1984年11月17日(土曜日)、栃木県足利市大久保町在住の長谷部秀夫さん(当時40歳)は、妻と、5歳の長女、4歳の長男を連れて同市山川町のパチンコ「大宇宙」を訪れた。
夫婦がパチンコに熱中している間、子どもたちは店内で遊んでいたが、17時過ぎになって、秀夫さんが長女の有美ちゃんだけ姿が見えないことに気づく。
夫婦は慌てて娘を捜し始める。ひょっとしたら1人で家に帰っているのかもしれないと期待したが、パチンコ店から長谷部さん宅まではおよそ3キロあり、5歳の有美ちゃんが1人で帰るのは難しい。やはりパチンコ店周辺から自宅までの道中に有美ちゃんの姿は無く、同日21時頃に警察に捜索願が出された。
【怪電話】
一昼夜以上に渡り周辺の竹藪や溜池などが大規模に捜索されたが、有美ちゃんの行方を掴むことはできず、警察は車で連れ去られるなど事件に巻き込まれたとの見方を強める。一方で、身代金を要求する電話などもかからなかったため、失踪から4日後の11月21日より公開捜査に踏み切った。
すると、その日の夕方、有美ちゃんの通う私立旭幼稚園と自宅に不審な電話がかかった。内容は以下のとおり。
・16時10分頃 旭幼稚園
園長が電話を取ると、女の子が「せんせい」とだけ言ってすぐに切れた。
・16時13分頃 旭幼稚園
再び園長が電話を取る。同じ女の子が泣き声で「せんせい、今、コウセイ病院にいる」と言った。園長が「佐野かい?」と聞き返すと、女の子は「うん」と答えた。
ここで突然中年の男が代わり「長谷部さんの家はどこだ。電話番号を教えてくれ」と言った。園長が長谷部さん宅の電話番号を伝えると電話は切れた。園長は有美ちゃん失踪に関わると考えて110番通報する。
・16時21分 長谷部さん宅
秀夫さんが電話を取る。秀夫さんが「有美か」と呼びかけると、女の子は「助けてちょうだい」と答えた。
秀夫さんが「どこにいるの?」と聞くと、やはり女の子は「コウセイ病院」と言う。秀夫さんが「どこの?」と確認すると、女の子は「佐野」と答えて電話は切れた。
「佐野厚生総合病院」という病院は確かに存在する。だが、捜査員を向かわせても有美ちゃんの姿は無かった。足利市に「更西病院」という同じコウセイという読みの病院があり、念のためこちらも捜査されたがやはり空振りだった。
翌22日、足利署は一連の電話を"イタズラ電話"と断定。長谷部さん宅への電話は警察により録音されていたのだが、女の子の声を聞いた旭幼稚園の先生たちは「受け答えが有美ちゃんにしてはハッキリしすぎている」と証言した。実の親である秀夫さんと妻も「言葉遣いは違うが、音質は似ている」という微妙なニュアンスで、娘の声だとハッキリ断言できなかった。また、電話中に女の子は「とうちゃ…」と言いかけたが、有美ちゃんは秀夫さんのことを「お父さん」と呼んでおり、この点も不自然だった。
この後、手がかりになりそうな電話は一切かかっていない。一連の電話の主と目的は不明のまま。とはいえ、状況からして有美ちゃんが何者かによってパチンコ店から連れ去られた疑いは依然として強い。警察は捜査を続行する。
【遺体発見】
失踪から約1年4ヶ月が経過した1986年3月8日夜、足利市大久保町の畑で、女児のスカートや下着が埋められているのを畑の所有者が発見した。発見者によれば、飼い犬が畑を盛んに掘り起こそうとするのを不審に思い、1時間ほどかけて掘り起こしたのだという。
通報を受けた足利署が捜索すると、同じ畑から一部が白骨化した女児の遺体を発見。着衣の特徴から有美ちゃんと断定された。死因は特定できなかったが、何者かが殺害・死体遺棄したのは確実。娘の帰りを信じて待ち続けた両親にとってあまりにも酷い"発見"であった。
遺体の見つかった畑は、パチンコ「大宇宙」からおよそ2キロ、自宅と「大宇宙」のおおよそ中間あたりの地点。付近に民家はなく、車の入れる農道からも100メートルほど離れている。土地勘がなければまず行き着かない場所だ。また、現場で有美ちゃんの靴が見つからなかったことから、殺害されたのはどこか別の場所の可能性がある。
【足利事件被疑者への追求】
