1972年6月26日午前9時過ぎ、東京都新橋にある第一ホテル新館3304号室にて、女性の泊り客が何者かによって首を絞められて殺害された。厳重な警備と完全なプライバシーが保証される著名ホテルで発生した事件は世間の注目を集めたが、犯人の身元を特定することはできないまま迷宮入りした。
【熊本から来た女】
被害者は熊本県で歯科医をしているTさん(37歳)で、彼女は霞ヶ関で開かれた歯科講習に出席するため、同じ熊本で歯科医をしている男性Aさん、Bさんと共に上京し、24日から第一ホテルに宿泊していた。
事件発覚前夜は、講習会に参加した帰りに有楽町のガード下にある焼き鳥屋で3人で飲み、19時半頃にTさんが「気持ちが悪くなった」と言い出して一人で先にホテルへ帰った。残る男性2人は銀座の映画館へ向かったが、ここでまた一人が体調を崩して先に帰る。
ホテルへ戻った男性はTさんの3304号室とは筋向かいにある3333号室で横になっていたが、23時過ぎになると映画を観終わって戻ってきた男性と一緒に再び出かけた。2人は30分ぐらいして帰り、焼き鳥屋の代金清算をしようと2人でTさんの部屋を訪れたが、ノックをしても応答は無かったという。
翌朝、2人が起こしに行ってもやはりTさんの返事は無く、やむなく従業員を呼んでカギを開けたところで事件は発覚した。
【密室の現場】
遺体はベッドそばの床上で仰向けにされ、全裸のまま洋服や下着が上から被せられていた。部屋はオートロックがかかっていて密室状態。さらにドアノブには「起こさないで下さい」とのカードもさげられていたとのこと。
司法解剖の結果、死因は窒息死と判明。手か若しくは幅の広い帯のようなもので首を強く絞められたとされる。また、暴行された形跡も確認され、朝日新聞は全身の皮下出血から犯人に対して激しく抵抗した様子を伝えている。一方で、読売新聞は遺体には抵抗した様子が見られないとし、死後姦淫の可能性を指摘している。
胃の内容物の消化具合から、死亡時刻は25日19時半から20時頃。それに加えて、ベッドに寝た様子が無く、バスルームが使用されなかったことからも、一人で部屋に戻って間もなく殺害されたという点はいずれの報道でも一致する。
なお、医療器具を買い付けるために用意していた現金約50万円はフロントに預けていて無事だったが、財布や小銭入れから若干の現金が奪われたらしい。
【都会のホテルの死角】
Tさん含む一行が宿泊した新館の3階は67室あり、25日夜は3部屋だけが空いていて他は全て客が入っていた。Tさんの両隣の部屋も当然客がおり、彼らは女性による「助けて」という声や呻き声を聞いていたが、フロントや警察へ通報するには至らなかった。
新館に入るには本館1階のロビーを経由する必要がある。フロントには夜でも約10人の従業員がおり、それとは別に客室案内係のボーイも多くいた。深夜帯はガードマン30人(!)が交代でホテル内の見回りをしているとのこと。一見、完璧なセキュリティだ。そうなると犯人は宿泊客の中にいる可能性が高まる。
一方で、従業員はホテル内の客一人一人に厳しく目を光らせてはいない。つまり、明らかに客でないと分かる酔っ払いを追い払うことはあっても、素知らぬ顔で客を装う人物を見抜けるわけではないということだ。ロビーでの置き引きが過去に数件あったものの室内での事件はほとんど無く、その点でも気の緩みがあったかもしれない。Tさんが何時に戻ってきたのか、本当に一人で戻ってきたのかを証言できる従業員がいないことからも意外に死角が多いことは裏付けられよう。
警察は日本の旅館とはまた異なったホテルという独特のロケーションについて、「多くの人が行き交う繁華街の道路と同じ」と表現する。要するに宿泊客ではない外部犯の可能性も否定できないわけで、結局犯人の絞り込みは果てしなく難しくなってしまう。
【推理】
宿泊客であったかどうかは別として、状況から犯人はTさんと顔見知り関係にあったと警察は考えている。Tさん自らがドアを開けて犯人を招き入れたらしいこと、犯人は現金を奪うことよりも暴行を目的にしていたらしいこと、全裸遺体に律儀に衣類をかぶせていたことなどが根拠とされる。また、Tさんはホテルに戻る前に果物を購入しており、部屋を訪問する約束をしていた何者かに振る舞うつもりだったのではないか、とも指摘されている。
