1981年5月30日午後、茨城県真壁町に住む酒寄はるみちゃん(当時9歳、小学4年生)が突然姿を消した。警察により大規模な捜索が行われるが、はるみちゃんの行方は全く分かっていない。
【事件当日のタイムライン】
【捜査】
遊びに行って事故に遭った可能性も完全には排除されていないが、大規模な山狩りや池ざらいでは何らの痕跡も見つからず、何者かによって連れ去られたという見方もある。しかし、身代金を要求するような電話などは無く、近所を行き交う農作業者らも不審者(車)を見ていない。
珠算塾を欠席したのは一応理由がありそうだが、昼食の準備をしながらも手をつけずに外出したことがナゾに包まれている。誰かが迎えに来て呼び出されたような形跡は無いとされるが、慌てて出かけなければいけない用事があったのだろうか。
【推理】
筆者の勝手な推理であるが、下校途中に不審者が接触して誘い出したとみる。
ランドセルは背負ったままでは目立つから一旦自宅に置いて来させたと考えられる。適当な時間に待ち合わせをしていたら、昼食の準備をしたところで待ち合わせの時刻が迫り、食事をとらずに慌てて家を飛び出していったということで説明がつく。14時半以降に出かけた向かいの家の人ははるみちゃんの姿を見ていないが、はるみちゃんが単にそれよりも早く家を出ただけの話だろう。あとは人目に付かない場所で車に乗せてしまえばそれ以上の追跡は及ばない、というわけだ。
はるみちゃんは知らない人物に着いていったりしないしっかりした子だったというが、両親の知り合いを装うなどして接触すれば無垢な少女を騙すこともできたのではないか。
【帰ってくる日を待ち続け】
事故や事件に遭ったのかも分からず、どこかで生きているかもしれないと思うと、両親はどうしても「あきらめ」がつかなかった。残された時間と可能性が減っていくのに気づきつつも、最愛の娘の帰りを待たないという選択がありえるはずもない。
2000年3月18日付朝日新聞の記事では、はるみちゃんの2人の兄それぞれが結婚式を挙げた際、はるみちゃんの席も用意され、他の出席者と同じように食事も運ばれたことが伝えられている。
【少女行方不明事件】
誘拐が確実視されている事件は除く。年齢は失踪当時。
・小倉美咲ちゃん(2019年、7歳、山梨県)
*2022年5月に人骨発見。山梨県警は美咲さんが既に死亡していると判断した。
・下村まなみちゃん(2009年、10歳、岐阜県)
・大西有紀ちゃん(2004年、5歳、香川県)
・野村香ちゃん(1991年、10歳、神奈川県)
・加茂前ゆきちゃん(1991年、8歳、三重県)
【出典】
いはらき1981年6月1日「学校から帰り外に出たまま 小学生が行方不明 真壁町」
読売新聞1981年6月1日「小4の少女が行方不明 遊びに出かけ帰らず」
いはらき1981年6月2日「はるみちゃん、依然不明 大掛かりな捜索も空し」
読売新聞1981年6月2日「昼食やめて"外出" はるみちゃん 手がかりなし」
いはらき1981年6月3日「はるみちゃん見つからず有力手掛かりなし」
いはらき1981年6月4日「はるみちゃんを公開手配 県警捜査一課と真壁署」
読売新聞1981年6月4日「ナゾは深まるだけ はるみちゃん "広域捜査"に」
いはらき1981年6月5日「はるみちゃんはどこに 消息断って一週間 仕事も手につかぬ両親」
いはらき1981年6月12日「はるみちゃん失跡二週間 県警機動隊員ら百三十人が山狩り 手がかり得られず」
読売新聞1981年6月12日「はるみちゃん 再捜索も空振り」
いはらき1981年6月30日「はるみちゃんはどこに 失跡から1カ月 依然何の手掛かりもなし」
読売新聞1981年6月30日「はるみちゃん どこに ナゾの不明 手がかりなく1か月 帰り待つ傷心の親」