足利市では1979年にも幼女誘拐殺人事件が起きている。福島万弥ちゃん事件である。近所の神社で遊んでいたところを誘拐され、約1週間後に河川敷でリュックサック詰めの遺体となって発見された凶悪極まる事件だが、有美ちゃん事件と同様に未解決のまま。万弥ちゃんが失踪した神社は、有美ちゃんが失踪したパチンコ「大宇宙」からおよそ2キロの距離で、住民は2つの事件の関連性を指摘した。
そんな中、1990年5月12日、父親と一緒に足利市のパチンコ店を訪れていた松田真実ちゃん(4歳)が失踪し、翌13日に渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見される。万弥ちゃん、有美ちゃん事件の進展がないまま、とうとう3件目の事件が起きてしまったのだ。
一刻も早く事件を解決しなければならない。栃木県警は執念の捜査の結果、1991年12月に真実ちゃんを誘拐・殺害した犯人に行き着いた。犯人とされたのは元・幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45歳)で、決め手は真実ちゃんの衣類に残ったDNA型との一致だった。
真実ちゃん殺しで菅家さんの取り調べが行われる中、県警は、同じ足利市で発生した万弥ちゃん事件と有美ちゃん事件も追求し、無理矢理に自供を得ている。だが、この2事件に関しては嫌疑不十分で不起訴処分となった。碌な物証も無く、肝心の自供も曖昧で中身の無いものだったから当然だ。県警による会見では、有美ちゃんの遺体発見現場から採取した約2000本の毛髪と、菅家さんの毛髪とが一切一致しなかったことも不起訴処分の理由の一つとして挙げられている。
県警は本当に同一犯による事件と認識していたのか、あるいは未解決のまま積み残していた凶悪事件をまとめて解決してしまえという焦りがあったのか…。結局、「犯人らしき人は一応逮捕したけど、罪を問うことはできない」というモヤモヤした結果。
その後の経緯はご存知のとおり。DNA型鑑定結果を証拠として2000年に最高裁で無期懲役判決が確定するも、再鑑定の結果、衣類に残ったDNA型と菅家さんのDNA型は不一致となり、2010年に再審で無罪が言い渡された。菅家さんは冤罪だったのである。こうして真実ちゃん事件も含め3つの事件はまっさらな状態に戻った。しかし、その時既に一連の事件は公訴時効を迎えていて再捜査も叶わない。栃木県警の勇み足が3つの事件を実質的に解決不可能にしたのだ。
【北関東連続幼女誘拐殺人事件】
2021年現在、上記足利市で発生した3事件と、群馬県で発生した大沢朋子ちゃん誘拐殺人事件(1987年)と横山ゆかりちゃん誘拐事件(1996年)、計5事件は同一犯の可能性が高いと見做されている。いわゆる北関東連続幼女誘拐殺人事件だ。有美ちゃん事件は、発生順では2番目に古く、そして最も手がかりの少ない事件である。
菅家さんの再審無罪確定後、5事件の遺族らは初めて一堂に集まり、事件解決を目指す家族会を結成した。有美ちゃん事件は既に公訴時効を迎えているが、行方不明のまま公訴時効の定められない横山ゆかりちゃん事件をきっかけに一連の事件の全容を明らかにできる可能性はある。警察が動かずとも、遺族が諦めない限り事件が終わることはない。
【桃の木】
遺体を発見した畑の所有者は、有美ちゃんを悼み、現場に桃の木を植えた。小さな有美ちゃんでも手が届くように、木は敢えて小さく切り揃えたという。
【出典】
下野新聞1984年11月19日「5歳女児 行方不明に 足利 両親がパチンコ中 事件に巻き込まれた恐れ」
下野新聞1984年11月20日「女児不明 手掛かりなし 足利 "事件"の可能性強まる」
朝日新聞1984年11月21日「足利で女児行方絶ち4日 本格捜査踏み切る」
下野新聞1984年11月21日「有美ちゃん発見できず 足利 目撃者捜しに全力」
朝日新聞1984年11月22日「足利の不明女児、誘拐の疑いで捜査 自宅へ不審な電話」
下野新聞1984年11月22日「足利 不明の幼女から電話 自宅に「助けて」幼稚園にも2回 中年男と一緒か」
毎日新聞1984年11月22日「「モシモシ…助けて」不明4日、泣き声の電話 5歳女児誘拐か、男の声も」
毎日新聞1984年11月22日「声紋分析を急ぐ 足利の女児不明」
