2000年1月20日午前3時50分頃、広島県広島市中区西城町の国道54号線「城北地下道」にて、同市に住む16歳の少女が血を流して倒れているのを犬の散歩をしていた主婦が発見し、近くにある広島中央署基町交番に届けた。少女は直ちに病院へ搬送されたが、出血多量により死亡する。

 目撃証言に乏しく2021年11月現在も犯人は特定できていない。未解決。捜査継続中。

【未明の凶行】
 被害者の名前は熊井梢さん。中学を卒業後、98年4月に広島市内の私立高校へ入学したが、99年3月に退学。以後は定職に就くことなく、殺害現場から北に約50メートルのあたりにあるアパートで祖母と暮らしていた。

 熊井さんは19日夜から友人数名と遊びに出ており、中区のゲームセンターや漫画喫茶を訪れた後、20日の午前3時15分頃に別れた。そして一人タクシーに乗り込み自宅を目指したが、買い物がしたかったのか、「城北地下道」そばのファミレス前で下車し、城北地下道を通って最寄りのコンビニへと向かった。

 なお、タクシー運転手によれば、熊井さんは車内でケータイを使って何者かと話し始め、降車してからも話し続けていたが、なにやら親しい友達と話している風で、特にトラブルに遭った様子ではなかったという。おそらくさっき別れたばかりの友達と話していたのではないか。また、コンビニ内の防犯カメラにも姿を捉えられているが、やはり不審な様子はなかったとされる。

 コンビニを出たのは3時30分頃。そして再び地下道に入り、血を流して倒れているのを発見されたのが3時40分頃。この"空白の十数分"に熊井さんは襲撃されたということになる。第一発見者の主婦は、倒れている彼女を見て「気分が悪いのかな」と思って声をかけたが、「うーん…」とうなるばかりで返事がなかったため一度立ち去ったのだという。それから一、ニ分して心配になって戻り、このとき血を流していることに初めて気がついたとのこと。

 3時50分頃、刺殺現場から250メートルほど離れた最寄りの交番に届けがあり、直ちに救急車が到着。熊井さんはまだ意識があったが、犯人について証言することはなく、そのまま出血多量で亡くなった。

【捜査】
 熊井さんが刺されたのは、両腕の付け根近くの背中2箇所と、両足の太ももの裏2箇所。背負っていたリュックの肩紐も一部切られていた。抵抗したような痕跡は見られず、背後から不意打ちで襲われた可能性が高い。

 朝日新聞の報道によれば、熊井さんが主婦に発見された頃、偶然電話をかけた友人が一人いたのだが、熊井さんは「刺された。助けて」と話すだけで犯人の情報については何も話さなかったとのこと。背後から襲われて犯人の顔すらハッキリ見ていないのだとしたら辻褄は合う。

 凶器は刃渡り十数センチで刃幅の狭いナイフのようなものとみられている。金属探知機なども用いて警察は集中的な捜索を行ったが発見できていない。犯人自ら持ち去ったようだ。

【犯人像】
 着衣に乱れがなかったことから乱暴目的の犯行ではなさそうで、その一方で財布に現金が手付かずで残されていたことから強盗目的でもなさそうである。他に考えられるのは、顔見知りの人物による怨恨、若しくは「誰でもいいから殺したかった」通り魔的犯行ということになろう。

 地下道に非常用ベルはあるが防犯カメラは無く(事件後に急遽設置が決定)、通勤時間帯こそ混雑するものの未明となれば通行人はほとんどいない。したがって、有力な目撃証言は皆無であり、犯人像は年齢も性別も人数さえも全く絞り込めないままだ。

 唯一、毎日新聞が、20歳前後の若い男が倒れている梢さんを見下ろすようにして立っていたとする目撃証言を報じている。ただしこれについて続報はない。産経新聞は、熊井さんがタクシーを降りた時、まるで待ち構えていたかのように地下道付近に停まったという不審な乗用車を報じているが、こちらも続報なし。

 熊井さんの交友関係は広く、一度遊んだ程度の知人まで含めるとかなりの人数になるという。中には熊井さんの本名も知らないまま遊んでいた者もいるそうで、深いようでいて浅い、"現代的"な独特の人間関係が構築されていた模様。彼女自身は人間関係のトラブルを抱えている様子はなかったというが、どこかで一方的な恨みを向けられていてもおかしくはなさそうだ。

 ただし、彼女の事件当夜の行動経路やその時間帯を事前に把握することは実質的に不可能で、もちろん待ち伏せをしていたとするのも無理筋ではないが、やはりどちらかと言えば通り魔説の方が有力といえよう。