読売新聞1981年7月31日「4日は10歳誕生日なのに はるみちゃん行方不明2か月 沈む家族」
読売新聞1981年8月7日「はるみちゃんどこに 小4姿消し2か月」
いはらき1981年9月3日「はるみちゃん不明三カ月 範囲広げ山狩り」
読売新聞1981年9月3日「不明はるみちゃん きょう再大捜索」
いはらき1981年9月4日「再度の山狩りもむなし はるみちゃん失跡から三カ月 手掛かり何一つなし」
読売新聞1981年9月4日「捜索また空振り はるみちゃん」
読売新聞1981年12月17日「母の夢には元気な姿 はるみちゃんナゾの失跡もう半年」
いはらき1981年12月30日「はるみちゃんはどこに 必死の捜索もむなしく 手がかり得られず越年」
読売新聞1982年5月24日「帰ってきてはるみちゃん 姿消して間もなく1年 依然手がかりなく 真壁」
いはらき1982年5月29日「はるみちゃんどこへ…行方不明からあすで1年 手がかり全くなし」
読売新聞1985年5月31日「「元気で戻ってきて」真壁・はるみちゃん失跡 ナゾ包まれもう4年」
朝日新聞2000年3月18日「我が子いま、どこに…未成年者行方不明、県内でも/茨城」
【事件当日のタイムライン】
5月30日(土曜日) 午後13時45分 | この日はいわゆる"半ドン"。放課後、はるみちゃんは校内にある小川で同級生7人と遊んでいたが、担任の先生に注意されて下校する。校門を出るときははるみちゃん一人だった。 |
午後13時50分頃 | 学校の前に住む同級生が校門を出て行くはるみちゃんを目撃する。この同級生はこの直後に車に乗って家族と外出するが、車中からもいつもの通学路を歩くはるみちゃんを見た。 |
午後14時台 | はるみちゃんが帰宅したと思われる。小学校から自宅までは約2キロ。両親は共働きで不在。自室にランドセルを置き、テーブルに箸と茶碗を出して昼食の準備をしたが、何故か一口も手をつけていない。その後、再び外出した模様。この際に登校用の運動靴ではなくサンダルを履いている。 |
午後14時半〜 午後16時頃 | はるみちゃん宅の真向かいに住む男性は、自宅と近所のネギ畑の間を何度か往復したが、はるみちゃんを一度も見かけなかったと話している。 |
午後16時 | はるみちゃんが珠算塾を無断欠席する。放課後に小川で一緒に遊んだ同級生は、はるみちゃんが「今日はそろばんには行かない」と話すのを聞いたという。前月に初級クラスの検定試験に落ちてショックを受けていたらしい。 |
午後17時 | 両親が帰宅。はるみちゃんを探し始めるがどこにも見当たらない。同級生らの家に電話してみても訪れた形跡はなかった。 |
午後21時過ぎ | 警察に捜索願が出される。 |
【捜査】
遊びに行って事故に遭った可能性も完全には排除されていないが、大規模な山狩りや池ざらいでは何らの痕跡も見つからず、何者かによって連れ去られたという見方もある。しかし、身代金を要求するような電話などは無く、近所を行き交う農作業者らも不審者(車)を見ていない。
珠算塾を欠席したのは一応理由がありそうだが、昼食の準備をしながらも手をつけずに外出したことがナゾに包まれている。誰かが迎えに来て呼び出されたような形跡は無いとされるが、慌てて出かけなければいけない用事があったのだろうか。
【推理】
筆者の勝手な推理であるが、下校途中に不審者が接触して誘い出したとみる。
ランドセルは背負ったままでは目立つから一旦自宅に置いて来させたと考えられる。適当な時間に待ち合わせをしていたら、昼食の準備をしたところで待ち合わせの時刻が迫り、食事をとらずに慌てて家を飛び出していったということで説明がつく。14時半以降に出かけた向かいの家の人ははるみちゃんの姿を見ていないが、はるみちゃんが単にそれよりも早く家を出ただけの話だろう。あとは人目に付かない場所で車に乗せてしまえばそれ以上の追跡は及ばない、というわけだ。