読売新聞1984年11月22日「「助けて!」と電話 不明少女、誘拐で捜査 足利市で5歳児/栃木」
朝日新聞1984年11月23日「自宅などへの電話は「いたずら」と断定 足利の女児不明事件」
朝日新聞1984年11月23日「女児の電話はいたずら 声、言い回しに違い」
読売新聞1984年11月23日「幼女誘拐、電話はイタズラ」
下野新聞1984年11月24日「目撃者なく「壁に」有美ちゃん失跡から一週間」
下野新聞1984年12月10日「有美ちゃん失跡 大捜索も手掛かりなし 足利全域で900人動員」
下野新聞1984年12月16日「「有美ちゃん失跡」あすで一か月 有力目撃者現れず」
朝日新聞1986年3月8日「足利市の畑で女児の白骨体発見」
下野新聞1986年3月9日「有美ちゃん白骨体で発見 自宅から2キロ、畑の中」
毎日新聞1986年3月8日「不明1年余、白骨死体で 足利市の5歳女児 自宅から1.5キロの畑で」
読売新聞1986年3月8日「畑から少女白骨体 有美ちゃんと確認 足利 パチンコ店から誘拐?」
毎日新聞1986年3月9日「有美ちゃん事件 凶行現場は別?地理に詳しい犯人」
毎日新聞1991年12月22日「万弥ちゃんと有美ちゃん殺害も自供ーー真実ちゃん事件の容疑者」
読売新聞1991年12月22日「真実ちゃん殺しの容疑者 「万弥」「有美」ちゃんも自供/栃木県足利」
朝日新聞1991年12月25日「有美ちゃん遺体発見者、現場にモモ植えて手入れ 足利幼女殺人」
朝日新聞1992年2月11日「容疑者を書類送検 有力な物証なし 有美ちゃん殺害事件」
読売新聞1992年2月14日「足利幼女殺害事件 自供したが…物証なく起訴は困難」
朝日新聞1993年2月27日「厚かった時間の壁 足利の連続幼女殺害二事件は不起訴/栃木」
毎日新聞1993年2月27日「2女児殺害事件は不起訴に 元幼稚園送迎バス運転手ーー宇都宮地検」
読売新聞1993年2月27日「元幼稚園運転手の3幼女殺害事件 2幼女殺害は不起訴/宇都宮地検」
朝日新聞2011年6月27日「足利事件など未解決5件、被害家族会発足へ」
読売新聞2011年6月30日「幼女被害5事件で家族会 福島万弥ちゃん父 解明求め参加=栃木」
夫婦がパチンコに熱中している間、子どもたちは店内で遊んでいたが、17時過ぎになって、秀夫さんが長女の有美ちゃんだけ姿が見えないことに気づく。
夫婦は慌てて娘を捜し始める。ひょっとしたら1人で家に帰っているのかもしれないと期待したが、パチンコ店から長谷部さん宅まではおよそ3キロあり、5歳の有美ちゃんが1人で帰るのは難しい。やはりパチンコ店周辺から自宅までの道中に有美ちゃんの姿は無く、同日21時頃に警察に捜索願が出された。
【怪電話】
一昼夜以上に渡り周辺の竹藪や溜池などが大規模に捜索されたが、有美ちゃんの行方を掴むことはできず、警察は車で連れ去られるなど事件に巻き込まれたとの見方を強める。一方で、身代金を要求する電話などもかからなかったため、失踪から4日後の11月21日より公開捜査に踏み切った。
すると、その日の夕方、有美ちゃんの通う私立旭幼稚園と自宅に不審な電話がかかった。内容は以下のとおり。
・16時10分頃 旭幼稚園
園長が電話を取ると、女の子が「せんせい」とだけ言ってすぐに切れた。
・16時13分頃 旭幼稚園
再び園長が電話を取る。同じ女の子が泣き声で「せんせい、今、コウセイ病院にいる」と言った。園長が「佐野かい?」と聞き返すと、女の子は「うん」と答えた。
ここで突然中年の男が代わり「長谷部さんの家はどこだ。電話番号を教えてくれ」と言った。園長が長谷部さん宅の電話番号を伝えると電話は切れた。園長は有美ちゃん失踪に関わると考えて110番通報する。
・16時21分 長谷部さん宅
秀夫さんが電話を取る。秀夫さんが「有美か」と呼びかけると、女の子は「助けてちょうだい」と答えた。
秀夫さんが「どこにいるの?」と聞くと、やはり女の子は「コウセイ病院」と言う。秀夫さんが「どこの?」と確認すると、女の子は「佐野」と答えて電話は切れた。
「佐野厚生総合病院」という病院は確かに存在する。だが、捜査員を向かわせても有美ちゃんの姿は無かった。足利市に「更西病院」という同じコウセイという読みの病院があり、念のためこちらも捜査されたがやはり空振りだった。
