1991年7月10日正午ごろ、鹿児島県曽於郡松山町の県道わきのサツマイモ畑で、近所に住む谷口忠美さん(56歳)が頭から血を流して倒れているのが発見された。

 警察の調べにより、谷口さんは9日深夜〜10日未明にかけて何者かに殺害されたと断定。しかし犯人の特定には至らず、2006年7月9日に殺人罪の公訴時効成立。事件は迷宮入りした。

【不可解な現場】
 谷口さんは、7月9日の朝、家族に「畑に行ってくる」と言って家を出た。その後夕方になっても戻らなかったが、同日19時頃に少し離れた大隈町の病院で知人男性と会っていたことが分かっている。この知人とは22時過ぎに別れたらしい。

 そして上記のとおり10日の正午ごろにイモ畑で遺体で発見される。側には谷口さんのバイクが倒れており、警察は谷口さんがこの場所でひき逃げに遭ったと考えた。

 しかし、よくよく調べてみると現場には不自然な点が多々あった。まず、バイクのヘッドライトが割れているのにその破片が見つからなかったこと。また、谷口さんは頭部に重傷を負っていてシートなどに多量の血痕が付着しており、交通事故であればかなり激しい接触が想像されるところ、バイク自体に大きな損傷は無く、タイヤのスリップ痕も確認されなかった。谷口さんがバイクに乗るときに身につけているヘルメットも見つかっていないという。

 そこで周辺をさらに捜査してみると、7月11日午前、遺体発見現場から約1キロ離れた農道で、谷口さんの毛髪と多量の血痕を発見。血痕は谷口さんの血液型と一致した。また、司法解剖の結果、遺体の頭部の傷は鈍器で殴られたことによって負ったものと断定された。

 すなわち、谷口さんは9日深夜〜10日未明に血痕発見現場にて鈍器で殴られて殺害された後、約1キロ離れたサツマイモ畑まで運ばれて遺棄され、さらに側にバイクを倒すなどして交通事故に遭ったかのように現場偽装された、ということになる。

【迷宮入り】
 財布を盗まれたなどといった報道はなく、強盗目的の可能性は低そうだ。では怨恨に基づく計画的な殺人かというと、それにしては偶発的な事象が多いように思える。筆者としては、血痕発見現場付近で何かしら交通トラブルが発生し、感情的な争いになった末に殺害に至ったのではないかと思う。情報が少なく、結局のところ妄想に過ぎないが。

 2006年7月9日、殺人罪での公訴時効成立。鹿児島県内で発生した殺人事件で未解決のまま時効を迎えるのは戦後3件目。県警は述べ6万5000人の捜査員を投入したが成果はなかった。

 捜査1課長は捜査が難航した理由として、<1>深夜帯に発生した事件で目撃証言が無いこと、<2>事件発覚が遅れたため緊急配備を敷けなかったこと、<3>県境で起きた事件でありながら宮崎県警との協力体制を築けなかったこと、を挙げている。

【出典】
 朝日新聞1991年7月11日「殺害後、遺体捨てる? 鹿児島・松山町」
 読売新聞1991年7月11日「松山町の畑で男性の変死体 事故偽装の疑いも」
 読売新聞1991年7月12日「鹿児島の変死体 血痕の農道を「現場」と断定」
 朝日新聞1991年7月27日「殺人と断定 鹿児島・松山町の谷口さん死亡」
 朝日新聞1991年7月27日「鹿児島県松山町の男性変死を殺人と断定 ひき逃げ事故を偽装」
 朝日新聞2006年7月8日「松山事件、あす時効 県警「最後まで捜査」/鹿児島県」
 朝日新聞2006年7月9日「時効が成立 鹿児島・男性殺害」
 読売新聞2006年7月11日「松山事件が時効 県警刑事部長「残念」 15年前=男性殺害」