はるみちゃんは知らない人物に着いていったりしないしっかりした子だったというが、両親の知り合いを装うなどして接触すれば無垢な少女を騙すこともできたのではないか。
【帰ってくる日を待ち続け】
事故や事件に遭ったのかも分からず、どこかで生きているかもしれないと思うと、両親はどうしても「あきらめ」がつかなかった。残された時間と可能性が減っていくのに気づきつつも、最愛の娘の帰りを待たないという選択がありえるはずもない。
2000年3月18日付朝日新聞の記事では、はるみちゃんの2人の兄それぞれが結婚式を挙げた際、はるみちゃんの席も用意され、他の出席者と同じように食事も運ばれたことが伝えられている。
【少女行方不明事件】
誘拐が確実視されている事件は除く。年齢は失踪当時。
・小倉美咲ちゃん(2019年、7歳、山梨県)
*2022年5月に人骨発見。山梨県警は美咲さんが既に死亡していると判断した。
・下村まなみちゃん(2009年、10歳、岐阜県)
・大西有紀ちゃん(2004年、5歳、香川県)
・野村香ちゃん(1991年、10歳、神奈川県)
・加茂前ゆきちゃん(1991年、8歳、三重県)
【出典】
いはらき1981年6月1日「学校から帰り外に出たまま 小学生が行方不明 真壁町」
読売新聞1981年6月1日「小4の少女が行方不明 遊びに出かけ帰らず」
いはらき1981年6月2日「はるみちゃん、依然不明 大掛かりな捜索も空し」
読売新聞1981年6月2日「昼食やめて"外出" はるみちゃん 手がかりなし」
いはらき1981年6月3日「はるみちゃん見つからず有力手掛かりなし」
いはらき1981年6月4日「はるみちゃんを公開手配 県警捜査一課と真壁署」
読売新聞1981年6月4日「ナゾは深まるだけ はるみちゃん "広域捜査"に」
いはらき1981年6月5日「はるみちゃんはどこに 消息断って一週間 仕事も手につかぬ両親」
いはらき1981年6月12日「はるみちゃん失跡二週間 県警機動隊員ら百三十人が山狩り 手がかり得られず」
読売新聞1981年6月12日「はるみちゃん 再捜索も空振り」
いはらき1981年6月30日「はるみちゃんはどこに 失跡から1カ月 依然何の手掛かりもなし」
読売新聞1981年6月30日「はるみちゃん どこに ナゾの不明 手がかりなく1か月 帰り待つ傷心の親」
読売新聞1981年7月31日「4日は10歳誕生日なのに はるみちゃん行方不明2か月 沈む家族」
読売新聞1981年8月7日「はるみちゃんどこに 小4姿消し2か月」
いはらき1981年9月3日「はるみちゃん不明三カ月 範囲広げ山狩り」
読売新聞1981年9月3日「不明はるみちゃん きょう再大捜索」
いはらき1981年9月4日「再度の山狩りもむなし はるみちゃん失跡から三カ月 手掛かり何一つなし」
読売新聞1981年9月4日「捜索また空振り はるみちゃん」
読売新聞1981年12月17日「母の夢には元気な姿 はるみちゃんナゾの失跡もう半年」
いはらき1981年12月30日「はるみちゃんはどこに 必死の捜索もむなしく 手がかり得られず越年」
読売新聞1982年5月24日「帰ってきてはるみちゃん 姿消して間もなく1年 依然手がかりなく 真壁」
いはらき1982年5月29日「はるみちゃんどこへ…行方不明からあすで1年 手がかり全くなし」
読売新聞1985年5月31日「「元気で戻ってきて」真壁・はるみちゃん失跡 ナゾ包まれもう4年」
朝日新聞2000年3月18日「我が子いま、どこに…未成年者行方不明、県内でも/茨城」