翌22日、足利署は一連の電話を"イタズラ電話"と断定。長谷部さん宅への電話は警察により録音されていたのだが、女の子の声を聞いた旭幼稚園の先生たちは「受け答えが有美ちゃんにしてはハッキリしすぎている」と証言した。実の親である秀夫さんと妻も「言葉遣いは違うが、音質は似ている」という微妙なニュアンスで、娘の声だとハッキリ断言できなかった。また、電話中に女の子は「とうちゃ…」と言いかけたが、有美ちゃんは秀夫さんのことを「お父さん」と呼んでおり、この点も不自然だった。
この後、手がかりになりそうな電話は一切かかっていない。一連の電話の主と目的は不明のまま。とはいえ、状況からして有美ちゃんが何者かによってパチンコ店から連れ去られた疑いは依然として強い。警察は捜査を続行する。
【遺体発見】
失踪から約1年4ヶ月が経過した1986年3月8日夜、足利市大久保町の畑で、女児のスカートや下着が埋められているのを畑の所有者が発見した。発見者によれば、飼い犬が畑を盛んに掘り起こそうとするのを不審に思い、1時間ほどかけて掘り起こしたのだという。
通報を受けた足利署が捜索すると、同じ畑から一部が白骨化した女児の遺体を発見。着衣の特徴から有美ちゃんと断定された。死因は特定できなかったが、何者かが殺害・死体遺棄したのは確実。娘の帰りを信じて待ち続けた両親にとってあまりにも酷い"発見"であった。
遺体の見つかった畑は、パチンコ「大宇宙」からおよそ2キロ、自宅と「大宇宙」のおおよそ中間あたりの地点。付近に民家はなく、車の入れる農道からも100メートルほど離れている。土地勘がなければまず行き着かない場所だ。また、現場で有美ちゃんの靴が見つからなかったことから、殺害されたのはどこか別の場所の可能性がある。
【足利事件被疑者への追求】
足利市では1979年にも幼女誘拐殺人事件が起きている。福島万弥ちゃん事件である。近所の神社で遊んでいたところを誘拐され、約1週間後に河川敷でリュックサック詰めの遺体となって発見された凶悪極まる事件だが、有美ちゃん事件と同様に未解決のまま。万弥ちゃんが失踪した神社は、有美ちゃんが失踪したパチンコ「大宇宙」からおよそ2キロの距離で、住民は2つの事件の関連性を指摘した。
そんな中、1990年5月12日、父親と一緒に足利市のパチンコ店を訪れていた松田真実ちゃん(4歳)が失踪し、翌13日に渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見される。万弥ちゃん、有美ちゃん事件の進展がないまま、とうとう3件目の事件が起きてしまったのだ。
一刻も早く事件を解決しなければならない。栃木県警は執念の捜査の結果、1991年12月に真実ちゃんを誘拐・殺害した犯人に行き着いた。犯人とされたのは元・幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45歳)で、決め手は真実ちゃんの衣類に残ったDNA型との一致だった。
真実ちゃん殺しで菅家さんの取り調べが行われる中、県警は、同じ足利市で発生した万弥ちゃん事件と有美ちゃん事件も追求し、無理矢理に自供を得ている。だが、この2事件に関しては嫌疑不十分で不起訴処分となった。碌な物証も無く、肝心の自供も曖昧で中身の無いものだったから当然だ。県警による会見では、有美ちゃんの遺体発見現場から採取した約2000本の毛髪と、菅家さんの毛髪とが一切一致しなかったことも不起訴処分の理由の一つとして挙げられている。
県警は本当に同一犯による事件と認識していたのか、あるいは未解決のまま積み残していた凶悪事件をまとめて解決してしまえという焦りがあったのか…。結局、「犯人らしき人は一応逮捕したけど、罪を問うことはできない」というモヤモヤした結果。
その後の経緯はご存知のとおり。DNA型鑑定結果を証拠として2000年に最高裁で無期懲役判決が確定するも、再鑑定の結果、衣類に残ったDNA型と菅家さんのDNA型は不一致となり、2010年に再審で無罪が言い渡された。菅家さんは冤罪だったのである。こうして真実ちゃん事件も含め3つの事件はまっさらな状態に戻った。しかし、その時既に一連の事件は公訴時効を迎えていて再捜査も叶わない。栃木県警の勇み足が3つの事件を実質的に解決不可能にしたのだ。