今回の上京中の主な接点といえば、24日夜に六本木で食事をした大学の先輩の医師、講習会場で医療器具の取引について話し合った業者であるが、彼らはアリバイや血液型などを理由に早い段階で容疑者から外れている。一方で、上京の機会に合わせて有楽町のダンス教室にも通っていて、今回の上京でも教室を予約したチケットを持っていたとのこと。他のダンスホールにも繰り出したことがあるらしく、なかなか派手な社交関係があったようだ。
また、歯科講習会の参加者で女性はTさん一人。文字通りの紅一点で、目立つ存在であったと伝えられている。他の参加者から一方的に思いを寄せられていたとしてもおかしくはないだろう。
【カギを狙う男】
9月4日23時半過ぎ、仕事の出張で第一ホテルに泊まっていた女性客が部屋に戻ろうとしたところ、後ろからつけてきた男にルームキーをひったくられそうになる事件が発生した。女性はどうにかカギを奪い返して部屋に逃げ込んだため、男は姿を消した。しかし、約1時間半後の5日午前1時過ぎ、同じ男の声で「一緒に食事をしよう」と部屋に電話がかかってきたという。女性は怖くなってフロントに届け出て、警察へ通報がなされた。
不審な男は内線を使って女性に連絡をかけたことから、どうやら宿泊客と考えてよさそうである。Tさんの事件との関連は定かでないが、もしも同じ手口で狙われたのだとしたら、顔見知りではない行きずりの宿泊客も捜査線上にあがってくる。初動で顔見知り説に固執した警察のミスも指摘されるところだ。
【最後に疑われた男性】
1977年7月6日、元・大学教授の男性(58歳)が警察に呼び出され、Tさん殺しの追及を受けた。警察は「第一ホテル事件の犯人は都内でコンサルタント業をしている元・大学教授」との情報提供を受けて極秘に捜査を進めており、とうとうその情報提供者と元・大学教授を共に呼び出すことに決めたのである。しかし結果はシロ。指紋の一致もなく、そもそも提供された情報が信憑性に欠けるということで、全くの濡れ衣だった。
【結末】
1973年10月20日に捜査本部は解散。朝日新聞の報道によれば、ダンスホールの利用客や類似手口の前科者など約4300人を調べ、現場に残された指紋は約54000人の記録と照合されたが一致はなかったとのこと。その後、殺人事件としての公訴時効を迎え、事件は迷宮入りした。結局、最初から最後まで捜査にほとんど進展はなかったと言える。
【また殺人事件】
1978年8月24日、歌手の神戸一郎宅に押し入ったとして暴力団組員(30歳)が逮捕された。男は警察署でしばらく黙秘していたが、突然「新橋の第一ホテルで女を殺した。俺がやった」などと供述をし始めた。
仰天した警察がホテルの部屋へ向かうと、供述通りにホステスの女性が首を絞められて死んでいるのが見つかった。ツケの約束で酒を飲んでいたところ代金を請求されたため、カッとなって殺したのだという。神戸一郎とは数年前に偶然知り合いになり、人を殺した後の破れかぶれの精神状態で家に押しかけたようだ。
この事件の時もやはり従業員も宿泊客も異変に気づくことはなかった。ホテル特有の密室的シチュエーションについて思い知らされる。ちなみに事件があったのは新館7階の3711号室だった。
【出典】
朝日新聞1972年6月26日「第一ホテルで密室殺人 新橋 女歯科医、首絞められ」
毎日新聞1972年6月26日「殺人:第一ホテルで宿泊の女性歯科医が殺される」
読売新聞1972年6月26日「第一ホテルで殺人 宿泊中の女医さん 熊本から講習で友人と上京」
朝日新聞1972年6月27日「顔見知りの犯行?ホテル殺人 帰った直後に殺さる」
朝日新聞1972年6月27日「悲鳴聞いても知らぬ顔 無情な泊り客_第一ホテル女歯科医殺人事件」
読売新聞1972年6月27日「交友関係を追求 女歯科医殺し」
読売新聞1972年6月27日「谷脇さん、行動にナゾ 第一ホテル殺人 ダンス相手など洗う」
