2002年9月、小泉純一郎首相は北朝鮮の平壌に飛び、金正日との日朝首脳会談に臨んだ。その席で北朝鮮は日本人に対する拉致を遂に認めるに至った。1970年代から囁かれていた"疑惑"が"事実"となった瞬間である。そして翌10月には拉致被害者5名が初めて帰国を果たした。
この結果、1998年から活動を続けていた北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(いわゆる救う会)には、自身の家族や知人が北朝鮮によって拉致されたのではないかと疑う人等からの連絡が殺到する。これを受け、「北朝鮮に拉致された疑いを否定できない失踪者」の調査を専門に行う団体として、『特定失踪者問題調査会』が救う会から分離・発足した。
2003年2月10日、調査会は『特定失踪者』の第二次リストを公表。その中に1978年3月以降行方不明になっている布施範行さんの名前があった。
【沖縄へ遊びに】
布施範行さんは1954年生まれ。1976年に大学を卒業後、愛知県の食品販売会社へ就職するが、一年も経たないうちに退職。その後は同県内のプレハブ工事現場でアルバイトをしていたらしい。
1977年3月、東京に住む妹のところに布施さんのスーツケースと手紙が届く。スーツケースには範行さんが写った写真4枚、印鑑、残高17万円の通帳が入っており、手紙には「沖縄の友達のところへ遊びに行く。2、3ヶ月で帰る。お金は大事に使って」などと書かれていたという。
そうして範行さんは姿を消した。特定失踪者問題調査会調査会によれば、その後も何度か本人から実家に電話や手紙があり、電話では「中華風の料理をしてみたい」などと話していたようだが、1978年2月以降はそれも途絶えたとのこと。
【息子を探して】
家族はいつまで経っても帰らない範行さんの身を案じた。2〜3ヶ月で戻ると言いつつ印鑑や通帳を送りつけたことも違和感はあるが、母親が名古屋の下宿先の大家に連絡を取ってみると「布団や家財道具を全てゴミに出して既に引き払った」とのことであった。また、失踪から一年の間、身元不明の女性から「範行さんはいますか」という不審な電話が二度架かった。事件性を疑うのも無理はないだろう。
とはいえ、'70年代当時は北朝鮮による拉致などほとんど都市伝説の類。頼るべき機関や団体も無く、両親は身元不明の遺体が報じられる度に警察へ出向き、遺体の写真を確認していたという。全く手掛かりの無いまま20年以上そうしてもがき続け、やがて1999年に失踪宣告を提出。範行さんは法律上は死亡した扱いとなった。
【北朝鮮の影】
だが、範行さん失踪から25年以上が経ち、特定失踪者問題調査会が発足すると、外国人を名乗る男性から「2002年頃、平壌で布施さんによく似た男を見た。男は名古屋から来たと話していた」という証言が数回寄せられる。真偽はともかくとして、初めての手掛かりだった。
また、会の調査により、範行さんが当時住んでいた下宿アパートの大家が朝鮮総連幹部ということも判明した。そして範行さんには自発的失踪理由はない。以上の理由から範行さんは「北朝鮮による拉致濃厚」と判断されるに至ったわけである。
たいへん遺憾なことにその後の捜査は一切進んでいない。2014年に北朝鮮は拉致事件の再調査に応じたが、その報告は2022年4月現在も届いていない。範行さん失踪の真実は今も不明のままである。家族は範行さんが生きていることを信じ続けるが、再会に残された時間は確実に短くなっている。
【リンク】
特定失踪者問題調査会によるページはこちら
山形県警によるページは以下。
https://www.pref.yamagata.jp/800021/kensei/police/anzenjouhou/higaishashien/yukuehumeisya.html
愛知県警によるページは以下。
https://www.pref.aichi.jp/police/anzen/sousa/rachi/