【別件で親族逮捕】
 2003年1月9日、梢さんの養母にあたる熊井チエコ(当時56歳)が詐欺などの疑いにより逮捕された。

 チエコは1999年3月に国民年金に加入している夫を病気で亡くした。18歳未満の子を養育する年金加入者の配偶者であれば遺族年金を受け取る権利があるが、そのためには被養育者と同居していなければならない。そこでチエコは当時別居していた梢さんと同居しているかのように装う虚偽の書類を役所に提出した。しかも、梢さんが死亡した後には当然年金支給が打ち切られるところ、死亡届を出さないままでおり、1999年8月から2000年8月にかけ総額約318万円を騙し取った。

 1月30日、有印私文書偽造、同行使の疑いで再逮捕。夫の死亡当時、その遺産はチエコと梢さんが2分の1ずつ相続する権利があったのだが、チエコは知人の男性を梢さんの代理人に仕立て上げ、梢さんの知らぬところで勝手に相続を放棄させたのだという。

 初公判でチエコは起訴事実を認めた。論告求刑公判で検察は「金銭欲しさの自己中心的犯行」として懲役2年を求刑。

 2003年6月10日、広島地裁判決。「手口が巧妙で被害額も大きい」として懲役2年・執行猶予3年が言い渡された。

 2002年1月、梢さん刺殺から2年経った時点で、チエコは被害者遺族の立場でインタビューを受けている。そこでは、梢さんの死を受け入れられていないこと、「夫と梢に会うため」自ら死を選ぼうとしたことなどが語られた。だが、果たして彼女がその場で述べたことのどれだけが本心だったのだろうか。あるいは全てが虚構だったのではないか。なんともやるせない。

【リンク】
 養母チエコは逮捕されたが、梢さんの事件は解決したわけではない。捜査は継続している。
 広島県警による情報提供呼びかけページは以下。
 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police-hiroshimachuo/16sai.html

【出典】
 朝日新聞2000年1月20日「16歳女性刺され死亡 未明4時前の広島地下道」
 産経新聞2000年1月20日「16歳少女刺され死亡 広島 帰宅途中、地下道で」
 毎日新聞2000年1月20日「地下道で16歳少女が刺殺されるーー広島」
 読売新聞2000年1月20日「16歳少女刺殺される 未明、通り魔の可能性も 広島の横断地下道」
 朝日新聞2000年1月21日「恨み・通り魔の可能性 広島の少女刺殺事件」
 産経新聞2000年1月21日「広島の女性刺殺「刺された、助けて」事件直後 携帯で友人に連絡」
 産経新聞2000年1月21日「不審者待ち伏せ 地下道に移動か 広島の女性刺殺」
 読売新聞2000年1月21日「中区の少女刺殺事件 凶行に不安広がる 近くの小学校は集団下校=広島」
 朝日新聞2000年1月22日「都会の死角「地下道」広島・中区の16歳少女刺殺事件」
 読売新聞2000年1月22日「中区の少女刺殺事件 少ない情報、絞れぬ犯人像 白島小は集団下校=広島」
 毎日新聞2000年1月23日「広島・少女刺殺事件 現場に若い男 関与の可能性もーー広島県警捜査本部」
 読売新聞2000年1月24日「中区の少女刺殺事件 凶器発見できず 県警が太田川河川敷などを捜索=広島」
 読売新聞2000年1月25日「中区の少女刺殺事件 熊井さん、地下道2度通る?コンビニ反対側で下車=広島」
 朝日新聞2000年1月27日「情報少なく捜査難航 広島・中区の16歳刺殺事件から1週間」
 読売新聞2000年1月27日「中区の少女刺殺事件から1週間 犯行前に空白の十数分 目撃者発見に全力=広島」
 朝日新聞2000年2月20日「情報少なく、捜査難航 広島・中区の少女刺殺事件から1カ月」
 読売新聞2000年7月20日 「中区の少女刺殺事件 手がかりなく半年 知人か、通り魔か絞れず=広島」
 朝日新聞2001年1月21日「犯人像絞り込めず 有力情報なく難航 地下道殺人、捜査1年/広島」
 読売新聞2001年1月21日「ルポ広島 少女殺害から1年 "都市の死角"深まるナゾ=広島」
 読売新聞2002年1月20日「ルポ広島 中区の地下道少女殺害事件から2年 犯人逮捕へ有力情報なし=広島」
 読売新聞2003年1月10日「夫の遺族年金詐取 刺殺された養女と同居装い 養母の56歳逮捕」
 読売新聞2003年1月31日「夫の遺族年金を不正受給 熊井容疑者を再逮捕 有印私文書偽造など容疑=広島」
 読売新聞2003年3月15日「遺族年金詐欺事件初公判 被告が起訴事実認める 地裁=広島」
 読売新聞2003年5月20日「遺族年金詐欺 被告に懲役2年求刑 地裁=広島」
 読売新聞2003年6月10日「遺族基礎年金詐取 妻に有罪判決=広島」
 朝日新聞2010年1月21日「署員がチラシ、情報を 広島・中区の地下道少女刺殺から10年/広島県」
 読売新聞2010年1月21日「16歳殺害 10年、風化許すな チラシ配り情報募る=広島」