていたマルシン・ハンバーグ工場の駐車場へ向かう。そして3人で車に乗り込んで地図を確認したりしたが、男は恵美子ちゃんがお使いで買ってきた肉の包みをHくんに預けると、「これを恵美子ちゃんの家に届けてくれ。お駄賃にキャンディーでも買いなさい」と10円を渡し、恵美子ちゃんだけを車に乗せたまま走り去った

 Hくんは恵美子ちゃん宅を訪れてお使いの肉の包みを渡す。その際に恵美子ちゃんが「よそのおじちゃんの車に乗って行った」ことも併せて伝える。恵美子ちゃんの両親は娘の帰りが遅すぎることを心配して付近を探し始めるが、同日18時30分には誘拐されたと判断して警察署へ届け出た。

 同日20時30分頃、近所のYさん宅に2度の無言電話がある。恵美子ちゃん宅には電話が無くYさん宅の電話をしばしば使わせてもらっており、恵美子ちゃんも電話番号を覚えていた。そのためこの不審電話は、番号を聞き出した誘拐犯自身がかけてきた可能性が高いと考えられている。

 同日深夜、警察から報道機関に対して事件の報道を控えるように要請。

 6月1日、深川署が特別捜査本部を設置。機動隊400人が捜索を開始する。

 6月3日午前8時50分頃、海が荒れ出したため東京湾へ戻ってきた漁船の船員が「辰巳の岸壁で女の子の水死体を見た」と110番通報。

 同日午前11時45分、引き上げられた水死体が恵美子ちゃんであることを確認。公開捜査に切り替えられる。マスコミも報道を開始。

【捜査】
 司法解剖の結果、死因は窒息死と判明した。犯人は恵美子ちゃんに乱暴をくわえた後、手で首を強く絞めて殺害して海へ投げ捨てたとみられる。残酷極まりない犯行だ。胃の内容物から絶命時点で食後3時間程度経過しているとされ、事件当日は午後14時前後に食事を取っていたことを踏まえると誘拐直後に殺害されたという推理が成り立つ。

 なお、サーモン・ピンクのガマ口、「吉田」と名前の書かれたサンダル、同じく名前の書かれた下着が見つからなかった。

【犯人像】
 犯人は「マルシン・ハンバーグに最近まで勤めていた」と自ら名乗り、車を停めたマルシンの工場の駐車場は目立たない場所にあって、工員以外はほとんど使っていない場所であった。また、誘拐現場から遺体を遺棄したとみられる現場はほど近く、車を使った犯行のわりに行動範囲が狭いことが特徴とされる。さらに、経路を尋ねた菓子店は実在していたもののあまり有名な店ではなく、犯人が現場付近に土地勘があったのはまず間違いないだろう。

 犯人の人相を証言できるのは一緒にいたHくん唯一人だけ。しかし彼の証言は「20〜30歳くらいの若い男で、食パンのように四角くて赤ら顔。話し方はやさしい感じだった」というくらい。服装は濃いグレーの上着だったらしい。事件発生から1年後に一応モンタージュ写真が作成されたが実にボヤっとした内容で、これで犯人を特定せよと言われてもほとんど不可能と言っていいレベルの代物だった。

【白い車】
 より重要な証拠は犯人が乗っていた"白い車"だろう。これは当初白いカローラ・ライトバンとされたが、誘拐現場付近に居合わせた18歳少年の証言に基づき、トヨペット・コロナ・デラックスに修正された。この少年は車に詳しく、エンブレムなどからそのコロナが「40年型」ということまですぐ分かったのだという。だが、やがてこの少年も事件と無関係の車両を見誤った可能性が高まり、白い車の手がかりはまた振り出しに戻ってしまう。

 そこで警察は現場のタイヤ跡から車種を特定するよう方針転換。そのタイヤ跡はブリヂストンのものと特定されたが、対象車種は三菱・コルトかマツダ・ファミリアの2車種と書いた記事もあれば、日産・サニーやトヨタ・カローラを含む4車種あるいは7車種と書いた記事もあったりした。いずれにせよ全国に流通する大衆車で絞り込みは全く進まず。