【北朝鮮による拉致の疑いが濃厚とされている事件】
今津淳子さん行方不明事件(1985年)
山本美穂さん失踪事件(1984年)
【出典】
朝日新聞2003年2月11日「県内の男性2人 北朝鮮拉致の失踪者リスト/山形」
毎日新聞2003年2月11日「北朝鮮・拉致疑惑 行方不明者の方々(2次分)ー特定失踪者問題調査会」
読売新聞2003年2月11日「失踪者調査会によって追加公表された行方不明者44人」
読売新聞2003年2月11日「「特定失踪者2次リスト」に本県2人 待ち続ける肉親、調査期待=山形」
毎日新聞2004年9月18日「北朝鮮・拉致問題:名古屋の男性、「拉致濃厚」にー調査会発表・33人目」
朝日新聞2004年9月19日「「早く帰って」両親ら会見 失踪の布施さん 特定失踪者問題/山形」
毎日新聞2004年9月19日「北朝鮮・拉致問題 布施範行さん家族が会見ー調査会「拉致濃厚」発表受け/山形」
読売新聞2004年9月19日「不明の布施さんの両親会見「北の拉致濃厚」発表受けて=山形」
産経新聞2004年12月27日「「拉致濃厚」山形の布施さん 家族が刑事告発へ」
朝日新聞2005年2月1日「布施さん両親、県警に告発状「北朝鮮に拉致」/山形」
毎日新聞2005年2月1日「北朝鮮・拉致問題:山形の夫婦「息子は拉致された」、捜査求め告発/山形」
読売新聞2005年2月1日「「拉致の疑い濃厚」布施さん 両親が県警に刑事告発 容疑者不詳で」
読売新聞2005年2月9日「朝日町出身・1977年失踪の布施さん 県警、略取容疑で告発状を受理=山形」
朝日新聞2013年6月8日「北朝鮮拉致疑いの男性家族、県警に捜査の説明求める/山形」
読売新聞2013年6月29日「「北」に拉致の可能性 県警が不明3人公開=愛知」
読売新聞2013年7月9日「拉致の可能性、不明者2人 県警、HPに公開 失踪時の状況など=山形」
読売新聞2014年6月20日「「生存知る最後の機会」 特定失踪者家族に聞く=山形」
産経新聞2014年7月2日「日本政府認定の拉致被害者と拉致濃厚な特定失踪者」
この結果、1998年から活動を続けていた北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(いわゆる救う会)には、自身の家族や知人が北朝鮮によって拉致されたのではないかと疑う人等からの連絡が殺到する。これを受け、「北朝鮮に拉致された疑いを否定できない失踪者」の調査を専門に行う団体として、『特定失踪者問題調査会』が救う会から分離・発足した。
2003年2月10日、調査会は『特定失踪者』の第二次リストを公表。その中に1978年3月以降行方不明になっている布施範行さんの名前があった。
【沖縄へ遊びに】
布施範行さんは1954年生まれ。1976年に大学を卒業後、愛知県の食品販売会社へ就職するが、一年も経たないうちに退職。その後は同県内のプレハブ工事現場でアルバイトをしていたらしい。
1977年3月、東京に住む妹のところに布施さんのスーツケースと手紙が届く。スーツケースには範行さんが写った写真4枚、印鑑、残高17万円の通帳が入っており、手紙には「沖縄の友達のところへ遊びに行く。2、3ヶ月で帰る。お金は大事に使って」などと書かれていたという。
そうして範行さんは姿を消した。特定失踪者問題調査会調査会によれば、その後も何度か本人から実家に電話や手紙があり、電話では「中華風の料理をしてみたい」などと話していたようだが、1978年2月以降はそれも途絶えたとのこと。
【息子を探して】
家族はいつまで経っても帰らない範行さんの身を案じた。2〜3ヶ月で戻ると言いつつ印鑑や通帳を送りつけたことも違和感はあるが、母親が名古屋の下宿先の大家に連絡を取ってみると「布団や家財道具を全てゴミに出して既に引き払った」とのことであった。また、失踪から一年の間、身元不明の女性から「範行さんはいますか」という不審な電話が二度架かった。事件性を疑うのも無理はないだろう。