朝日新聞1972年6月28日「捜査範囲広げる 被害者は「女王さま」_第一ホテル女歯科医殺人事件」
朝日新聞1972年6月28日「事件前日の足どり分る_第一ホテル女歯科医殺人事件」
読売新聞1972年6月28日「果物買い来客待ち 女医殺し」
読売新聞1972年6月29日「ナゾ深まるホテル女医殺し 空白の1時間半を追う」
朝日新聞1972年7月15日「捜査はばむ都会の冷たさ 手がかりなく三週間「廊下は往来と同じ」」
読売新聞1972年7月25日「ナゾまたナゾ 女医さん殺し 手がかりなく1か月 見つからぬ目撃者」
朝日新聞1972年9月6日「女性のカギねらう、不審な男 女性歯科医殺し関連か 第一ホテル事件_殺人」
毎日新聞1972年9月6日「第一ホテルで女性客のカギねらうー歯科医殺しとの関連を追求」
読売新聞1973年4月21日「女医殺し(第一ホテル)に手がかり 東急(赤坂)女性客襲う ボーイ装う中年男」
読売新聞1973年10月16日「特捜本部解散 第一ホテル・女医殺人」
朝日新聞1973年10月21日「捜査本部ついに解散 女性歯科医殺し "密室ホテル"が壁_殺人」
読売新聞1977年7月6日「元教授が出頭 女医殺しで事情聞く/警視庁」
読売新聞1977年7月8日「元教授はシロ 女医殺し事情聴取/東京・丸の内署」
朝日新聞1978年8月24日「新橋第一ホテルで殺人 暴力団員がホステスを 「偶然知り合っただけ」」
毎日新聞1978年8月24日「殺人:新橋の第一ホテルで女性殺しー住居侵入男が"告白"」
読売新聞1978年8月24日「新橋第1ホテルで殺人「ホステス絞めた」住居侵入男が自供、発見」
朝日新聞1978年8月25日「動機など黙秘 第一ホテル殺人の暴力団組員_新橋第一ホテル殺人事件」
毎日新聞1978年8月25日「新橋の第一ホテルで女性殺しー料金めぐり争う?」
読売新聞1978年8月25日「知り合いすぐ殺す ホテル殺人」
朝日新聞1978年8月26日「殺人の暴力団員を送検_新橋第一ホテル殺人事件」
朝日新聞1978年8月26日「つけの約束が、酒代請求され 第一ホテル殺人_新橋第一ホテル殺人事件」
読売新聞1978年8月26日「ツケ代金請求されカッと 第一ホテル殺人」
【熊本から来た女】
被害者は熊本県で歯科医をしているTさん(37歳)で、彼女は霞ヶ関で開かれた歯科講習に出席するため、同じ熊本で歯科医をしている男性Aさん、Bさんと共に上京し、24日から第一ホテルに宿泊していた。
事件発覚前夜は、講習会に参加した帰りに有楽町のガード下にある焼き鳥屋で3人で飲み、19時半頃にTさんが「気持ちが悪くなった」と言い出して一人で先にホテルへ帰った。残る男性2人は銀座の映画館へ向かったが、ここでまた一人が体調を崩して先に帰る。
ホテルへ戻った男性はTさんの3304号室とは筋向かいにある3333号室で横になっていたが、23時過ぎになると映画を観終わって戻ってきた男性と一緒に再び出かけた。2人は30分ぐらいして帰り、焼き鳥屋の代金清算をしようと2人でTさんの部屋を訪れたが、ノックをしても応答は無かったという。
翌朝、2人が起こしに行ってもやはりTさんの返事は無く、やむなく従業員を呼んでカギを開けたところで事件は発覚した。
【密室の現場】
遺体はベッドそばの床上で仰向けにされ、全裸のまま洋服や下着が上から被せられていた。部屋はオートロックがかかっていて密室状態。さらにドアノブには「起こさないで下さい」とのカードもさげられていたとのこと。
司法解剖の結果、死因は窒息死と判明。手か若しくは幅の広い帯のようなもので首を強く絞められたとされる。また、暴行された形跡も確認され、朝日新聞は全身の皮下出血から犯人に対して激しく抵抗した様子を伝えている。一方で、読売新聞は遺体には抵抗した様子が見られないとし、死後姦淫の可能性を指摘している。
胃の内容物の消化具合から、死亡時刻は25日19時半から20時頃。それに加えて、ベッドに寝た様子が無く、バスルームが使用されなかったことからも、一人で部屋に戻って間もなく殺害されたという点はいずれの報道でも一致する。