 結局のところ、警察は白い車の情報に振り回されるばかりで、新たな情報が上がるたびに捜査は仕切り直しになり、その間に犯人の行方はどんどん遠くなっていったのである。

【結末】
 1972年5月31日、深川署は特別捜査本部を解散。1984年5月31日、殺人事件としての公訴時効を迎える。報道によれば本事件は当時三億円事件に次ぐ大捜査陣が敷かれたとのことだが、事件発生当初からほとんど捜査に進展はみられなかった。

【カー犯罪の時代】
 昭和40年代(1965年〜1974年)は、高度経済成長の波に乗って自家用車の普及が一気に進んだ時代である。昭和30年代は二輪車を所有する者が圧倒的多数であったが、本事件発生当時はおよそ8人に1人の割合で自家用車を持つほどの普及率であった。

 その一方で「自家用車は一定の社会的地位を有する人が持つもの」という認識がまだまだ抜けておらず、車が「一度走り出したら抜け出せない密室空間になる」危険性もまた十分理解されていなかった。いい年をした大人ですら言葉巧みに車に連れ込まれ、イタズラをされたり現金を奪われたりする事件が度々発生していたほどだ。まして無垢な子どもであれば車は好奇心の対象であり、「道を教えてくれ」と請われれば疑うことを知らずに乗り込んでしまうだろう。

 恵美子ちゃんの父親は、本事件が時効を迎える折、「知らない人に着いていくなとは言っていたが、車に乗るなとまでは教えていなかった」、「なぜ、あの当時、知らない人の車に乗るなと教えなかったのか」という後悔を吐露している。正しく本事件は日本の家庭において「知らない人の車には絶対乗らない」を子どもに躾る契機となった事件と言えよう。

【リンク】
 未解決若しくは迷宮入りした児童誘拐事件。

 吉川友梨ちゃん(大阪府熊取町、9歳)
 2003年5月、一人で下校していたところを何者かによって連れ去られる。2022年現在も行方不明。警察は現場付近で目撃された白のトヨタ・クラウンの行方を追っている。

 横山ゆかりちゃん(群馬県太田市、4歳)
 1996年7月、両親と妹と共に訪れたパチンコ店から何者かによって連れ出される。防犯カメラにはサングラスをかけた不審な人物が映っていたが身元は特定できていない。2022年現在も行方不明。捜査継続中。

 佐久間奈々さん(千葉県千葉市、13歳)
 1991年10月、夜間に友人3人と出かけたところ補導員を装った不審な男に脅迫され、奈々さん一人だけが連れ去られる。2022年現在も行方不明。捜査継続中。

 岡田瑠美ちゃん(兵庫県西宮市、7歳)
 1991年7月、遊びに出かけた姉に着いていこうと一人で家を出たところを何者かに連れ去られる。翌日、同市の海岸で遺体発見。複数の目撃証言があったが犯人特定には至らず迷宮入り。

 松田真実ちゃん(栃木県足利市、4歳)
 1990年5月、父親と共に訪れたパチンコ店から何者かによって連れ出される。翌日、渡良瀬川の河川敷で遺体発見。杜撰な捜査から菅家利和氏が逮捕され無期懲役判決が下されるが、2010年5月に再審無罪が確定した。迷宮入り。

 大沢朋子ちゃん(群馬県尾島町、8歳)
 1987年9月15日(下記の功明ちゃん事件の翌日)、自宅そばの公園で遊んでいたところを不審な男性に連れ出される。約1年後に利根川の河川敷で遺体発見。迷宮入り。

 荻原功明ちゃん(群馬県高崎市、5歳)
 1987年9月14日、自宅そばの神社で遊んでいたところを何者かに誘拐される。男の声で身代金を要求する電話がかかるが取引は成立せず、生きたまま川底に投げ捨てられて殺害された。迷宮入り。身代金目的の誘拐殺人事件では戦後唯一未解決とされる。

