※茨城県藤代町は2005年3月に取手市へ編入されています。

【女子高生、姿を消す】
 1987年6月20日午後19時20分頃、茨城県立藤代紫水高校で軟式テニス部の練習を終えた根本直美さん(15歳、高校1年生)は、友人7人と一緒に自転車で下校した。

 しかし、自宅まで800メートルほどの小貝橋のたもとで友人たちと別れて1人になった後、いつまで経っても帰宅しなかった。

 心配した母親がいつもの通学コースに沿って迎えにいくと、小貝橋と自宅とのちょうど中間地点にあたる日枝神社に面した町道脇の土手で直美さんの乗る自転車を発見。また、前かごから飛び出す形でスポーツバッグとリュックサックも落ちていた。

【捜査】
 スポーツバッグの中にはジャージの購入代金1万850円が手付かずで残されており、失踪時の服装が目立つエンジ色のジャージだったことからも、自発的な失踪という線はきわめて薄い。それまでに家出や無断外泊をしたこともなかった。無論、自殺などする動機も全く無い。自転車には交通事故に遭ったような痕跡もなかった。

 県警は25日から顔写真を公表して公開捜査に踏み切る。友人と小貝橋で別れてから母親が自転車を発見するまで空白の時間はわずか30〜40分だ。この間に何者かが連れ去ったのだとしたら、かなり"手際の良い犯行"ということになる。直美さんは身長168センチと体格もよかったため、男性複数人がかりで連れ去ったという見方が強い。

 しかし有力な手掛かりはほとんど無い。自転車発見現場近くで不審な白っぽい車が駐車されていたとする目撃証言が報じられたが、直美さんの失踪時間帯と車の目撃時間帯にズレがあることが分かり、事件との関連性は薄いと判断されている。

【畜生共】
 直美さん失踪事件が報じられて以降、根本さん方には、面白半分のイタズラ電話が架かったり、情報を提供するといって金銭を要求する者が現れたりするようになった。宗教団体が昼夜を問わず押しかけて入信を迫ることもあったという。娘の行方を心配して神経を擦り減らす家族は、心無い畜生共によってますます疲弊させられたのだった。

【北朝鮮の影】
 2008年3月26日、北朝鮮に拉致された疑いのある行方不明者を調べている「特定失踪者問題調査会」は直美さんについて「拉致の疑いが否定できない」と発表した。

 果たして直美さんは北朝鮮により拉致されたのだろうか。2021年12月現在も真相は不明のままだ。家族は今日も直美さんの帰りを待っている。

【リンク】
 特定失踪者問題調査会のページはこちら

【出典】
 いはらき1987年6月22日「女子高生帰宅せず 自宅近くに自転車、カバン 藤代」
 いはらき1987年6月23日「女子高生の行方 依然として不明 藤代町」
 朝日新聞1987年6月26日「行方不明の女高生、公開捜査に 茨城・藤代町」
 いはらき1987年6月26日「藤代の女高生行方不明 公開捜査へ 事件に巻き込まれた?」
 毎日新聞1987年6月26日「茨城県で県立高一年の女生徒が行方不明になり五日たつ」
 読売新聞1987年6月26日「行方不明の女高生を公開捜査に/茨城県藤代町」
 読売新聞1987年6月26日「失跡の高1 誘拐の恐れ濃厚に 自転車発見現場近くに車 複数男性がら致?」
 いはらき1987年7月19日「藤代女高生失跡から1カ月 情報50件からぶり」
 読売新聞1987年7月19日「いぜん手掛かりなし 藤代の高1 帰宅途中に失跡1か月」
 読売新聞1987年7月23日「高1女子生徒不明 自宅周辺を大捜索 藤代」
 読売新聞1987年9月19日「直美さん不明から3か月 大捜査かいなく「元気で帰って」と祈る母」
 朝日新聞1988年6月19日「藤代の女子高生行方不明事件、20日で1年 捜査難航 茨城」
 読売新聞1988年6月19日「藤代・女子高生不明1年 直美さんはどこに」
 読売新聞2008年3月27日「藤代の女子高生、拉致の疑い否定できず 特定失踪者問題調査会=茨城」
 朝日新聞2014年6月2日「解決への期待口々に、那珂で集会 特定失踪者の家族 北朝鮮拉致問題再調査/茨城県」