とはいえ、'70年代当時は北朝鮮による拉致などほとんど都市伝説の類。頼るべき機関や団体も無く、両親は身元不明の遺体が報じられる度に警察へ出向き、遺体の写真を確認していたという。全く手掛かりの無いまま20年以上そうしてもがき続け、やがて1999年に失踪宣告を提出。範行さんは法律上は死亡した扱いとなった。
【北朝鮮の影】
だが、範行さん失踪から25年以上が経ち、特定失踪者問題調査会が発足すると、外国人を名乗る男性から「2002年頃、平壌で布施さんによく似た男を見た。男は名古屋から来たと話していた」という証言が数回寄せられる。真偽はともかくとして、初めての手掛かりだった。
また、会の調査により、範行さんが当時住んでいた下宿アパートの大家が朝鮮総連幹部ということも判明した。そして範行さんには自発的失踪理由はない。以上の理由から範行さんは「北朝鮮による拉致濃厚」と判断されるに至ったわけである。
たいへん遺憾なことにその後の捜査は一切進んでいない。2014年に北朝鮮は拉致事件の再調査に応じたが、その報告は2022年4月現在も届いていない。範行さん失踪の真実は今も不明のままである。家族は範行さんが生きていることを信じ続けるが、再会に残された時間は確実に短くなっている。
【リンク】
特定失踪者問題調査会によるページはこちら
山形県警によるページは以下。
https://www.pref.yamagata.jp/800021/kensei/police/anzenjouhou/higaishashien/yukuehumeisya.html
愛知県警によるページは以下。
https://www.pref.aichi.jp/police/anzen/sousa/rachi/
【北朝鮮による拉致の疑いが濃厚とされている事件】
今津淳子さん行方不明事件(1985年)
山本美穂さん失踪事件(1984年)
【出典】
朝日新聞2003年2月11日「県内の男性2人 北朝鮮拉致の失踪者リスト/山形」
毎日新聞2003年2月11日「北朝鮮・拉致疑惑 行方不明者の方々(2次分)ー特定失踪者問題調査会」
読売新聞2003年2月11日「失踪者調査会によって追加公表された行方不明者44人」
読売新聞2003年2月11日「「特定失踪者2次リスト」に本県2人 待ち続ける肉親、調査期待=山形」
毎日新聞2004年9月18日「北朝鮮・拉致問題:名古屋の男性、「拉致濃厚」にー調査会発表・33人目」
朝日新聞2004年9月19日「「早く帰って」両親ら会見 失踪の布施さん 特定失踪者問題/山形」
毎日新聞2004年9月19日「北朝鮮・拉致問題 布施範行さん家族が会見ー調査会「拉致濃厚」発表受け/山形」
読売新聞2004年9月19日「不明の布施さんの両親会見「北の拉致濃厚」発表受けて=山形」
産経新聞2004年12月27日「「拉致濃厚」山形の布施さん 家族が刑事告発へ」
朝日新聞2005年2月1日「布施さん両親、県警に告発状「北朝鮮に拉致」/山形」
毎日新聞2005年2月1日「北朝鮮・拉致問題:山形の夫婦「息子は拉致された」、捜査求め告発/山形」
読売新聞2005年2月1日「「拉致の疑い濃厚」布施さん 両親が県警に刑事告発 容疑者不詳で」
読売新聞2005年2月9日「朝日町出身・1977年失踪の布施さん 県警、略取容疑で告発状を受理=山形」
朝日新聞2013年6月8日「北朝鮮拉致疑いの男性家族、県警に捜査の説明求める/山形」
読売新聞2013年6月29日「「北」に拉致の可能性 県警が不明3人公開=愛知」
読売新聞2013年7月9日「拉致の可能性、不明者2人 県警、HPに公開 失踪時の状況など=山形」
読売新聞2014年6月20日「「生存知る最後の機会」 特定失踪者家族に聞く=山形」
産経新聞2014年7月2日「日本政府認定の拉致被害者と拉致濃厚な特定失踪者」