 長谷部有美ちゃん(栃木県足利市、5歳)
 1984年11月、両親と弟と共に訪れたパチンコ店から何者かに連れ出される。約1年4ヶ月後に近所の畑で遺体発見。迷宮入り。

 福島万弥ちゃん(栃木県足利市、5歳)
 1979年8月、自宅そばの神社で遊んでいたところを何者かに連れ出された模様。およそ1週間後に渡良瀬川河川敷でリュックサック詰めの遺体となって発見。迷宮入り。

 戸口政江ちゃん(東京都江東区、6歳)
 1974年7月、下校中に中年の男性に誘い出され、乱暴された後に生きたまま隅田川に投げ込まれて殺害された。中年男性と親しげに話しているのが目撃されてから、全裸死体となって発見されるまで僅か30分の出来事。恵美子ちゃん事件との関連を指摘する声もある。1989年7月に時効成立。迷宮入り。


【出典】
 朝日新聞1969年6月3日「少女誘かいされ、死体発見 若い男、車で連去る」
 読売新聞1969年6月3日「誘かい少女、水死体で発見 東雲の岸壁近くに 捜査本部カローラバンの男追う」
 読売新聞1969年6月3日「恵美子ちゃん、祈りむなしく お使い帰り呼び止め道案内頼み助手席へ」
 朝日新聞1969年6月4日「白いコロナを全国手配 恵美子ちゃん誘かい殺人」
 朝日新聞1969年6月4日「「親切」の落とし穴 犯罪凶器の「車」誘かい殺人」
 読売新聞1969年6月4日「誘かい直後殺された 恵美子ちゃん 11号埋め立て地で凶行?/江東区」
 読売新聞1969年6月4日「"カー犯罪"の時代 "密室"と機動性悪用/恵美子ちゃん誘拐殺人」
 朝日新聞1969年6月6日「車は40年型のコロナか 誘かい殺人」
 朝日新聞1969年6月9日「深川署管内で誘かい未遂 少女誘拐現場近く」
 読売新聞1969年6月9日「また危うく誘かい 恵美子ちゃん事件の近く」
 朝日新聞1969年6月11日「「白い車」で捜査難航 少年と小学生が違う証言 誘かい殺人」
 朝日新聞1969年6月13日「ライトバンの公算強まる 誘かい殺人」
 朝日新聞1969年7月1日「サニーかファミリア 少女誘拐事件の車」
 読売新聞1969年7月31日「船橋と同一犯か 恵美子ちゃん殺しで追求」
 読売新聞1969年9月6日「百日忌迎える恵美子ちゃん事件 犯人逮捕誓う"供養の碑"/東京都江東区」
 読売新聞1969年10月7日「これは主婦、機転の一声 誘かい男追跡、少女救う/東京江東区」
 読売新聞1969年11月7日「幼女誘かい15分 近所の人がスピード110番/東京都江東区」
 読売新聞1969年11月14日「110番ー追跡のリレー 誘かい男だ!主婦と小学生 江東/東京」
 読売新聞1970年5月29日「恵美子ちゃん殺し1年 似顔絵作り情報収集へ/東京・深川署」
 読売新聞1972年6月1日「無念…特装本部解散 恵美子ちゃん殺し満3年」
 朝日新聞1984年5月27日「女児誘拐殺人 30日、無念の時効」
 読売新聞1984年5月28日「15年…"時間の壁"無念「恵美子ちゃん誘拐殺人」31日に時効」
 朝日新聞1984年5月31日「無念の時効成立 恵美子ちゃん誘拐殺人」
 朝日新聞1984年5月31日「恵美子ちゃん安らかに 誘拐時効 豊洲小、黙とうや献花」
 読売新聞1984年5月31日「恵美子ちゃんに黙とう 誘拐殺人ついに時効」