【北関東連続幼女誘拐殺人事件】
2021年現在、上記足利市で発生した3事件と、群馬県で発生した大沢朋子ちゃん誘拐殺人事件(1987年)と横山ゆかりちゃん誘拐事件(1996年)、計5事件は同一犯の可能性が高いと見做されている。いわゆる北関東連続幼女誘拐殺人事件だ。有美ちゃん事件は、発生順では2番目に古く、そして最も手がかりの少ない事件である。
菅家さんの再審無罪確定後、5事件の遺族らは初めて一堂に集まり、事件解決を目指す家族会を結成した。有美ちゃん事件は既に公訴時効を迎えているが、行方不明のまま公訴時効の定められない横山ゆかりちゃん事件をきっかけに一連の事件の全容を明らかにできる可能性はある。警察が動かずとも、遺族が諦めない限り事件が終わることはない。
【桃の木】
遺体を発見した畑の所有者は、有美ちゃんを悼み、現場に桃の木を植えた。小さな有美ちゃんでも手が届くように、木は敢えて小さく切り揃えたという。
【出典】
下野新聞1984年11月19日「5歳女児 行方不明に 足利 両親がパチンコ中 事件に巻き込まれた恐れ」
下野新聞1984年11月20日「女児不明 手掛かりなし 足利 "事件"の可能性強まる」
朝日新聞1984年11月21日「足利で女児行方絶ち4日 本格捜査踏み切る」
下野新聞1984年11月21日「有美ちゃん発見できず 足利 目撃者捜しに全力」
朝日新聞1984年11月22日「足利の不明女児、誘拐の疑いで捜査 自宅へ不審な電話」
下野新聞1984年11月22日「足利 不明の幼女から電話 自宅に「助けて」幼稚園にも2回 中年男と一緒か」
毎日新聞1984年11月22日「「モシモシ…助けて」不明4日、泣き声の電話 5歳女児誘拐か、男の声も」
毎日新聞1984年11月22日「声紋分析を急ぐ 足利の女児不明」
読売新聞1984年11月22日「「助けて!」と電話 不明少女、誘拐で捜査 足利市で5歳児/栃木」
朝日新聞1984年11月23日「自宅などへの電話は「いたずら」と断定 足利の女児不明事件」
朝日新聞1984年11月23日「女児の電話はいたずら 声、言い回しに違い」
読売新聞1984年11月23日「幼女誘拐、電話はイタズラ」
下野新聞1984年11月24日「目撃者なく「壁に」有美ちゃん失跡から一週間」
下野新聞1984年12月10日「有美ちゃん失跡 大捜索も手掛かりなし 足利全域で900人動員」
下野新聞1984年12月16日「「有美ちゃん失跡」あすで一か月 有力目撃者現れず」
朝日新聞1986年3月8日「足利市の畑で女児の白骨体発見」
下野新聞1986年3月9日「有美ちゃん白骨体で発見 自宅から2キロ、畑の中」
毎日新聞1986年3月8日「不明1年余、白骨死体で 足利市の5歳女児 自宅から1.5キロの畑で」
読売新聞1986年3月8日「畑から少女白骨体 有美ちゃんと確認 足利 パチンコ店から誘拐?」
毎日新聞1986年3月9日「有美ちゃん事件 凶行現場は別?地理に詳しい犯人」
毎日新聞1991年12月22日「万弥ちゃんと有美ちゃん殺害も自供ーー真実ちゃん事件の容疑者」
読売新聞1991年12月22日「真実ちゃん殺しの容疑者 「万弥」「有美」ちゃんも自供/栃木県足利」
朝日新聞1991年12月25日「有美ちゃん遺体発見者、現場にモモ植えて手入れ 足利幼女殺人」
朝日新聞1992年2月11日「容疑者を書類送検 有力な物証なし 有美ちゃん殺害事件」
読売新聞1992年2月14日「足利幼女殺害事件 自供したが…物証なく起訴は困難」
朝日新聞1993年2月27日「厚かった時間の壁 足利の連続幼女殺害二事件は不起訴/栃木」
毎日新聞1993年2月27日「2女児殺害事件は不起訴に 元幼稚園送迎バス運転手ーー宇都宮地検」
読売新聞1993年2月27日「元幼稚園運転手の3幼女殺害事件 2幼女殺害は不起訴/宇都宮地検」
朝日新聞2011年6月27日「足利事件など未解決5件、被害家族会発足へ」
読売新聞2011年6月30日「幼女被害5事件で家族会 福島万弥ちゃん父 解明求め参加=栃木」