なお、医療器具を買い付けるために用意していた現金約50万円はフロントに預けていて無事だったが、財布や小銭入れから若干の現金が奪われたらしい。
【都会のホテルの死角】
Tさん含む一行が宿泊した新館の3階は67室あり、25日夜は3部屋だけが空いていて他は全て客が入っていた。Tさんの両隣の部屋も当然客がおり、彼らは女性による「助けて」という声や呻き声を聞いていたが、フロントや警察へ通報するには至らなかった。
新館に入るには本館1階のロビーを経由する必要がある。フロントには夜でも約10人の従業員がおり、それとは別に客室案内係のボーイも多くいた。深夜帯はガードマン30人(!)が交代でホテル内の見回りをしているとのこと。一見、完璧なセキュリティだ。そうなると犯人は宿泊客の中にいる可能性が高まる。
一方で、従業員はホテル内の客一人一人に厳しく目を光らせてはいない。つまり、明らかに客でないと分かる酔っ払いを追い払うことはあっても、素知らぬ顔で客を装う人物を見抜けるわけではないということだ。ロビーでの置き引きが過去に数件あったものの室内での事件はほとんど無く、その点でも気の緩みがあったかもしれない。Tさんが何時に戻ってきたのか、本当に一人で戻ってきたのかを証言できる従業員がいないことからも意外に死角が多いことは裏付けられよう。
警察は日本の旅館とはまた異なったホテルという独特のロケーションについて、「多くの人が行き交う繁華街の道路と同じ」と表現する。要するに宿泊客ではない外部犯の可能性も否定できないわけで、結局犯人の絞り込みは果てしなく難しくなってしまう。
【推理】
宿泊客であったかどうかは別として、状況から犯人はTさんと顔見知り関係にあったと警察は考えている。Tさん自らがドアを開けて犯人を招き入れたらしいこと、犯人は現金を奪うことよりも暴行を目的にしていたらしいこと、全裸遺体に律儀に衣類をかぶせていたことなどが根拠とされる。また、Tさんはホテルに戻る前に果物を購入しており、部屋を訪問する約束をしていた何者かに振る舞うつもりだったのではないか、とも指摘されている。
今回の上京中の主な接点といえば、24日夜に六本木で食事をした大学の先輩の医師、講習会場で医療器具の取引について話し合った業者であるが、彼らはアリバイや血液型などを理由に早い段階で容疑者から外れている。一方で、上京の機会に合わせて有楽町のダンス教室にも通っていて、今回の上京でも教室を予約したチケットを持っていたとのこと。他のダンスホールにも繰り出したことがあるらしく、なかなか派手な社交関係があったようだ。
また、歯科講習会の参加者で女性はTさん一人。文字通りの紅一点で、目立つ存在であったと伝えられている。他の参加者から一方的に思いを寄せられていたとしてもおかしくはないだろう。
【カギを狙う男】
9月4日23時半過ぎ、仕事の出張で第一ホテルに泊まっていた女性客が部屋に戻ろうとしたところ、後ろからつけてきた男にルームキーをひったくられそうになる事件が発生した。女性はどうにかカギを奪い返して部屋に逃げ込んだため、男は姿を消した。しかし、約1時間半後の5日午前1時過ぎ、同じ男の声で「一緒に食事をしよう」と部屋に電話がかかってきたという。女性は怖くなってフロントに届け出て、警察へ通報がなされた。
不審な男は内線を使って女性に連絡をかけたことから、どうやら宿泊客と考えてよさそうである。Tさんの事件との関連は定かでないが、もしも同じ手口で狙われたのだとしたら、顔見知りではない行きずりの宿泊客も捜査線上にあがってくる。初動で顔見知り説に固執した警察のミスも指摘されるところだ。
【最後に疑われた男性】
1977年7月6日、元・大学教授の男性(58歳)が警察に呼び出され、Tさん殺しの追及を受けた。警察は「第一ホテル事件の犯人は都内でコンサルタント業をしている元・大学教授」との情報提供を受けて極秘に捜査を進めており、とうとうその情報提供者と元・大学教授を共に呼び出すことに決めたのである。しかし結果はシロ。指紋の一致もなく、そもそも提供された情報が信憑性に欠けるということで、全くの濡れ衣だった。
【結末】
1973年10月20日に捜査本部は解散。朝日新聞の報道によれば、ダンスホールの利用客や類似手口の前科者など約4300人を調べ、現場に残された指紋は約54000人の記録と照合されたが一致はなかったとのこと。その後、殺人事件としての公訴時効を迎え、事件は迷宮入りした。結局、最初から最後まで捜査にほとんど進展はなかったと言える。
【また殺人事件】
1978年8月24日、歌手の神戸一郎宅に押し入ったとして暴力団組員(30歳)が逮捕された。男は警察署でしばらく黙秘していたが、突然「新橋の第一ホテルで女を殺した。俺がやった」などと供述をし始めた。
仰天した警察がホテルの部屋へ向かうと、供述通りにホステスの女性が首を絞められて死んでいるのが見つかった。ツケの約束で酒を飲んでいたところ代金を請求されたため、カッとなって殺したのだという。神戸一郎とは数年前に偶然知り合いになり、人を殺した後の破れかぶれの精神状態で家に押しかけたようだ。
この事件の時もやはり従業員も宿泊客も異変に気づくことはなかった。ホテル特有の密室的シチュエーションについて思い知らされる。ちなみに事件があったのは新館7階の3711号室だった。
【出典】
朝日新聞1972年6月26日「第一ホテルで密室殺人 新橋 女歯科医、首絞められ」
毎日新聞1972年6月26日「殺人:第一ホテルで宿泊の女性歯科医が殺される」
読売新聞1972年6月26日「第一ホテルで殺人 宿泊中の女医さん 熊本から講習で友人と上京」
朝日新聞1972年6月27日「顔見知りの犯行?ホテル殺人 帰った直後に殺さる」
朝日新聞1972年6月27日「悲鳴聞いても知らぬ顔 無情な泊り客_第一ホテル女歯科医殺人事件」
読売新聞1972年6月27日「交友関係を追求 女歯科医殺し」
読売新聞1972年6月27日「谷脇さん、行動にナゾ 第一ホテル殺人 ダンス相手など洗う」
朝日新聞1972年6月28日「捜査範囲広げる 被害者は「女王さま」_第一ホテル女歯科医殺人事件」
朝日新聞1972年6月28日「事件前日の足どり分る_第一ホテル女歯科医殺人事件」
読売新聞1972年6月28日「果物買い来客待ち 女医殺し」
読売新聞1972年6月29日「ナゾ深まるホテル女医殺し 空白の1時間半を追う」
朝日新聞1972年7月15日「捜査はばむ都会の冷たさ 手がかりなく三週間「廊下は往来と同じ」」
読売新聞1972年7月25日「ナゾまたナゾ 女医さん殺し 手がかりなく1か月 見つからぬ目撃者」
朝日新聞1972年9月6日「女性のカギねらう、不審な男 女性歯科医殺し関連か 第一ホテル事件_殺人」
毎日新聞1972年9月6日「第一ホテルで女性客のカギねらうー歯科医殺しとの関連を追求」
読売新聞1973年4月21日「女医殺し(第一ホテル)に手がかり 東急(赤坂)女性客襲う ボーイ装う中年男」
読売新聞1973年10月16日「特捜本部解散 第一ホテル・女医殺人」
朝日新聞1973年10月21日「捜査本部ついに解散 女性歯科医殺し "密室ホテル"が壁_殺人」
読売新聞1977年7月6日「元教授が出頭 女医殺しで事情聞く/警視庁」
読売新聞1977年7月8日「元教授はシロ 女医殺し事情聴取/東京・丸の内署」
朝日新聞1978年8月24日「新橋第一ホテルで殺人 暴力団員がホステスを 「偶然知り合っただけ」」
毎日新聞1978年8月24日「殺人:新橋の第一ホテルで女性殺しー住居侵入男が"告白"」
読売新聞1978年8月24日「新橋第1ホテルで殺人「ホステス絞めた」住居侵入男が自供、発見」
朝日新聞1978年8月25日「動機など黙秘 第一ホテル殺人の暴力団組員_新橋第一ホテル殺人事件」
毎日新聞1978年8月25日「新橋の第一ホテルで女性殺しー料金めぐり争う?」
読売新聞1978年8月25日「知り合いすぐ殺す ホテル殺人」
朝日新聞1978年8月26日「殺人の暴力団員を送検_新橋第一ホテル殺人事件」
朝日新聞1978年8月26日「つけの約束が、酒代請求され 第一ホテル殺人_新橋第一ホテル殺人事件」
読売新聞1978年8月26日「ツケ代金請求されカッと 第一ホテル殺人」